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中島みゆき「土用波」の歌詞を解釈・考察!人が抗えない理不尽な力の正体は?

中島みゆき
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中島みゆきさんの楽曲「土用波」の歌詞について考えてみます。

「土用波」ってどんな歌?

土用波」は、中島みゆきさんが1988年に発売したアルバム、その名も「中島みゆき」の3曲目に収録されている歌です。

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アップテンポなベースとドラム音がドッシリと支える中、マイナーコードが続く短調の曲です。

中島みゆきさんの曲では珍しく転調モードのメロディがなく、最初から最後まで短調なのも特徴的です。

やや演歌風、歌謡曲風にも感じられますが、力強いサウンドがカッコよく、ファンが多い一曲です。

歌詞に難しい表現はないのですが、テーマが何なのかというと…サッパリした歌いっぷりとは裏腹に、歌詞の解読は結構難しいと思います。

ぽこ
ぽこ

難しいんですが…力の限り解釈してみます!

歌い手は「忘れたい」のか「忘れたくない」のか?

「土用波」の歌詞全体はUta-Netでご覧ください

「土用波」の歌詞は、冒頭からして解釈が難しいです。

昔の歌を聴きたくはない

あの日が二度と戻らないかぎり

なつかしい名前口ずさんでも

砂を崩して 土用波がゆく

「昔の歌を聴きたくはない」…このフレーズには、過去を忘れたいという気持ちが含まれているように思います。

しかし、直後には、土用波がなつかしい名前を飲み込んで流してしまう(=自分が忘れてしまう)…という歌詞が続きます。

「なつかしい名前口ずさんで」…と逆接になっていることから、なつかしい名前を忘れるのは本意ではない、つまり忘れたくないという気持ちが見て取れます。

歌詞全体を見渡すと、タイトルになっている「土用波」は、人に過去の思い出を忘れさせる力があるものとして歌われている感じがあります。

…が、歌の中で「土用波」は歓迎されているのか、されていないのか。歌い手は忘れたいのか、忘れたくないのか。

土用波が「季節の変わり目」に起こる意味

さて「土用波」という歌が、「忘れたい歌」なのか「忘れたくない歌」なのかを考える前に、タイトルになっている土用波そのものについて調べてみました。

土用波とは、夏の土用(7月下旬~8月下旬)に遠方の台風の影響で海岸に突然打ち寄せてくる大波のことをいいます。

ぽこ
ぽこ

海水浴やサーフィンでは注意しなければならない波だそうですが、海レジャーに無縁な私はまったく知らなかった言葉です。

ではこの土用波は、なぜ「忘れる」ことの象徴として歌の中で使われているのか。

私の予想ですが…土用波が「夏の土用」に押し寄せる波であることがカギなのではないかと思います。

「夏の土用」とは7月下旬~8月下旬の時期で、感覚としては夏真っただ中ですが、「土用」とは陰陽五行説では「季節の変わり目」を指す言葉です。

季節の変わり目にやってくる大波×中島みゆき作品…うん、これは恋愛にまつわる何かという感じがしてきますね!

しかも土用波は、「夏の土用」=夏が秋に変わっていく季節にやってくる波

「夏」には恋の季節というイメージがあります。たとえば大黒摩季さんの「夏が来る」という歌の「夏」は、「うまくいく恋」というような意味で使われています。

中島みゆきさんにも「船を出すのなら九月」という歌があり、夏が終わった直後は恋が終わる季節…という感じの歌詞が歌われます。

つまり、夏から秋へと変わる季節に押し寄せてくる土用波は、恋を終わらせる力として、歌の中で象徴的に使われているのではないか…というのが仮説です。

あなたの髪から私の髪へと

流れ落ちる 土用波の音

ここの表現は、うまくいっているように見えるカップルにも「土用波」の音が忍び寄っている…別れが近づいていることを暗示しているのかなと。

あなたの髪→私の髪というベクトルなので、男の方が先に冷めているのかもしれませんが…。

こう考えると、この歌詞に続く部分…

溜息まじりの潮風を泳ぐ

折れたカイトに見覚えはないか

「溜息まじりの潮風の中の折れたカイト」は、土用波によって壊れた帆船…つまり、終わりを迎えた恋のことではないでしょうか。

「見覚えはないか」と、問いかけの形になっているのはなぜなのか…。

難しいですが、「恋の終わりは誰でも経験しているだろう。今の恋も終わりに近づいているのに気づかないか?」というような意味かな…?

