「春のセンバツ中止」「夏の甲子園大会中止」…
2020年の高校球児は目標や夢が目の前から消えてしまい、不運の世代となってしまっています。
新型の感染症が原因ということで、現段階で絶対的に正しい判断などなく、「かわいそうだけど仕方がない」としか言えない部分もあります。
高校野球オタクとして、高野連の「判断そのもの」を責める気は全くないのですが…もう少し上手な段取りにできなかったのか…という気持ちがあり、記事にしてみました。
8月に「夏大会の縮小版」を開催できない理由
2020年の高校野球に関する動きは日に日に状況が変わっていますが、2020年6月中旬時点では、時系列的にこんな感じです。
突っ込みどころはココですよね。
8月にセンバツ出場校の交流試合を甲子園で行うなら、規模を縮小すれば夏の甲子園は開催できたということになるのでは…?
高校野球では、3年生が最後の大会となる夏大会を最も重要視するチームが多いです。
中には進学校や激戦区のチームで、あえて夏ではなく春のセンバツを狙ってくるチームもありますが、そのようなチームは少数派です。
そう考えると、高野連が8月の甲子園使用を考え直すにしても、8月には夏大会の縮小版を行う方が現場では歓迎されそうなものですが…。
ですが、8月に全国大会を縮小版でも行うことは、実際には難しくなっていました。
というのも千葉は独自大会を8月に行うことになっていましたし、6月10日の時点では福岡は開催断念、神奈川は未定、奈良はトーナメントはしないなどとなっていました。
こうなると8月の段階で各都道府県の王者が決定しないので、8月に「夏の甲子園大会縮小版」を開催することは不可能なのです。
そう考えると、甲子園が高校野球のために日程を空けてくれている8月には、センバツ中止の頃から取り沙汰されていた「センバツ出場校の救済」を行うという判断は妥当かもしれません。
センバツ出場校交流戦が地方の大会に与える波紋
甲子園球場が高校球児のために空けてくれていた日程。
この限られた条件で、全国すべての高校球児を救済することはもちろん難しいです。
センバツ出場32校は甲子園出場を自力で勝ち取っていたわけで、甲子園で試合をする権利を手にするに最もふさわしい…というのはその通りだと思います。
しかし………もう少しだけ球児の気持ちに寄り添った発表の方法はなかったのかな?と感じます。
8月に甲子園での交流試合。そしてその出場32校は既に決定済み。
その一方で、多くの地区では7月に3年生最後となる地区の独自大会。
5月20日に夏の甲子園大会中止が決まってから、3年生の球児たちは独自大会の方に何とか気持ちを切り替えた、もしくは切り替えている途中だったかもしれません。
その最中に、「8月の甲子園球場はセンバツ出場校の交流試合に使う」という発表。
センバツ出場校以外の少しでも本気で甲子園を目指していた3年生にとっては…何だか寝耳に水みたいな話ですよね。
「8月に甲子園が使えるのに、なぜ自分の甲子園への道は閉ざされているのか?」…私ならこう思いますね。
せっかく各都道府県の高野連が頑張って代替大会を計画し、高校球児も何とかそこで気持ちの整理をつけようとしていただろうに…。
また、センバツ出場校にとっても複雑ですよね。
8月に甲子園で試合ができるなら、代替の独自大会のモチベーションはどうなるのか。
各地方大会でセンバツ出場校に他のチームが勝ったとしても、甲子園で試合をする権利には関係ないわけですから、何だか奇妙な雰囲気の試合になりそうな感じがします。
高野連の決定は世論に合わせたものに見える…
もう一度書きますが、私はセンバツ出場校による甲子園での交流試合は妥当と思っています。
とにかく発表の経緯のようなものに疑問があります。
まあまずは、5月20日の夏の甲子園中止の判断が早すぎたんですよね。
6月10日にセンバツ交流試合を発表できるなら、少なくとも6月10日までは決定を延ばせたはずです。
その間に各地方の高野連に状況を聞いて、たとえば福岡は大会をできないとか、千葉や神奈川はできるにしても8月になるとか、そういう状況をまとめて判断すべきだったのではないかと。
で、代表校を出せない県があっても夏大会をやるのか?
それとも夏は「選手権」なのだから、代表校がそろわないなら行えないので、代わりにセンバツ32校の交流戦に甲子園を使うのか?
