中島みゆきさんの楽曲「夜を往け」の歌詞を考えてみます!
「夜を往け」はどんな歌?
「夜を往け」は、1990年に発売された、歌のタイトルと同名のアルバム「夜を往け」の1曲目に収録されています。
中島みゆきさんのアルバムは「EAST ASIA」や「親愛なる者へ」もそうですが、アルバムと同タイトルの歌が収録されているパターンが時々ありますね。
「夜を往け」に収録されている楽曲の中でよく知られているは、シングル発売された「あした」「with」などです。
アルバムではなく楽曲としての「夜を往け」は、中島みゆき作品の中では珍しく、ロック調で力強くハイテンポな曲です。
個人的には結構好きな楽曲なのですが、「あした」「with」にくらべるとテーマがわかりづらく、やや淡々とした曲調につかみどころがないのか、中島みゆきさんのファン以外にはあまり知られていない感じがします。
そんな少し地味な楽曲「夜を往け」ですが、同名のアルバムの冒頭にトップバッターとして登場することで、「夜を往け」というアルバムが全体として、「広い意味での夜(このことについては後述します)」を歌い上げた作品であることを宣言しているように感じます。
「夜を往け」のテーマは何か?
「夜を往け」は上にも書いた通り、歌のテーマがわかりづらい作品です。
「夜を往け」は恋愛の歌とは言いがたいですし、人生の応援歌にも聞こえないし、何か特定のメッセージを読み取るのも難しい…。
では、何がテーマなのかというと…ズバリ結論から言ってしまうと、私は「大人の世界を楽しもうぜ!」という歌なのかなと思っています。
なぜそんな解釈になったのか…を、ここから解説していきます。
誰かの車に乗せてもらう自分と決別する
「夜を往け」の歌詞には、「車」に直接関係するフレーズや、縁語(『車』を連想させる言葉)が多く見られます。
追いつけないスピードで走り去るワゴンの窓に
憧れもチャンスも載っていたような気がした
あれ以来眠れない 何かに急かされて
走らずにいられない 行方も知れず
こちらは歌い出しから続く1番のフレーズです。
同じ箇所の2番の歌詞はこちら。
砂の風吹きすさぶ乾いた道端にたたずんで
親指を立てながら待ちわびるだけだった昨日
憐みのドアが開く車を見送って
ナイトニュースを聞くだけの昨日を捨てて
1番と2番に見られるのは、「誰かの車に乗せてもらおうとしていた過去の自分と決別する」という思いです。
過去=昨日までの自分は、荒野でヒッチハイクするみたいに、誰かが自分を車に乗せてくれる…おそらく、男性が女性である自分を、苦しみや悲しみから救ってくれること…究極的には人生の伴侶として選んでくれることを待っていた。
だけど結局、魅力的な男性(=憧れ)も選ばれるチャンスも、猛スピードで走り去ってしまった…要するに、誰とも結婚できないまま、適齢期と呼ばれる若い時代は過ぎてしまった。
しかしそのことに絶望するのではなく、これからは「憐みのドア」=独り身の自分に同情して声をかけてくれる男性もスルーして、行方など決まっていなくても独力で歩いていく…そんな意志が読み取れる歌詞です。
「トラックにのせて」「タクシードライバー」との違いは?
