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「十六の墓標」を読んだ感想。他者の心の中を決めつける恐ろしさ

本の感想
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「夜の谷を行く」「レッド」と、連合赤軍についての小説とコミックを読みました。

「夜の谷を行く」は一部実名が使われている一方、主人公は架空の人物であり、全体としてはフィクション性が強い物語です。

「レッド」は仮名を使っていますが、連合赤軍の関係者が書いた文章をもとに、極力創作部分が無いように事実を淡々と描いた作品です。

この2作品を読んで思ったのは…

ぽこ
ぽこ

私の両親が話した連合赤軍事件とは全然違う…。

…ということでした。

その思いがきっかけで、連合赤軍事件の当事者が書いた本を、思い切って読んでみることにしました。

連合赤軍メンバーと同世代の両親が語った話とは?

私の両親は二人とも1950年代の生まれです。

連合赤軍の中には両親と同じ歳のメンバーもいて、両親にとっては、連合赤軍事件は同世代が起こした事件ということになります。

ちなみに両親は学生運動にはまったくの無縁だったそうです。

そんな両親から連合赤軍事件の話を聞いたのは、私が中学生くらいの頃。

私が両親と一緒に、何かの事件で犯人が逮捕されるニュースを見ながら

ぽこ
ぽこ

暴力的な事件の犯人ってほとんど男性だね。

と、つぶやいたのがきっかけです。

私のセリフを聞いた両親は、二人そろって「そんなことない!」と首をふりました。

「あんたは連合赤軍事件を知らないからそんなこと言うんだよ。連合赤軍事件では恐ろしい女性リーダーが男性の上に立って、仲間を次々にリンチにかけたんだよ」。

私が両親と連合赤軍事件の話をしたのはこの一度きりで、私はずっと連合赤軍事件は「恐ろしい女性リーダー」が主導した事件だと思っていました。

その後に何かで女性リーダーは組織のNo.2で、その上にNo.1の男性リーダーがいることを知りましたが、その時も実質は女性リーダーが仕切っていて、男性リーダーは追従しただけという文脈で理解した気がします。

しかし「夜の谷を行く」も「レッド」も、連合赤軍事件をそのような事件としては伝えていません。

特に「レッド」を読むと、仲間のリンチのほとんどは、男性リーダーが「誰をどのような理由で追及するか」ということで主導権を握っています。

どうやら連合赤軍事件が発覚した当時は、「容姿に恵まれない女性リーダーが美人な女性メンバーを嫉妬によって殺害していった」というセンセーショナルな報道がされていたようです。

ぽこ
ぽこ

私の両親は当時の報道を覚えていたのでしょうね。

男性リーダーは獄中で自死したこともあり、「自死=責任を取る」という価値観が古くから存在する日本においては、さらに女性リーダーへの風当たりが強くなった面もあるでしょう。

「恐ろしい女性リーダー像」はなぜ好まれたか?

連合赤軍事件の犠牲者の半数以上は男性メンバーで、この事件が少なくとも「女性の嫉妬」だけでは語れないということは明白です。

しかし事件をなるべく忠実に再現した「レッド」を読んでも、27人のメンバー中12人が、仲間内で特に抵抗することもなく死を受け入れる…という不可解な事件がなぜ起きたのか…腑に落ちません。

事件が起きた原因としてよく語られるのは…

  1. 二つの組織が一つになる過程で「革命への過激さ」を競い合ったことがエスカレートした
  2. リーダーをはじめとした指導部が力量不足だった
  3. 警察に追われる立場だったため、脱走者やスパイがいないか過敏になっていた
  4. 冬山での厳しい生活がメンバーの精神状態を荒廃させた

…こういったことは事件の原因に多かれ少なかれ関係はしているでしょう。

しかしこれらの理由は、明確に脱走を企てたわけでも、方針の対立があったわけでもない仲間を、12人も殺害した理由として腑に落ちるものではありません。

それに比べて、「狂った怖ろしい女性リーダーが自分の気に入らないメンバーを次々に消した」という説明はわかりやすく、受け入れやすいです。

以前何かで読んだのですが、人間はセンセーショナルな事件が起きると、その原因を知りたがる本能があるのだそうです。

おそらくそうなのでしょうね。私だってそうです。

「自分はそういった事件と無縁でいられるのか?」ということを確かめたいという、自衛本能が働くのでしょう。

「狂った事件は狂った人物が起こす」…これなら、何となく連合赤軍事件のようなものは自分と無縁のものとなり、どことなく安心さえしてしまいます。

「狂気で恐怖の女性リーダー」は、事件のわかりやすい説明を求めた大衆と、大衆受けするような記事や番組を作ろうとしたメディアが共同で生み出したものなのかもしれません。

「十六の墓標」はなぜ一部の人には言い訳に見えるのか?

