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中島みゆき「孤独の肖像」歌詞を解釈・考察!孤独の合理化の失敗

中島みゆき
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中島みゆきさんの楽曲「孤独の肖像」の歌詞について考えてみます!

「孤独の肖像」はどんな楽曲?

孤独の肖像」は1985年に発売された中島みゆきさんのシングル曲です。

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シングルとして発売されましたが、少し違ったバージョンで「miss M.」というアルバムの5曲目にも収録されています。

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ぽこ
ぽこ

私はこの「miss M.」バージョンで聴くことが多いです。

曲調はアップテンポのマイナーコード。

歌詞は中島みゆきさん得意の失恋系で、悲痛な雰囲気の曲と切ない歌詞が相まって、私はこの楽曲を聴くと、脳裏に寒色系のイメージが沸き上がります。

切ない楽曲ですが、アップテンポで聴きやすいメロディで、ファンには結構人気の高い歌なのではないかと思っています。

中島みゆきさんの超代表作ではなくても、そこそこの代表作かな、という感じですね。

「孤独の肖像」は、シングル曲として発売された曲の前に作られた、オリジナルバージョンがあることがファンには知られています。

このオリジナルバージョンは、「孤独の肖像1st」として「時代-Time goes around-」というアルバムに収録されました。

ぽこ
ぽこ

オリジナルバージョンは1985年当時の中島みゆきさんには音域が合わなかった、当時のプロデューサーの持ち味と合致していなかった…などの理由から、いったんお蔵入りしたそうです。歌唱力が上がった8年後の1993年に、もとのバージョンの楽曲で歌ってみたというわけですね。

「孤独の肖像1st」は、曲調は全く違うメジャーのバラード調ですが、歌詞の内容はそれほど違わないため、ここでは「1st」でない方、1985年発表の「孤独の肖像」の歌詞を考察していきます。

「孤独の肖像」の歌詞全体はUta-Netでご覧ください。

「孤独の肖像」で歌われているテーマは?

「孤独の肖像」で歌われている歌詞のテーマは、タイトルの通り「孤独」でしょう。

それも、失恋した女性の「孤独」を歌っています。

失恋は必ずしも「孤独」に結びつくわけではなく、次の恋をはじめれば「孤独」は解消されるわけですが、「孤独の肖像」では、失恋=孤独というような文脈で歌われます。

Lonely face 悲しみはあなたを失くしたことではなく

Lonely face もう二度とだれも信じられなくなることよ

失恋そのものが悲しいのではなく、この失恋によって人を信じられなくなったことが悲しい…というのは少々の強がりもあるでしょう。

ですが、実際にこの女性は、「もう恋愛はしたくない」という境地にいるようです。

隠して心の中うずめて心の中

もう二度と悲しむのはこりごりよ暗闇の中へ

もう恋愛の悲しみを味わうのはこりごりなので、「また誰かを愛したい・愛されたい」という気持ちは心の奥深くにしまって、あえて暗闇の中=孤独を選ぼうとしています。

ぽこ
ぽこ

よっぽどひどい失恋の仕方だったのでしょうね…。

「孤独」の合理化

「孤独の肖像」の歌詞は、中島みゆきさんの失恋ソングに時々見られる「強がり」が、そこかしこに見られます。

面白いのは、心理学で言うところの「合理化」に近い思考が見られるところです。

心理学の「合理化」とは

心理学における「合理化」とは「いいわけ」に近い概念です。自分の心が傷つくことを避ける自己防衛機能として、欲求が満たされなかったときに、理屈で自分を納得させて自尊心を守る心の動きを指します。「すっぱいブドウ」の例が有名で、高い木の上にあるブドウを取れなかったキツネが「どうせあのブドウはすっぱいだろう」と捨てゼリフを言って去っていきます。

「孤独の肖像」に見られる「合理化」は、自分が得られなかった「愛」を、「どこにもなくてどうせ手に入らないもの」として捉える心理に垣間見られます。

どうせみんなひとりぼっち海の底にいるみたい

だからだれかどうぞ上手な嘘をついて

いつも僕が側にいると夢のように囁いて

それで私たぶん少しだけ眠れる

Lonely face 愛なんて何処にも無いと思えば気楽

Lonely face はじめから無いものはつかまえられないわ

「どうせみんなひとりぼっち」…人間は誰もが孤独なのである、という前提。

なので「愛」とは嘘であり、本当は孤独な人生をごまかすための、ただの夢であると。

そのように「愛」は人間が作り出した幻想なので、もともと「何処にも無い」。

よって「はじめから無いもの」を手に入れることはできないため、失恋を悲しむ必要はない…と。

こういった論法で、自分の心を慰めようとしているのですね。

それでも「孤独」から脱出したいというベクトル

最近は「孤独」ということに価値が置かれるようになり、「孤独」は自由で知的な時間をもたらし、人生で必ずしも忌避すべきものではないという価値観が広がってきました。

ですが「孤独の肖像」の世界観では、「孤独」の持つプラスの面は表現されていないですね。

「孤独」は、「海の底」であり「暗闇の中」なのです。

「孤独の肖像」の歌い手は、「愛なんて何処にも無いと思えば気楽」と合理化によって強がってはいるけれど、結局は愛を求めずにいられません。

消えないわ心の中消せないわ心の中

手さぐりで歩きだしてもう一度愛をはじめから

最後のフレーズは、この歌詞が何度も何度も繰り返されます。

愛のある人生を諦めようとしても、どうしても諦められない心理が、何度もしつこく繰り返されるフレーズによって表現されています。

孤独という暗闇に沈んでも、手さぐりでまた愛を探し始めてしまう…人間の業なのかもしれません。

さて、孤独という暗闇に安住せず、愛を求めてまた歩きだすというこの歌のラストは、ハッピーエンドとバッドエンド、どちらに近いのでしょうか。

悟ったような人生観で愛を諦めず、孤独を乗り越えていこうとするラストと捉えると、明るい終わり方に思えます。

しかし、また愛を求めることで失恋・絶望し、「みんなひとりぼっち」…と結局歌の冒頭に戻っていくループのような構造が頭に浮かぶと、これは暗い終わり方…と思ってしまいます。

どっちなんだろうなあ…これは。聴く人、聴く時の心理状態によって、どちらにも聴こえますね。

いずれにせよ孤独への処方箋は2つ。

  1. どんな失恋を何度経験しても、愛を諦めずに何度でもトライすること
  2. 愛は幻想だと割り切って、孤独に安住すること

隠して心の中うずめて心の中

もう二度と悲しむのはこりごりよ暗闇の中へ

消えないわ心の中消せないわ心の中

手さぐりで歩きだしてもう一度愛をはじめから

「孤独の肖像」のラスト「もう一度愛をはじめから」までたどりつくか、それともその直前の「暗闇の中へ」という段階で止まるのか…ということですね。

まとめ

中島みゆきさんの「孤独の肖像」の歌詞について考えてみました。

テーマは明確な歌詞なのですが、ていねいに読み解くと、さすがに中島みゆきさんという感じで、人間心理をうまく描いているなあと思います。

「孤独の肖像」はアルバム「miss M.」に収録されています。

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中島みゆきさんのシングル曲を集めた3枚組の「Singles」でもシングルバージョンを聴くことができます。

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