中島みゆきさんの楽曲「熱病」の歌詞について考えてみます!
「熱病」ってどんな楽曲?
「熱病」は1985年に発売された中島みゆきさんのアルバム「miss M.」の3曲目に収録されている歌です。
アップテンポで、ややロック調のマイナーコード。力強いアレンジです。
中島みゆきさんの代表作しか聴いたことがない方には、中島みゆきさんの曲らしくないと思われそうですが、この時期の中島みゆきさんのアルバムには、このような雰囲気の曲が1~2曲は入っている印象です。
パッと聴いてすぐに歌詞の意味がわかる…というタイプの歌ではないですが、がんばって歌詞を解釈してみます!
「熱病」に歌われているテーマは?
「熱病」に歌われているテーマは…ザックリと、子どもから大人へとなる思春期・反抗期における精神的な揺れなのかな、と思っています。
冒頭の歌詞はこちらです。
僕たちは熱病だった ありもしない夢を見ていた
大人だったり子どもだったり男だったり女になったり
大人であり、子ども…というのは、ちょうど子どもから大人への過渡期を生きている年齢の、大人と子ども、どちらともつかない不安定さを指しているかな、と。
「男だったり女になったり」は、(生物的ではなく)社会的な性の分化を迎えていることを示しているのかなと思います。
思い出すのは萩尾望都さんの代表作「11人いる!」に登場する、雌雄未分化の宇宙人・フロルです。
子どものうちは男になるか女になるかが決まっていないという特徴を持つ種族なのですが、「確かに子どもは男性でも女性でもない生き物かもしれない…」という感覚はわかる気がします。
「子どものままでいたい」という声
「熱病」の一人称複数である「僕たち」は、いくつくらいの年齢が想定されているのでしょうか。
熱の中でみんな白紙のテスト用紙で空を飛んでいた
「テスト用紙」という単語から、中高生くらいの年齢が想定されます。大学生はちょっと外れる気がします。
「熱病」が発表された1985年くらいは「スケバン刑事」が流行していて、中高生はとんがっていた感じがあります。
何に対してとんがっていたかというと、たぶん大人。
「熱病」が発売された1985年は、尾崎豊の代表作「卒業」が発売された年でもあり、中高生は大人の世界に対し警戒心や敵対心を抱いていた時代だったと言えるでしょう。
私はこの世代より年下で1990年代に中高生でしたが、この時代の余韻は少しだけ残っていましたね。
僕たちは氷の海へ 上着のままで飛び込んでいた
ずるくなって腐りきるより阿呆のままで昇天したかった
氷の海へ上着のままで飛び込むという無謀さ、分別のなさ、自己保身のなさ。
それでも「ずるくなって腐りきる」=大人になるよりは、「阿呆のままで昇天」=ずっと子どものままでいたいと歌われます。
誘いをかけている「春」が意味するのは?
「熱病」のサビは、「でも」という逆接で始まります。
でも Ha Ha Ha 春は扉の外で
でも Ha Ha Ha 春は誘いをかける
大人になりたくない。でも、春が扉の外から誘っている。
この構成を見ると、「春」=「大人の世界」であることが推測されます。
ただ中島みゆきさんの歌では、「春」は「男女間の恋が幸せに成就すること」の比喩として使われることが多いです。
「春までなんぼ」とか「春なのにお別れですか」とか「待っても春など来るもんか」とか…。
そこを考慮すると「熱病」で誘いをかけている「春」も、「恋愛を含んだ大人の世界」と考えられるかなと思います。
いつまでも子どもでいたいけど、恋愛も含んだ大人の世界が「大人にならない?」と誘いかけてくる。
「熱病」の主人公もその誘いに興味がないわけではない。
僕たちは熱病だった 曲がりくねった道を見ていた
見ない聞かない言えないことで胸がふくれてはちきれそうだった
ここの歌詞は興味深いです。
現在は「人生は自由」という考え方も浸透してきましたが、「熱病」が発売された頃の大人は、子どもに「安定した人生」を押し付ける傾向がありました(受験戦争はその結果)。
大人の価値観に反抗する「僕たち」は、大人に敷かれたレールではない、自由な道の方に進もうとしている。
大人の世界のことは「見ない」「聞かない」…しかし、「言えない」ことがある(ここは『言わない』ではないところがポイントですね)。
この「言えない」ことというのが、心の底で抱いている、大人の世界への好奇心・興味なのではないかと考えます。
大人の世界に反発しつつも、「大人にならない?」という誘惑を完全に振り払うことはできずにいる。
誘いかけている「扉」を開けてしまうと、もう元には戻れない…子どもの世界には戻れないのでしょうね。
どうして「熱病」なのか?
最後に読み解きたいのは、この歌のタイトルがなぜ「熱病」なのか、です。
「熱病」の歌詞は、1番も2番もラストも、このように締めくくられます。
教えて教えて 秘密を教えて いっそ熱病
この「秘密を教えて」という部分は、ここまでの解釈に従うなら「大人の世界の秘密を教えて」という意味になります。
「秘密を教えて」には、「いっそ熱病」というちょっと謎めいた言葉が続きます。
「いっそ」という副詞は、思い切ったことを決める時に使うもので、「もう、いっそ熱病になってしまおう!」みたいな投げやりな歌詞にも聞こえます。
でも、それだとちょっと前後の文脈とつながりにくい…。
ちょっと乱暴かもしれませんが、ここは「いっそ」ではなく「一層(=ますます)」という意味で解釈してみると…
「秘密を教えて」と大人の世界を知ると、大人の世界の狡さ・汚さみたいなものが見えてしまい、ますます大人になりたくなくなる。
しかし同時に大人の世界には禁断の魅力(≒恋愛)もあり、大人になりたい気持ちも芽生えてきて、子どものままでいるのか大人になるのかを、ますます迷うようになる。
この「子どものままでいたい、でも大人にもなりたい」という年齢特有の葛藤のことを、「熱病」というワードで表しているのではないか…と考えます。
まとめ
中島みゆきさんの「熱病」の歌詞の解釈でした。
この歌が「子どもが大人になる途上」を歌っていることは間違いないと思うのですが、細かい部分の解釈は非常に難しかったです。
でも「ずるくなって腐りきるより阿呆のままで昇天したかった」って、何だかなつかしい感覚です。
反抗期まっただなかの年齢の時は、いろいろと大人に腹が立つことが多く、個人的には戻りたい時代ではないです。
あの頃の自分は未熟で自己中心的でどうしようもない…と思いますが、「阿呆のままで昇天」するエネルギーってのは確かにあったかもしれない。まあ、それでも戻りたくはないですけどね!