よしながふみさんの「大奥」を、10巻まで読みました。
10代将軍家治が死去し、ちょうど田沼時代が終わったところまでです。
「大奥」は、私が想像していたよりずっとずっと骨太で奥が深い漫画です。
とはいえ、基本的には人間同士の情愛がテーマで話は進んでいく…と思っていました。
しかし9~10巻の田沼意次時代の話は、感染症と戦う医療マンガの様相を呈してまいりました。
新型感染症の拡大を受けて、カミュの「ペスト」という小説が異例のベストセラーになっていますが、「大奥」もこの時代にもっと脚光を受けてよい漫画なのではないか?と感じました。
まさか「大奥」が医療マンガになろうとは!
よしながふみさんの「大奥」は、江戸時代の歴史的人物の男女が逆転した大奥で、女性将軍と大奥の男性たちという構図になっています。
そう聞くと安易な妄想ワールドのようですが、物語背景がしっかり練られています。
江戸時代に「赤面疱瘡」という男性だけが罹患する病気が流行り、男性の数が減少したことで、女性が将軍職に就くようになったという設定になっています、
この「赤面疱瘡」は、男女逆転の大奥を描くための材料にすぎないのだろうと思っていた私は、まさか「赤面疱瘡」の克服に本気で取り組むエピソードが描かれるとは思っていませんでした。
「赤面疱瘡」と戦う物語の主人公は、オランダ人とのハーフとして長崎で生まれた青沼です。
長崎でオランダ医学を学ぶ青沼は、「赤面疱瘡」を西洋医学の力で克服したいと考える田沼意次(「大奥」では可憐な女性!)によって大奥に迎えられます。
「なぜ医学研究をする場所が大奥?」と思ってしまいますが、儒学重視の武家社会では蘭学(西洋の学問)への風当たりが強く、あまり大っぴらに研究できないからということになっています。
で、ここからは「大奥」で医学を中心とした蘭学を研究する青沼を中心とした話がはじまり、いかにも「大奥」らしい「ほれたはれた」の世界からは遠ざかります。
まさか「大奥」がこんなお話だとは読む前には思ってもみませんでした!
「大奥」を読んで現代のパンデミックを顧みる
青沼を中心とした大奥のチームが赤面疱瘡という感染症と戦う姿は、やはり現在の新型感染症と戦う世界と重ねてしまいます。
青沼たちは、江戸時代にはまだ人々に浸透していない「予防医学」について考えを巡らし、「軽い赤面疱瘡」にわざとかかることで、赤面疱瘡にかからなくするということを思いつきます。
要するに現代の予防接種ですね。
「大奥」の設定では、赤面疱瘡の死亡率は5人に4人…つまり80%です。
こんな恐ろしい感染症が流行すれば、確かに男性の数は減ってしまいますね。
「大奥」の世界から見ると、死亡率が今のところ3%程度の新型コロナウィルスに大騒ぎしている現代人は、あまりに贅沢に見えるかもしれません。
「大奥」と同じような感染症の物語として、ベストセラーになったカミュの「ペスト」も、現代とはくらべものにならないくらい厳しい世界です。
これは現代人の我々にとって「死」「病気」といったものが、身近ではなくなっているということの表れで、現代人は高度文明を手に入れた半面、死への恐怖は増大してしまっているのでしょう。
「大奥」の青沼のセリフに
人はまだ病を完全に防ぐ術を見つけた事はないのです…
というものがありますが、このセリフが印象的なのは、医療の進んだ現代でも、死への恐怖が増大している分、人の心に響くからなのでしょう。
現代は医療が進み、昔であれば助からなかったはずの病気がいくつも治るようになりましたが、人間の死に対する恐怖が、医療の発展に反比例するように増大しているなら、病が人に与える精神的な脅威は、昔とそう変わっていないのかもしれません。
たぶん人間の文明はどれほど進んでも、病と死を完全に克服することはできないのではないかと思います。
人間が形ある生き物である以上は、ですね。この常識が覆る日は来るかどうかはわからないけれど。
不条理な世界を幸せに生き抜いた青沼の一生
病も死も必ず存在する世界で、私たちはどうやって生きていくのがベターといえるのだろう…。
その答えを、青沼の一生が表している気がします。
青沼は、青沼を庇護していた田沼の失脚を受けて、ひどく不当な理由で死罪を言い渡されます。
しかし青沼は新しい為政者を憎みませんし、自分の運命を嘆くこともしません。
長崎でオランダ人相手に体を売る遊女からハーフとして生まれた青沼は、家が貧乏なうえに、混血児として差別を受けて育ちました。
「俺はまともな一生は送れない」と思っていた青沼ですが、一生懸命蘭学を学んだおかげで縁あって田沼政権に抜擢され、何人もの仲間と力を合わせて、赤面疱瘡の予防方法を確立する一歩手前までたどりつきます。
青沼はこんなに理不尽な死を迎えても、自分の一生に満足しています。
「人生をやりきった」という気持ちに満たされ、青沼は心静かに自らの死を受け入れます。
もーね、読んでいる方は理不尽さにやりきれないですよ。雨の中で「あまりに理不尽ではないか」とひとり叫ぶ黒木のセリフは、読者の気持ちを代弁しています。
ですが、青沼は幸せそうなんですよね。どれだけ外部から見ると悲劇でも、青沼の心は幸せなのです。
逆らえない権力というのも、人間が自分の力でどうすることもできないものとして、病や死と似ているものかもしれません。
人生にはどうにもならない運命がふりかかってきますが、その運命を乗り越えることができるのは、自分の心だけなんですよね。
人生を精一杯やりきって、自分で自分を幸せだと思える境地まで至ること。
不条理な世界をどう生きるか?という問いに対する答えは、これしかないのかもしれないですね。
まとめ
てなわけで医療マンガとしての様相を呈した「大奥」8~10巻は、人間どうしの情愛に涙した7巻までのお話とは、また違った魅力がありました。
まー「大奥」は、本当に思っていた以上に深くて面白いです。
続きの巻もぼちぼち読んでいきます!