2022年夏の高校野球で、実にセンセーショナルだったのが、準々決勝で下関国際が大阪桐蔭を破ったことでしょう。
「番狂わせ」「下剋上」「ジャイアントキリング」などと話題になった一戦ですが、高校野球ファンにとっては、もしかしたらもっと大きな意味を持つ試合になるかもしれない…という感覚があります。
私がこの試合で、「後々大きな意味があるかもしれない…」と思ったことは大きく3つあります。
- 甲子園のお客さんが下関国際の攻撃に手拍子をしたこと
- 大阪桐蔭を倒したのが「大阪桐蔭型」のチームではなかったこと
- 下関国際が低い打球を打つことに徹したこと
この3つのことが、今後の高校野球界に影響をもたらすかもしれない…という思いを記事にしてみます。
甲子園で大阪桐蔭がアウェーになった意味
2022年の大阪桐蔭の春センバツでの優勝は、ここ数十年でもあまり見ないほどの圧勝でした。
2回戦が不戦勝となり、ただでさえ巨大戦力の大阪桐蔭の日程が楽になった影響は大きかったですが、それを差し引いても、準々決勝以降のスコアはまるで地方大会のようでした。
大阪桐蔭が強いとはいっても、甲子園で準々決勝以上に勝ち進むチームと、こんなに戦力差があるなんて…。高校野球はもうすぐコンテンツとして終わってしまうのではないか…。
その絶望感の表れのように、春のセンバツはいくら春とはいっても、近畿のチームが多く勝ち進んだ割には客入りが悪かったです。
近畿どうしの決勝となった近江戦では、地元の大阪桐蔭よりも明らかに近江応援の方が多く、もっと驚いたことには、準決勝の東京・国学院久我山戦でさえ、久我山応援の方が若干多いのではないか…という雰囲気でした。
松坂やハンカチ王子みたいなスターがいない限り、甲子園で関東(特に東京)の高校が応援されることは、そうありません。
この流れは2022年の夏も続き(埼玉の聖望、東京の二松と対戦した時も大阪桐蔭の応援が多い感じがしなかった)、大阪桐蔭が敗戦するかも…となった下関国際戦終盤でピークを迎えた感じがしました。
地元の大阪桐蔭が、甲子園で応援されないという意味。
観客がなぜ大阪桐蔭を応援しなかったのかを推測すると、相手の下関国際も野球留学が多いチームであることを考えると、越境入学への反発ではないでしょう。
やはり過剰すぎると言われるスカウト…県外・近場関係なく、全国選抜などの肩書がある選手を集めすぎて、他チームとの戦力差がありすぎることに対するマイナスの感情…でしょうね。
もちろん高校野球のチームはファンの期待に応える必要はなく、チームを強くするための努力は自由です。
とはいえ、私学が野球部強化をする目的は宣伝効果もあるでしょう。
世間の反応を試合で体感したことで、大阪桐蔭野球部のチーム作り、選手集めの方法が、少し変わってくる可能性はあるかもしれません。
大阪桐蔭を倒したのは大阪桐蔭のフォロワーではなかった
最近、高校野球でよく話題になる「大阪桐蔭強すぎ問題」に対する私の考えを書いた記事はこちらです。
この記事に書いたように、私は大阪桐蔭の過剰スカウト以上に、大阪桐蔭を追いかける立場のチームが大阪桐蔭化しつつあることを憂慮しています。
大阪桐蔭を大阪桐蔭化したチームが倒しても、昨今の風潮は何も変わらないよなあ…。
…なんて思っていましたが、今回大阪桐蔭に勝った下関国際は、大阪桐蔭化とは決して呼べないチーム。
県外から入学している選手は大阪桐蔭以上に多いくらいですが、大きく違うのは中学時代の肩書。
球歴ドットコムの「最近のスタメン」で確認すれば一目瞭然ですが、全国選抜はもちろんのこと、地域選抜の肩書を持っている選手も見当たりません。
大阪桐蔭どころか、強豪校の中ではそれほどスカウト型ではない近江とくらべても、下関国際の選手たちがどれだけ「無印」なのかがわかります。
監督さんの情熱的な指導、それにしっかりついていく選手たちによって作り上げられた、「後天的」チームだと言えるでしょう。
最近の高校野球では大阪桐蔭が強すぎて、全国制覇のためにはその壁を超えなければなりません。
「大阪桐蔭に勝つため」に「大阪桐蔭化」=肩書のある中学生のスカウトを強化しているチームは少なくないと感じますが、今回大阪桐蔭を破った下関国際は、大阪桐蔭のやり方に追従していません。
すべてのチームが下関国際と同じやり方で成功するわけではないでしょうが、肩書のある中学生を集められないチームに、希望を与えたという意味は非常に大きいでしょう。
また王者に勝つために王者と同じ道を進もうとしているチームにも、一考の余地をもたらしたのではないか…とも思います。
「今この試合」を勝ちにいく戦術は復活するか?
