桐野夏生さんの「夜の谷を行く」を読みました。
桐野夏生さんの作品は何作か読んだことがありますが、今まで読んだ中では「OUT」と「だから荒野」が特に面白かったです。
「夜の谷を行く」はこの2作と同じくらい印象に残った作品で、私の中で「三大桐野夏生作品」となりました。
さっそく読書感想文です!
「夜の谷を行く」のネタバレなしの簡単なあらすじを!
桐野夏生の作品の中には、実際に現実に起こった事件からインスピレーションを得ているものがありますが、「夜の谷を行く」もそういった形の作品です。
モチーフになっているのは1971~72年にかけて起こった連合赤軍事件です。
「夜の谷を行く」の主人公は、その連合赤軍事件の生き残りである女性です。
この主人公は連合赤軍内では発言力が低く目立たない存在で、「だからこそ自分は生き延びた」と考えています。
事件から40年以上が経ち、これまで事件との関わりを避け目立たないように生きてきた主人公が、少しずつ昔の真実と向き合っていく…そういう物語です。
連合赤軍事件のような凄惨な事件が根底にありますが、それほど残酷な描写はなく、主人公の静かだけど厳しい、日常や感情の動きが心にしみてきます。
物語をわかりやすく読めるようにか、事件の主犯格や故人は実名で登場しますが、主人公を含めて生き残った人々の物語は完全にフィクションです。
主人公を含めて「生き残ってかつ出所している」登場人物に、該当する実在のメンバーは存在しませんし、そのため連合赤軍事件自体、終盤はやや事実と異なった設定で書かれています。
また、実在の事件を扱っているとはいえ、主人公自体が架空の人物なので、連合赤軍事件を大きな視点で見るというよりは、ごく個人的な内面の物語となっています。
そのため物語に政治性はほとんどなく、純粋にフィクションとして読めます。
「面白い」というのとは違いますが、最後まで没頭して読ませる力のある作品でした。ぜひおすすめしたい本です!
言語化には必ず解釈が含まれる…
「夜の谷を行く」はネタバレしてしまうと最後の衝撃が味わえなくなるので、もう1度書きますが、ここから先の文章にはネタバレが入るので注意してくださいね!
連合赤軍事件は40年前に20代だった若者が起こした事件で、出所したメンバーはおそらくまだ生存している方が多いと思われます。
この小説に出てくる人物たちと同じように、改名し、家族と縁を切り、別人としてひっそりと生きている方もいらっしゃるでしょう。
主人公は改名せず、妹と関係を持ったまま生きています。ただし、自分が事件の当事者だとバレないように目立たないような日常を送っています。
また、事件に関する取材も受けず、事件に関しては沈黙しています。
その沈黙の理由について主人公は
…などの理由を挙げます。
人間は言葉を使う生き物ですが、言葉とは「要件を伝える」「状況を説明する」のは便利ですが、「感情を伝える」「理由を説明する」のには向いてない部分もあります。
というのも、「感情」はうまくあてはまる言葉が見つからないことがありますし、「理由」には個人の解釈が入ります。
そんなわけで「感情を表す言葉」は的を得てないことがあり、「理由を説明する言葉」はあくまで事実ではなく個人的見解ということになります。
連合赤軍事件について、当事者が書いたり当事者のインタビューをまとめた本は何作が出ているそうですが、同じ場面の説明でも人によって食い違いがあるそうです。
それは当然でしょうね。大きな事件でなくても、もっと些細な日常の記憶も、語る人によって差が出てくることはよく経験します。
その意味で、「記憶とは事実と自分の解釈した虚構が混ざったもの」と捉えるべきでしょうね。
記憶ですらそうなのですから、記憶を言語化して他者に語る時には、さらに解釈が混じって虚構化が進むことでしょう。
「夜の谷を行く」では、事件当時の主人公の立ち位置・立ち振る舞いなどを、当時の仲間が(主人公から見ると)誤解しているシーンが出てきます。
連合赤軍メンバーの言語による応酬はやがて暴力に変わっていきますが、言語は必ずしも真実を語らないという限界を理解していなかったゆえに袋小路に陥り、暴力へと行き着いたのではないか…そんな気もしました。
衝撃の結末と救いの光
さて、主人公の「沈黙の理由」は、表向きは上に挙げた感じです。
しかし、もっと大きな「沈黙の理由」があったことが物語のラストに判明します。
主人公には「誰にも話さないと決めたこと」があったのです。
それは、主人公が事件後に獄中で子どもを出産していたことです。
連合赤軍事件の犠牲者の中には妊婦が含まれます。
お腹の中の胎児ごと死んでしまった仲間に申し訳なくて、主人公は子どもを里子に出し、子どもを産んだ事実自体を封印します。
孤独に生きていくことを、自分の運命として受け止めようとしたのでしょう。せめてもの主人公なりの罪滅ぼしなのかもしれません。
同じ桐野夏生作品の「だから荒野」に描かれる、「荒野」としての人生に近いですね。
しかし最後のライター古市の身バレと、それとともに読者にも伝わる衝撃の真実。
で、この作品がスゴイのはその衝撃の事実が同時に、これほど凄惨な事件の一筋の光として差し込んでくることです。
もちろん主人公の設定は架空の設定ですので、この救いの光はフィクションです。
たとえフィクションにせよ、あのような事件をモチーフにした物語に、最後に薄い希望の光を差し込ませた作者の手腕は見事だと感じました。
「あれほどの凄惨な事件に救いがあっていいのか?」という問題は、あまりにも深すぎて今の私には結論が出せません。
どのような立場の人間も、生きている限り「希望を持つ」ことくらいは許されるのではないか…今の私に言えるのはこのくらいですね…。
最後にあくまでこの物語はフィクションです!
「夜の谷を行く」の感想でした。
「面白い」という表現を当ててよいのかわからない物語なのですが、最後まで夢中になって読みました。
「重いテーマの本は苦手」という人にも「ちょっと頑張って読んでみて!」とすすめたくなるような1冊です。
最後に自分自身に注意しておきたいのは、あくまでこの本はフィクションだということを忘れないようにしたいということです。
作者さんの筆力が高いため、連合赤軍の事実を書き上げた本に思えてしまいますが、主人公啓子とライター古市のような関係である実際の人物は存在しません。
そのようなことを自分に再確認しておくことが必要なくらい、インパクトのある小説でした。
追記「夜の谷を行く」を読んで連合赤軍事件をもう少し考えたくなり、漫画の「レッド」も読んでみました。