さて。中島みゆきのファンなら、「車に乗せてもらう」というキーワードから、2つの楽曲が頭に浮かぶことでしょう。
1つ目は1976年発売のアルバム「みんな去ってしまった」に収録されている「トラックにのせて」(歌詞はUta-Netでご覧ください)。
失恋した女性が、おそらくヒッチハイクしたトラックに乗って、悲しい思い出がある町を早く離れようとしている歌です。
2つ目は1979年発売のアルバム「親愛なる者へ」に収録されている「タクシードライバー」(歌詞はUta-Netでご覧ください)。
こちらも失恋した女性が、タクシーを拾ってタクシーの中で酔っ払って泣いている歌です。
「トラックにのせて」と「タクシードライバー」の共通点は、どちらも失恋した女性がすぐに次の車に乗っていること。
どちらともトラック運転手やタクシー運転手を次の恋の相手と見立てているわけではありませんが、「乗せて行ってよ今夜は雨だよ」「だけどあたしはもう行くところがない」…などと、運転手に対して甘えのような気持ちが見られます。
しかし「夜を往け」では、「憐みのドアが開く車」には乗りません。
もちろんこの3つの歌は、ストーリーがつながっているわけではありません。
ですが中島みゆきさんが20代の時に作った2曲と、40代手前で書いた「夜を往け」には、やはり年齢を重ねた人生観の違いが垣間見えます。
20代の時は失恋はただただ悲しかった。悲しみに浸り、そして悲しみに浸っている自分を誰か(できれば男性)が受け止めてくれることが必要だった(『タクシードライバー』の方では受け止めてもらってないけど)。
しかし40代くらいになると、人生は恋愛がすべてでないことも悟ってくるし、誰かの車に乗るのではなく、自力で走ることを覚え始める。そして、思いのほかにそれを楽しめるようになってくるのではないか…。
だから「夜を往け」のサビは、明るく力強い前向きな声で歌われるのではないでしょうか。
「夜」を「往」く意味とは?
こうやって考えていくと、「夜を往け」の「夜」は人生を1日にたとえた時の「夜」の部分を指しているように思えます。
朝は子ども、昼は青春期、夕は若者、夜は大人…そしてどんどん深夜の闇(=死)へと時間は進んでいく…。
「トラックに乗せて」も「タクシードライバー」も描かれている歌の場面は夜ですが、おそらく歌の主人公は夜の住民ではない…まだ大人になりきっていない女性なのではないでしょうか。
だから自分の足で夜を歩けず、誰かの車に乗せてもらわざるを得ないのです(実際に若い女性が一人で夜の道を歩くのは危ない)。
ですが「夜を往け」の歌い手は、夜の住民となった大人の女性。
もちろん若くなくても女性の夜の一人歩きは危ないですが、若い時ほどの危険はないし、大人としての知恵もついているから、危なくない場所を危なくない方法(自分で車を運転するとか)で行けばよい。
大人になっても
遠ざかる街の灯はまるであの日の夢のようだ
恋人よ あの愛と比べるものがあり得たのか
…などと、過去の夢や愛を思って気持ちが沈むことがあります。
ですが、
なにも見えない夜の彼方からむせび泣く口笛が聴こえないか
忘れられない夢のカケラが数えきれない星くずを鏤める
真っ暗で何も見えない夜では、誰かが泣く声も口笛のような音楽に聴こえたり、心残りとなっている夢の残骸もわずかな光を放ってきらめいたりする。
要するに「夜」は、人生の酸いも甘いも知り尽くした大人だからこそわかる、わびさびの魅力が輝く世界だというわけです。
そんな「夜」を、行くのではなく往く。
「往く」には単純に進む「行く」と違い、どこかの目的地に向かって進むというニュアンスがあります。
「夜を往け」の歌詞には
走らずにいられない 行方も知れず
とありますから、実際にはカッチリとした目的地に向かって走っているわけではないのでしょう。
目的地があるわけではないけれど、夜を自力で歩いていくという確固たる決意をもって力強く進む…「往け」という命令形は、そうやって自分自身を鼓舞しているのかもしれません。
まとめ
中島みゆきさんの楽曲「夜を往け」の歌詞についていろいろ考えてみました。
「夜を往け」はテーマがわかりやすい歌ではないですが、「夜に象徴される大人のわびさびの時間を力強く楽しもう」…こんなメッセージの歌なのかな?というのが現段階での結論です。
夜に悲しい思いをしている女性が「トラックに乗せて」とお願いする精神から、「憐みのドアが開く車を見送って」夜を自力で歩いていくようになる。
私は40代の女性ですが、やはり「夜を往け」の歌詞は、若い頃よりも今の方がわかる気がします。