こういった、現場の状況やいろいろな意見をまとめながらの決断、発表…という感じがまったくないんですよね。
その代わりに私が感じるのは、「世論に合わせた決定」という雰囲気です。
春のセンバツは無観客開催で話が進んでいたはずが、自粛という世論の声に合わせるように中止という決断。
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夏の甲子園大会を判断する際も、まだ自粛の声が根強かったので、世論に合わせるように早々の決断。
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そして各地方の独自大会について福岡が断念した時は、緊急事態宣言が解除されたこともあり、世論は「かわいそう」という声。
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そこで高野連は世論に合わせる形で8月の甲子園を高校野球で使おうと考えたけど、既に夏大会中止を宣言したために、8月には代表校を出せない都道府県が出てくることになってしまっていた。
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というわけで、世論にさんざん同情されていたセンバツ32校を招待するという形に落ち着いた…。
高野連は選手ファーストであっでほしい
近年の高校野球は非常に人気が高まり、それと同時に世論の関心も高まり、特にネットでの攻撃のターゲットになることが多いです。
それは高野連・指導者・選手にまで及び、ちょっとした発言とか、試合中のアクシデント的なプレーとか、果ては試合後に握手するかどうかといった些細なことが、まるで重犯罪でも犯したかのようにネットリンチの俎上に載せられます。
私みたいに20年以上高校野球を見ているファンにとっては「そんなこと見ている側がどーこー言うことじゃないじゃない!?」ということが問題にされて驚きます…。
そういったことを考えると、高野連が世論の動向に過敏になり、ややおもねたような判断をすることにも理解はできます。
…ですがやっぱり、高野連は現場の高校球児ファーストでなきゃダメですよ!
今回のような非常事態には高校球児の気持ちだけを優先できず、状況を見ながら非情な判断をしなければならない部分はあるでしょう。
ですが、状況を冷静に判断しながらも、高校球児の気持ちになるべく添う形で決断できるように努力してほしいと思うんですよね。
何だか今年の一連の決定の段取りは、高校球児でなく、世論に添う形の決断になっているように思えてなりません。
世論というものは恐ろしいものではありますが、場合によっては高野連は世論の矢面に立ち、現場を守ってほしいという気持ちがあります。
もちろん言うだけは簡単で、私がもし高野連会長になったとして、「責任はすべて私が負います!」と言えるかどうかはわからないですけどね。
ファンの勝手な願いで申し訳ないですが…。
最後に私の拙案を!
最後に、私は今回の夏はどうするのがよいと考えていたかを書いておきます。
今年は甲子園大会の縮小版を予定しておいて、状況を見てギリギリで中止の決断もありうるという条件付きで準備するのが良かったのではないかと考えています。
縮小版というのは、全国16校か8校に出場校を絞るというやり方です。
今回東京は、東西の優勝校が東京ナンバーワンを決める試合を行うことを決めましたが、こういう形で隣県の優勝校どうしが戦って、甲子園出場校を少なくするのは可能だったのではないか。
16もしくは8まで出場校を絞れば、試合日数は3~4日で優勝校を決められますし、休養日を挟んでも1週間あればじゅうぶんです。
夏大会の醍醐味は「夏に一度も負けないチームが全国制覇」という所にあるので、甲子園への道が例年よりもグッと狭き門になったとしても、「負けて終わり」なら高校球児も納得できるのではないか…などと思います。
「勝ち残り方式で全国制覇を決める」…ここにこだわるなら、舞台を甲子園にすることだけは諦めて、8月下旬以降にたとえば神宮球場などで行えないだろうか…とも考えます。
福岡は独自大会を開催する方向に切り替えましたし、奈良もトーナメント方式に変更するようなので、各都道府県のチャンピオンは出そろいそう…ということで、状況次第で、できなくはないのかな~などと考えています。
まとめ
今年は状況が状況で、まさしく新型感染症拡大は「誰のせいでもない雨」ですので、高野連の発表も「仕方ない」と静観しておりました。
しかし一連の流れを見ていて、どうも高野連が一番考慮している部分が「ちょっと違うんじゃないか?」と思い、この記事を書きました。
個人的には早々と全国大会の有無に関係なく東京大会を行うことを発表し、東西対決まで実現させた東京高野連の姿勢は、現場に最大限寄り添っているように感じ、嬉しかったです。
今年の高校球児は、一転二転する大人の決断に振り回されて、精神的に本当に大変な戦いを強いられていると思います。
32校のセンバツ交流試合も、各都道府県の独自大会も、どうか少しでも高校球児の気持ちが報われるものとして成功することを祈っています。