私のような中二病が完治しなかった大人が惹かれるタイトルの本と言えば…
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」
ずっと気になっていたタイトルなのですが、SF小説をあまり読む習慣がない私は、なかなか手が出せずにいました。
ですが、急に「よし。読むぞ!」という気になったので読みました!
感想を今から書きますが、最初に言っておくとすっごく面白かったです!!!
ざっくりとしたあらすじ
まずはネタバレなしのざっくりとしたあらすじを。
舞台は未来の世界。
大きな戦争の後、地球が死の灰に包まれ、多くの動物が滅亡し、人間も火星に居住地を作って多数が移住しています。
火星はもともと人間が住める世界ではありませんから、開発のために人造人間(アンドロイド)が火星に送られ火星の開拓に携わり、火星に移住した人間に仕えています。
そんなアンドロイドたちが、火星での労働がイヤになり、地球に逃亡してくる事例が増えている…その事態に対し、地球には逃亡アンドロイドを始末する、警察所属のバウンティハンターが存在します。
主人公はそのバウンティハンターのリックです。
リックは、火星から逃げて地球の生活に潜り込んでいるアンドロイド6人を追いかける…そんなSF小説です。
「アンドロイド」がどのような形で物語に登場するかはわかったけど「電気羊」は?
多数の動物が滅亡した地球では、動物が希少価値を持ち、動物を飼うことが大きなステイタスとなっています。
ですが動物はかなり高額で、人々は電気仕掛けの人工動物を、いかにも本物の動物かのように飼って体裁を整えています。
リックが飼っている羊も電気羊。
リックがアンドロイドを始末する仕事に就いているのも、アンドロイド討伐に成功することで巨額の賞金を受け取り、本物の動物を飼いたいという欲望があるのです。
人造人間と私たち人間に境界はあるか?
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」で興味深かったのは、アンドロイドと私たち人間の違いとは何か?ということを否が応でも考えさせられる部分です。
リックはアンドロイドを「それ」と呼び、アンドロイドをハントすることを「処理する」と言います。
アンドロイドと人間を鑑別する方法として、フォークト・カンプフ検査法という一種の心理テストのようなものがあり、質問に答えるときの血管や筋肉の微妙な反応を測定します。
要するにアンドロイドには感情が存在せず、情動に関する反応が人間と違ってくるということですね。
しかし、作品で描かれる人間とアンドロイドは、本当に情動の部分で違いがあるのか?と思わされます。
作中で、リックをはじめとする人間たちは、情動オルガンなるものを利用し、自分の気分や感情をコントロールして生きることが日常化しています。
心を自分で律するのではなく、人工的な道具によってコントロールされる…これはアンドロイドとどこが違うのか?と思わされます。
また作品の終盤に、アンドロイドのレイチェルが、リックが賞金で購入したヤギを屋上から突き落とす場面が出てきます。
レイチェルがなぜそんなことをしたのか理由までは作品に描かれません。
私はレイチェルはリックに対して愛憎入り混じる気持ちがあり、リックが(おそらく妻より)大事にしているヤギを殺したのは、嫉妬心からではないか?と読みました。
アンドロイドが嫉妬するなんて…リックは想定もしてないでしょうけどね。
作品には、アンドロイドがクモの足を、興味心から一本ずつちぎる場面も出てきます。
それはアンドロイドが人間と違って感情を持たない冷酷な存在であることを示すシーンなのですが…「同程度の冷酷さをもったアンドロイドでない人間は存在するよね…」と思ってしまいました。
そして作中でも、高性能に作られたアンドロイドがフォークト・カンプフ法を通ってしまう可能性、逆に普通の人間なのに感情に乏しい性格の人がフォークト・カンプフ法をパスできない可能性が語られます。
これから私たちは人工知能(AI)の時代を生きることになるのでしょうが、AIは人間とどう違うのか?私たちはAIよりも人間らしいと言い切れるのか?
…それほど遠くない将来を先取りしたようなテーマだなと感じました。
で、アンドロイドは電気羊の夢を見るの?
さて、実に印象的なタイトル「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」ですが、このタイトルを本作の内容にしたがって丁寧に書き直すと
アンドロイドは人間と同じように動物を飼いたいと思い、それが金銭的に無理な場合は、もう少し安価な、電気で動く偽物の動物を飼って体裁を保ちたいと思うだろうか?
…と、いうことになりそうです。
そして、作中にその答えは簡潔に書かれています。
アンドロイドも夢を見るのだろうか、とリックは自問した。見るらしい。だからこそ、彼らはときどき雇い主を殺して、地球へ逃亡してくるのだ。奴隷労役のない、よりよい生活。
これからAIの時代が到来すると、雑務はAIにまかせて、人間は自由で楽しい生活を謳歌するようになるのでしょうか。労働は奴隷に任せていた、古代ギリシャやローマの市民のように。
SFのような話ですが、AIの反乱が起きない…とは限りませんよね。
どこかで私たち人間には、「人工物であるAIやロボットが感情を持つはずがない」という感覚があります。
しかし、人間に感情がある以上、人間に似せて作ったものが、その精度が上がれば上がるほど、「感情を持たないと言い切れなくなるのではないか?」と個人的には思っています。
この作品でも人間とアンドロイドを区別するフォークト・カンプフ法は、「人間らしい感情があるか」を測っていますが、感情の有無は本当に人間と人工物を分ける基準となるのか?と感じます。
遠い未来の話だけど、人間と人造人間の区別はなくなっていくのではないか…人間の方でもゲノム編集などの技術がもっと進めばなおさら…そんな風に感じます。
まとめ
とりとめのない文章になってしまいましたが、「電気羊はアンドロイドの夢を見るか」の感想でした。
マーサー教の部分など、一読しただけではよくわからない部分もありました。
深みを感じる本でしたが、ストーリーが気になりすぎて、パッと頭に入らなかった部分は読み流しながら先を急いでしまったので、またじっくり読んで、気づいたことがあれば感想を書き加えたいと思います!