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「ねじの回転」の感想・考察。幽霊はいたのか?それとも狂言?

本の感想
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ホラー小説の古典「ねじの回転」を読んだ感想です!

「ねじの回転」はどんな本?

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ねじの回転」は、1898年にイギリスで発表された怪奇・ホラー小説です。

ホラー小説といっても、物語に眠れないほど怖いお化けや幽霊が出てくるということはなく、怪奇現象に対してバタバタする、この世の人間たちの言動の方が怖かったです。

ネタバレなしのあらすじをかんたんにまとめると…

「ねじの回転」のあらすじ

若い女性が田舎の大きな館に幼い兄妹を教える住み込み家庭教師として赴任する。前任の家庭教師は亡くなっている。兄妹は天使のように美しい子どもたちで、家庭教師は二人に夢中になるが、館で怪奇現象を見たことで兄妹との関係が一変していく…。

…こんな感じですね。

非常に風変わりなタイトルが印象的ですが、「ねじの回転」というタイトルに関連する記述は、本文中に2回登場します。

  • プロローグの雑談で出てきた、怪奇に子どもが絡む話は「ねじを一ひねり」の効果があり、子どもが二人絡めば「二ひねり」分の効果があるという表現
  • 小説の終盤に登場する主人公である家庭教師のモノローグ、怪奇の力が物事を悪い方向にすすめるなら、自分はねじを回転させるように、人間性をまともに働かせて対抗しなければならないということ

おそらくどちらとも、子どもたちを苦しめる怪奇現象的なものの害悪、そういう悪には正気の人間性でもって立ち向かわなければならないこと…そんな小説の主題と関わっています。

とはいっても、この小説の主題は非常につかみにくく、「ねじの回転」とは、もっとぼんやりとした、怪奇現象(=悪の象徴)に振り回される人間の苦しみを表している言葉のようにも思えます。

「ねじの回転」のネタバレなしのザックリ感想

まずは「ねじの回転」のネタバレなしの感想を。

はい、面白かったです。

ただ、誰もが面白く読める小説か…というと、断言はできないかな~という感じです。

「ねじの回転」には謎要素もあるのですが、ミステリー小説ではなく怪奇小説なので、謎がスッキリと解けていく爽快さはないです。

どうとでも読めるあいまいで微妙な会話から、登場人物の心理や、真相は何なのかをぼんやりとくみ取っていく感じです。

また、事件がドラマチックに動くわけではなく、登場人物の心理の動きを楽しめるというタイプの読者でなければ、話自体は面白くないと感じるかもしれません。

作者さんが男性であることが不思議なくらい、主人公の女性家庭教師の心理描写は、女性である私にとっては「あー…気持ちはわからなくはないな…」という部分がありますが、「この家庭教師が何を騒いでいるのかわからん…」という人もいるかも。

ドラマチックな物語、ゾクゾクするようなミステリーの連続…そういったものは期待できない小説ではあります。

繊細な人間の心理と狂気、幽霊とはそもそも何なのか…こういう関心がある方は、最後まで興味深く読めるのではないかと思います。

「ねじの回転」は私は面白く読んだけど、誰でも面白いと思える小説ではないかもしれない。

この先の記事は「ねじの回転」のネタバレを含むので、未読の方はご注意ください。

幽霊は「いなかった」とも「いた」とも読める

さて、「ねじの回転」の最大の焦点は「幽霊は本当にいたのか?」という問題です。

特に物語の後半部分は、語り手である女性家庭教師の言動がヒステリックだったり、彼女の仕事仲間であるグロースさんに幽霊が全く見えなかったりするシーンがあります。

こういった部分は、読者に「幽霊は家庭教師が作り出した幻影なのでは?」と思わせます。

家庭教師は、自分の教え子である美しい兄妹、マイルズ・フローラに熱を上げています。

過去に兄妹と関わっていた大人たちの幽霊を創作することで、幽霊=悪、自分=正という二元的世界を無意識に作り上げ、兄妹を自分のものにしようとした…というわけです。

確かに彼女が幽霊をヒステリックに兄妹から遠ざけようとした理由としては、多少はそのような動機もあるでしょう。

ですがその反面、「幽霊は実在したのでは?」と思わせる描写もあります。

それは、最初に家庭教師が男の幽霊を見た時、会ったこともない亡きピーター・クイント(以前の兄妹の世話役)の面影を正確に捉えていることです。

家庭教師が見た幽霊と、ピーター・クイントの外見がピタリと当てはまっているからこそ、クイントを知っているグロースさんは、自分には見えていない幽霊が実在することを信じたわけです。

ただ「ねじの回転」のストーリーは、家庭教師が書いた手記という形を取っているため、家庭教師によって、自分に都合がよいように(=幽霊が実在しているように)、事実が捻じ曲げられている(もしくは無意識に記憶を修正している)可能性はあります。

物語の謎をザックリと考えてみる

「ねじの回転」では、登場人物の会話がぼかされて、解釈の余地が残されています。

おそらく作者が意図的にそうしていて、謎の多い作品として仕上がっています。

「兄妹は幽霊を見ていたのか?」「クインズと前任の家庭教師ジュセルの関係は?」「クインズとジュセルはなぜ死んだのか?」「クインズとジュセルは兄妹にどんな害悪を及ぼしたのか?」「マイルズはなぜ退学させられたのか?」…

すべて、作品中でほのめかされるだけで、明確な解答はありません。

私のザックリした感想だと…

Q
兄妹は幽霊を見ていた?
A

明確には見ていないが、死んだ二人が幽霊として出てくることに怯えていたのではないか?そのため家庭教師が幽霊が出たと騒ぐことがイヤだった。

Q
クインズとジュセルの関係は?
A

クインズがジュセルに手を出し、ジュセルはクインズにたぶらかされる形で身分違いの恋に落ちてしまったのではないか?