下関国際の試合を見て強く感じるのは、「センターから逆方向までの範囲に低い弾道で飛んでいくヒットの多さ」です。
また下関国際は、常にバント戦術というわけではないですが、ここぞというときにはしっかり送り、スクイズも攻撃オプションの一つです。
私は著名な野球ライター西尾さんが書いたこの記事とはまったく反対の感想を持っていて、むしろ高校野球ではバントや逆方向へ転がす打球が減ってきて、フライアウトOKの風潮が増えてきたと感じます。
「フライボール革命」なんて言葉が聞かれるようになって久しいですし、フライを打つ指導をするチームは、プロを目指す子(の親?)に評判がよいという話も見聞きします。
私が応援している東京のチーム(今年は甲子園行けると思ったんだけどなあ…)も、打撃はフライ打ちが顕著で、バントもスクイズも多用しません。それはチーム方針としてアリだと思うのですが、
前半のチャンスでスクイズで加点してれば試合勝てたかもしれないよなあ…。後半は打ち上げてばっかりで疲れている相手投手を助ける攻撃になっていたよなあ…。
…なんてことを、甲子園を逃してから2週間くらいぼんやりと考えている自分がいました(笑)。
もちろん目の前の甲子園よりも、もっと長い野球人生のために、フライ打ちを推奨するという選択は理解できます。
ですが、リードされている場面や格上との試合でもフライ打ちに徹することは、相手を楽に勝たせることにもつながりかねません。
下関国際も常に「ノーステップ打法」や「ゴロ打ち」をしているわけではないので、「今この試合を勝つための最善策」を取っているのだと思います。
そして、この「今この試合を勝つ」という気迫が、春の優勝校や準優勝校との試合に勝つ原動力となったのかなあ…と。
投手の球数制限に代表されるように、最近の高校野球では「目の前の勝利より未来の野球人生が大事」という風潮があります(これはもしかしたら現場ではなく世論の風潮かもしれないけど)。
でも実は、目の前の勝利を知恵と気迫でもぎとる経験は、大人になってから何度か経験するであろう人生のピンチを乗り切るための、目に見えない力になる可能性だってあるんですよね。
脱線しました!話を戻します。
下関国際の大阪桐蔭戦での決勝点は、投手の頭を越えて前進守備の二遊間を抜く、緩やかなゴロヒットによるものでした。打球が緩かったために2塁走者まで生還しての逆転劇です。
試合に勝つために今この場面で必要なバッティング、ですね。
私はフライ打ちを単純に否定する気は全くありませんが、下関国際の戦い方が高校野球のバッティングにもし影響を与えたなら、劣勢なチームが終盤まで粘る面白い展開の試合が増えるのではないか…と期待する気持ちがあります。
まとめ
いろいろ書きました!
最後に「下関国際VS大阪桐蔭の結果が高校野球界にもたらすかもしれない変化」について、考えをまとめておきます。
全部「かもしれない」ですけどね。
下関国際は独特なチームなので、賛否両論あると思いますが、私は大好きです。
強くなればそれに伴って外部からの圧力も増えてきますが、今まで通り自分たちの野球を貫いて、高校野球界を盛り上げていってほしいです。
応援しています!