土用波に乗って終わった恋を立ち去る

土用波=恋を終わらせる力…という仮説をもとに考えると、「土用波」という歌は、過去を忘れたい/忘れたくないという文脈で聴く歌ではないのかな?と思えてきました。

たとえばラストのサビに入る前のここの歌詞ですが…

流れゆけ流れてしまえ 立ち停まる者たちよ

流れゆけ流れてしまえ 根こそぎの土用波

このフレーズでは、「立ち停まる者たち」=過去(の恋愛?)にしがみつこうとしている人々を、「流れゆけ」=過去を忘れて未来へと進むように促しています。

思い出すのは中島みゆきさんの名曲「わかれうた」の一節。

恋の終わりは いつもいつも

立ち去る者だけが美しい

「わかれうた」

土用波は、恋を終わらせるというマイナスの力を持つ反面、何もかも忘れさせてくれるプラスの力も持つ。

土用波が「恋を終わらせる何らかのエネルギー」だとして、その力に乗って、終わった恋を忘れて先に進みたい=自分も「立ち去る者」になりたい…そんな願いを歌った歌なのかな、と。

サビの「愛にすべてをさらわれる」をどう解釈する?

ここまで来て、ぶち当たる壁があります。サビの歌詞です。

愛の重さを疑いながら

愛に全てをさらわれてゆく

「さらわれてゆく」は「波」の縁語のようなものですね。

そう考えると、全てをさらってゆく「愛」は、土用波が象徴するものと同じなのではないか…と捉えるのが自然です。

しかし、「愛(≒土用波)に全部持ってかれちゃう」だと、「土用波」は「恋は盲目」みたいな歌になってしまう…それでは前後の文脈とイマイチかみあわない…ううむ…。

こうなると、今までの仮説である「土用波=恋を終わらせる力」説を撤回したくなるのですが、ここは撤回ではなく、土用波の定義を広げる方向で考えてみました。

どういうことかというと…土用波は今の恋を終わらせて次の恋を運んでくると考えてみたらどうでしょうか。

そうすると、「昔の歌を聴きたくない」「なつかしい名前を土用波が崩す」という1番の歌詞の矛盾も解消できます。

次の恋がはじまっているから昔の歌を聴きたくない。なつかしい名前(=終わった恋)を忘れ去らせるような強い力で次の恋はやってくる。

土用波とは、理屈で説明できない恋愛の理不尽なエネルギーの象徴であり、抗えない力で終わる恋愛、そして恋したいわけでないのに強引にやってくる次の恋…。

「土用波」には次のような謎めいたフレーズもあります。

伝えそこねた言葉のように

雨をはらんで 土用波がゆく

「伝えそこねた言葉」…恋愛物語において伝えそこねる言葉の定番は、やっぱり「愛してる」という言葉でしょう。

要するに「土用波」は、抗うのが難しい恋愛の強い力のことで、一言でいっちゃえば「愛」そのもの。

「雨をはらんで」なのは、「愛」は人の心をかき乱し、涙を流すような顛末にもなりやすいから。

人間はそんな「愛」のエネルギーに翻弄されるけど、「愛」に流されてしまうしかないのではないか…大人の諦念のようなものを感じます。

まとめ

「土用波」の解釈は難しすぎて、思考もあっちこっちに飛び回ったので、最後に現段階での私の解釈を整理します。

「土用波」は愛の強くて理不尽な力を象徴している。それは恋を始まらせることも終わらせることもある。人はそのエネルギーに抵抗することはできず、流れるように身をまかせるしかない。

ぽこ
ぽこ

何とかまとまった~!でも、全っ然自信ありませんっ!

それでも一生懸命考えたおかげで、今まで「???」だった「土用波」という歌の輪郭が、少しだけですが見えてきた気がします。

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