Q
クインズとジュセルはなぜ死んだのか?
A

ジュセルは病死ではないことが判明しているため、クインズとの関係が原因で自死したのではないかと思う。酔って夜の凍った坂道で転倒死したクインズは他殺っぽい。マイルズが事件に関わっていて、そのため幽霊として現れることを恐れているのではないか…。

Q
クインズとジュセルは兄妹にどんな害悪を及ぼした?
A

クインズとジュセルの秘密の関係をマイルズは知っていた(新潮文庫p96「二人の関係を知っていて知らないことにした」)。その上でクインズは「誰にでも」、「出過ぎた真似」「好き勝手な真似」をしていたとグロースさんが証言しているため、兄妹にもセクシャルな虐待に近いことをしたのではないかと推察される。

Q
マイルズはなぜ退学になったのか?
A

マイルズが何かを友人に話したことが退学の原因になったことが判明している。友人に話した内容は、上記の考察が正しければ、クインズの死に自分が絡んでいることを打ち明けたのではないか。もしかしたらクインズが自分に与えた害悪の内容も。

…もちろん、すべて推測の域を出ません。

誰がどんな考察をしても、どれが正しいかはわからないでしょう。

「ねじの回転」という作品は、人間は与えられる断片的な情報から世界について推察するしかなく答え合わせもできない…そんな世界の形を表現しているようにも思えますね。

マイルズは死んだのか?

さて、「ねじの回転」で思わせぶりな設定はもう一つあります。

それは、物語に無関係に思われるプロローグのような章があることです。

「ねじの回転」の物語は家庭教師の手記ですが、手記がいきなり始まるのではなく、何人かで怪談をしていたときに、ダグラスという人物が、知人女性が書いた手記を読み上げる…というスタイルを取っているのです。

さらにこのプロローグには、物語にまったく無関係っぽい「私」も登場します。

「私」や「ダグラス」が「ねじの回転」になぜ登場する必要があるのか…一見、非常に蛇足的なプロローグに感じるんですよね。

実は「ダクラス」=「マイルズ」なのではないか?という説は根強いそうです。

ダグラスには妹がいるという設定ですし、ダグラスが手記を書いた女性に恋をしていて、女性の方も好意はあった…このあたりが、マイルズと家庭教師の関係に似ているのです。

確かに「ダグラス=マイルズ説」は、なるほど…と思いたくなりますが、そうすると、物語の最後にマイルズが息絶えているシーンと矛盾します。

ただマイルズの死は、肉体的な死を意味しているのではなく、家庭教師が自分のものにしたかった少年としてのマイルズが大人になって、家庭教師の手を離れていった…精神的な死を意味すると読むことは可能だと感じます。

幽霊を退治したらマイルズが自分のものになると思っていた家庭教師ですが、幽霊を克服したマイルズは大人になって、家庭教師の保護は要らなくなる。

こういう読み方はアリだな、と思います。

何が幽霊を生み出したのか?

最後に「幽霊はいた/いなかった問題」に対する、私の現段階の結論を書いておきます。

幽霊はブライの館にいた4人が共同で作り出したという意味で「いた

これが結論かなあ…。

というか、私自身の怪奇現象に対する考え方が影響しているのですが、世界の怪奇現象は「ある」とも「ない」とも言えると思うんですよね。

人間と他の動物が見ている視覚的世界はまったく違うとよく言われますが、人間どうしであっても、見えている世界はおそらく想像以上に違っている。

私たちは世界そのものをありのままに見ることはできず、視覚が脳に伝え、脳が解釈した世界を見ている。

もしそうだとすると、その人間の人生、立場、精神状態によって、見えてる世界は全然違う…場合によっては世界が怪奇的なものに見えてもおかしくない…と思うのです。

ブライの館にいた家庭教師、兄妹、グロースさんは、皆、心の中に微妙な気持ちを抱えていました。

家庭教師は、雇い主である兄妹の伯父への恋心や、美しい子どもたちへの尋常でない夢中さがあった。

子どもたちは以前いた大人たちがもたらした恐怖やトラウマ、助けてくれない伯父への淋しい気持ちがあった。

グロースさんはクイントが怖くて見て見ぬふりをしていた所があったので、深層心理でどこか責任を感じていた。

こういった全員の不安定な精神状態が幽霊がいるような世界を生み出したのではないかと。

子どもたちは「幽霊に出てほしくない」と思っているから「いない」と思いこむ。

グロースさんも怖いクイントに幽霊であっても会いたくない。見たくないものは見えない。

家庭教師は、悪の幽霊たちから子どもたちを守るという使命が欲しいから、積極的に幽霊を見る。

「ねじの回転」は、「私たちは世界を見たいようにしか見ない」というメッセージを含んだ小説でもあるのかな、と思います。

まとめ

「ねじの回転」の読書感想でした。

やはり古典として長く読み続けられる小説は、時代が超えても変わらない世界や人間の姿を描いているな…と感じます。

私は新潮文庫で読みました。肖像画風の表紙がコワいです。

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「ねじの回転」は光文社古典新訳文庫でも出ています。新潮文庫よりもさらに表紙コワイですね。

「ねじの回転」は、登場人物の微妙な会話が多くて翻訳が難しいらしく、違う訳で読めば、また違う感想を持つかもしれません。いつか光文社版も読みくらべてみたいかも。

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