さて今回私が読んだ本は、連合赤軍のNo.2で「狂気・恐怖」と報道された女性リーダー永田洋子が、事件のことを記した「十六の墓標」です。

この本は、「言い訳じみて反省が見られない」というレビューを目にすることが多いです。

しかし「はじめに」に書いてあるように、「十六の墓標」は事件の首謀者のひとりだった著者の「悔恨」の手記ではありません。

必要とされているものは、私の総括の立場、観点を訴えたものではなく、連合赤軍問題を大衆的に考え討議することのできる資料である。当時の私たちの活動と闘争をできるだけ客観的に叙述し、そのことによって、より多くの人たちが自分の頭で自主的に考えていくことができるための報告文である。こうした必要に応えるために作成したのがこの原稿である。

要するに後代の人間が、連合赤軍事件について学び理解するための資料として残したものです。

しかし「資料」として書かれたものにしては、悔恨を表す文章がかなり多く感じます。

「『資料』を淡々と書き上げられないほど著者には後悔の念が強いのでは?」と、むしろ私は逆の感想を持ちました。

「資料」として後代の人間の役に立つようにという観点からだと思いますが、著者なりに過ちの原因だと思われる箇所には、随所で触れています。

もしかしたら「言い訳じみている」と感じる読者には、そういった箇所が「言い訳」に見えるのかもしれません。

ちなみに私は、「言い訳」という日本語はあまり好きじゃなかったりします。

ものごとの原因を合理的・客観的に考えることは必要なのに、「言い訳」という言葉は、そういった姿勢を丸ごと否定してしまう感情的な言葉に感じます。

ぽこ
ぽこ

話が脱線しました…。もとに戻します。

「十六の墓標」は、少なくとも「連合赤軍事件の原因は恐ろしい女性リーダーの狂気にある」という文脈では書かれていません。

その意味で、連合赤軍事件を恐ろしい女性リーダーの責任だと考えたい人々の意には添わない本なのです。

このような「資料」を目指して書かれた本より、「嫉妬に狂って気に入らないメンバーを殺してしまったことを告白・懺悔した本」が期待されていたのではないでしょうか。

…何だか総括要求に似ていますよね。「本当のことを言え!」と言うセリフは、実は「こちらが期待している答えを言え!」という意味…。

私個人の感想としては、この女性リーダーが本当に嫉妬していたかどうかは、わからないとしか言いようがありません。

だって、他者が考えていることなんてわかりようがないです、絶対に。

他者の心の中をこうだと決めつける恐ろしさは、連合赤軍事件が身をもって教えていると感じます。

本の読みやすさや内容についての感想

さて、あまり感想らしい感想を書いていないので、本の内容について触れておきます。

まず著者は職業作家ではないので「文章が読みにくいのでは?」という不安がありましたが、文章自体はストレスなく読めました。

ぽこ
ぽこ

こんな文章が書ける人がどうしてあんな幼稚な理論にはまっていったんだろう…という恐ろしさは感じます。

人によっては、運動に身をおくまでの部分に退屈さを感じることがあるらしいですが、私はその部分も興味深く読み進めることができました。

悔やみきれない過ちを犯した著者なので、非常に謙虚で他者への視点は厳しくない…「資料」とはいえ、そういうバイアスはかかっていることは頭に入れて読んだ方がいいかもしれません。

ですが著者の人間らしさが垣間見えるのは…長らく夫婦関係にあった坂口弘(レッドの谷川のモデル)の記述がちょっと意地悪に感じるところが多いことですね。

そうでありながら、最後の別れの部分ではどこか愛情を感じるというか。

坂口弘は彼の視点から手記を書き上げているので、そちら視点の本も読まなきゃいけないだろうな…と感じました。

そうなると赤軍派側から書かれた手記も読まなきゃいけなくなるな…。

この本を読み上げたのが結構大変だったので、少し休んでから頑張って読んでみようかなと思っています。

まとめ

「十六の墓標」を読んでいろいろ考えたことをまとめました。

この本を読んで少しひっかかったのは、著者たちが「殲滅戦」という言葉を使う時に、殲滅する相手である警官の人格を考慮していないように見える部分です。

「人格を持った他者」を思いやることを放棄することが、最終的に仲間の殺害にもつながったのではないか?という気もしてくるのですが…どうなのでしょうね。

実際に警察側に被害が出るのは山岳での事件に続くあさま山荘事件なので、この辺りは坂口弘の手記を読まなければわからないかもしれません。

連合赤軍事件の大きな特徴は、事件の当事者が何人も手記を残していることです。

「負の歴史に学ぶ」ということが人間にできるという希望を持つなら(個人的には歴史に学ぶことはすごく難しいと感じています)、複数の当事者が手記を残していることは大きな手がかりとなります。

著者の永田洋子は獄中で2011年にこの世を去っています。

この本の内容に対する批判はあると思いますが、こういった形の手記を残したこと自体は、歴史に対する役割を果たしたと言えるのではないかと思います。

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