高嶋先生ご勇退のニュースで、高嶋監督ファンがささやかな感謝として、高嶋先生祭を繰り広げています。
今日は祭りの2日目!
智弁和歌山の全盛期はいつからいつまで?
甲子園のサイレンの音、諸行無常の響きあり…みたいな感じで、高校野球の歴史の中では、いろいろなチームが栄枯盛衰を繰り広げてきました。
智弁和歌山は、今でも強豪校のひとつですが、現在とは比べものにならない程強かった、いわゆる「全盛期」があります。
智弁和歌山の全盛期がいつからいつまでか、ファンによって少しは違いが出てくると思いますが、私は1994年春の優勝から2002年夏の準優勝までだと考えます。
もっと細かく言えば、「1994年春準々決勝に宇和島東戦で植中が9回に走者一掃の逆転スリーベースを打ってから、2002年夏決勝の明徳義塾戦で岡崎が9回にバックスクリーンにホームランを打ち込むまで」だと思っています(笑)。
植中の一直線にライトへ飛んでいった打球は、智弁和歌山の躍進を予告するような当たりでしたし、岡崎のホームランは、滞空時間が長く感じられ、走馬燈のようでした。
どちらも「後から思えば」ではあるんですけどね。それでも、どこか文学的な雰囲気を帯びた打球でした。
ちなみに全盛期の期間については、全盛期のはじまりは1996年春の準優勝だという説、終わりの方は2000年夏の優勝だという説もあります。智弁和歌山論は奥が深いですね。
智弁和歌山の全盛期の成績を並べてみる
1994年~2002年の、智弁和歌山の甲子園成績を並べてみます。
春 | 夏 | |
1994 | 優勝 | 出場なし |
1995 | 出場なし | 出場なし |
1996 | 準優勝 | 初戦敗退 |
1997 | 出場なし | 優勝 |
1998 | 出場なし | 3回戦進出 |
1999 | 出場なし | ベスト4 |
2000 | 準優勝 | 優勝 |
2001 | 出場なし | 出場なし |
2002 | 初戦敗退 | 準優勝 |
これ、何も見ないで書きました!私のオタクぶりがわかっていただけると思います。
現在の高校野球王者である大阪桐蔭とくらべると、ものたりない成績に見えるかもしれませんが、当時の高校野球は戦国時代で、これほど毎年のように、甲子園で上の方まで勝ち進むチームはめずらしかったのです。
こうやって見ると、やはり目につくのが1995年と2001年の、甲子園に出場できなかった年ですね。
どちらも前年に全国優勝している年です。優勝した翌年のチーム作りの難しさがわかりますね。
あと、春に出場していない年が多いのが意外に感じますが、1学年10人制の智弁和歌山ですので、秋の予選を、3年生が抜けた20人で戦うのは、やはりしんどい面があったのでしょう。
全盛期の智弁和歌山は毎年チームカラーが違った
さて、智弁和歌山と言えば打線が名高いです。
確かに全国優勝した1994年、1997年、2000年は、その破壊力満点な打線が甲子園を沸かせました。
未来のプロ野球選手を複数そろえた優勝候補の横浜に二桁得点で大勝した94年、初戦で5点差を簡単にひっくり返し、3番喜多を中心に強力打線だった97年、当時の打撃のチーム記録を一気にぬりかえ、史上最強打線とも呼ばれた00年。
しかし、これは私の智弁和歌山論なんですけど、全盛期の智弁和歌山は、毎年打撃のチームというわけではありませんでした。
98年は主将の鵜瀬を中心に、小技と足を絡めたスモールベースボール(智弁にもそんなチームがあったんです!)でしたし、99年は粘り強いバッテリーを、鉄壁の遊撃手川崎(現在の明豊監督)などの守備陣が盛り立てる守りの固いチームでした。
私は、智弁和歌山の全盛期の中でも、さらに全盛期を設定すると、それは連続して甲子園に出場し続けた97~00年だと思っています。
この黄金の4年間の智弁和歌山は、打撃のチームというより、「毎年チームカラーが違い、そのチームカラーを全面に出して、そのチームが届く最高点まで到達できたチーム」だったと考えています。
松坂世代である98年の智弁和歌山はあまり強いチームではなく、よくあの戦力で3回戦まで勝ち進んだなと思いましたし、99年のベスト4も、智弁より強いチームはたくさんありましたが、その中で勝負強さが光っていました。
打撃偏重のチーム作りは成功だったか?
さて、その後は現在の若い高校野球ファンもご存じの通り、智弁和歌山は打撃のチームとして、高校野球界に定着しました。
極端に打撃を重視するチーム作りへと舵を切ったのは、2000年に失点やエラーを重ねながら、ほとんど打撃の力のみで夏の全国制覇を果たしたことが大きかったでしょう。
また、「智弁の打撃を見たい」という周囲の期待も、わずかながらでも影響したようにも思います。
打撃偏重のチームとなった智弁和歌山は、今でも強豪校ではありますが、昔ほどは勝てなくなりました。
もちろん盛者必衰、時代の流れもあります。
打撃を圧倒的に重視するスタイルに傾いたのが、成功だったのか失敗だったのかは誰にも断言できません。
打撃に専念したからこそ、高校野球の歴史から消えてしまわずに、今でも強豪校として残ったのだという見方もできます。
まとめ
つらつらと書いてしまいましたが、智弁和歌山の歴史を見てきたファンとして、
智弁和歌山=打撃のチームという考え方は、全盛期の智弁を語る時には当てはまらないと思うよ!
と、叫びたかったので、叫ばせていただきました!
こんな記事で高嶋先生祭になっているのだろうか…。
何はともあれ、高嶋先生祭りはまだ続きます~!