2022年のセンバツ高校野球大会。
優勝の大阪桐蔭は、準々決勝以降の試合が圧倒的大差での勝利となりました。
私は準々決勝と決勝をテレビで見ていましたが、自分でも驚くことに、途中でテレビを消してしまいました。
何が驚くって、私は結構な高校野球オタク。
これまでは大会終盤の試合はどんなに大差がついても、テレビの前に鎮座して観戦はしなくても、何か作業をしながら横目で試合を見ていたものでした。
しかし今回は何だかせつなくなってしまって、テレビを消してしまいました。
「このままではいつか起こる」と思っていたことが、コロナ禍の影響もあって、思った以上に早くやってきてしまったというか…。
決勝戦が近畿対決なのに(コロナ禍を考慮に入れても)観客が少ないとか、地元大阪の攻撃の際に観客が静まっていたとか…ちょっと異様な光景もせつなくて、何だか見ていられなかったです。
もちろん今回の大会を最後まで楽しんだファンもいたでしょうが、私のようなせつなさを感じたファンも少なくはなかったのでしょうか。
高校野球はこれからどうなるのか、何か手を打つべきなのか、それとも打たないべきなのか。一人の高校野球ファンとして考えをまとめてみようと思います。
これは「好みの問題」であり「べき論」ではない
まず最初に断っておきたいのは、高校野球はアマチュアの競技でありファンの期待に応える必要はまったくないということです。
ひとつのチームが強くなりすぎて高校野球人気が落ちたとしても、それは批判される筋合いはありません。
率直な立場を書くと、私は大阪桐蔭のファンではありません。
それは私がプロ野球選手の卵を集めた「先天的チーム」より、チームカラーに合った、野球はうまいけどどちらかといえばアマチュア寄りの選手を集めて鍛え上げる「後天的チーム」が好きだという、好みの問題です。
ですので昔からPL学園や横浜は応援しないことが多かったですし、智弁和歌山は2000年頃までは大好きでしたが、スカウト型に切り替わりつつある今は昔ほどは応援していません。
逆に智弁和歌山は昔より今の方が好きだという方もいるでしょう。高校野球のチームが、個人個人の高校野球ファンの好みに応えようとするのは不可能なことです。
この記事には素材の良い選手がたくさん集まったチームを批判する意図はないことを、まずはご承知おきください。
熱心なスカウトと越境入学は違う
今回、大阪桐蔭が強すぎたことを嘆く声は少なくないですが、それに対し「県外選手が多いチームは他にもあるのに大阪桐蔭だけが言われのるはおかしい」という反論をよく目にします。
今回の「大阪桐蔭強すぎ問題」に対し、県外選手の多さを指摘するのは確かに的外れです。
ですが多くの高校野球ファンが問題にしているのは、越境入学ではなく、スカウトが熱心すぎるのではないかということです。
私のようにそれほど中学野球に詳しくない者が、中学の有名選手がどれだけ集まっているかを知るのに、一定の目安となるのが球歴ドットコムというサイトです。
球歴ドットコムでは、その選手が過去に所属したチームがわかるようになっていて、所属したボーイズやシニア以外に地域や全国の選抜チームに選ばれている場合は、その肩書がズラッと並んでいます。
選抜チームもいろいろなので一概には言えませんが、目安としては肩書がズラッと並ぶのは中学からの有名選手、ボーイズやシニアの所属くらいしか記載がない場合はそれほど中学時代の肩書はないと考えられます。
確認したい高校を検索し「最近のスタメン」を見ると、スタメンの中学までの肩書が見れるようになっているのですが、これが大阪桐蔭の場合はスサマジイ…。
決勝の相手・近江とくらべると差が一目瞭然ですし、この年代では大阪桐蔭の次くらいにスカウトに成功しているのでは?と言われる浦和学院や智弁和歌山とくらべても、結構な差があるのがわかります。
中学時代の実績だけで強いチームができるわけではないので、大阪桐蔭が選手をしっかり育てているということに疑いはないですが、大阪桐蔭に肩書のある選手が集まっているのは事実だと言えるでしょう。
これらの選手たちがスカウトなしで純粋に望んで入学しているのか…ということは推測の域は出ませんが、高校野球に関する記事や本を読むと、ある程度のスカウティングは行われている可能性が高いと推察されます。
加熱するスカウト合戦が広げる差
さて、私が大阪桐蔭に中学時代の有名選手が集まりすぎていること以上に気にしているのは、大阪桐蔭を追う立場にある強豪校が、ミニ大阪桐蔭化しつつある…ということです。
大阪桐蔭に勝つために、大阪桐蔭のように肩書のある選手を必死で集める…そんな風潮を感じているのは私だけでしょうか?
智弁和歌山は全盛期は各学年県外選手は2名までで、あとは和歌山県内の、それほど全国的には有名でない選手でした。2000年の優勝時の4番池辺は中学では軟式の下位打者だったほどです。
ですが大阪桐蔭への敗退を繰り返した後、新監督は長い間なかった寮を設置し、全国から選手を集めるようになり、U15代表もコンスタントに入部するようになり…それで久しぶりに全国優勝したわけですから、勝つためには正しい選択だったということになるでしょう。
東海大相模も昔からスカウトはさかんでしたが、S級と呼べるような選手は多くても年に2~3人程度で、あとはそこそこ能力のある選手が、アグレッシブベースボールのチームカラーに染まることで勝ち進むという感じでした。
こちらも監督交代の影響もあるのでしょうが、相模も毎年、中学の超有名選手が何人も入ってくるようになったなあ…という印象です。
その結果として…大阪桐蔭と他チームの格差も広がっているけど、スカウト熱心なチームとあまりスカウト型でないチームとの格差も広がってきている気がします。
現在の王者が「スカウト型」であるため、他のチームがそれに追随するのは自然な流れなのでしょう。
スカウト型チームの覇権が少子化時代を直撃してしまった…
さて、大阪桐蔭のようなスカウト型のチームの元祖はPL学園です。
私はPL学園の全盛期である80年代の高校野球については知りませんが、90年代のPLは、高校野球の盟主の座から降りつつありました。
全盛期の80年代も、記録だけ見ると現在の大阪桐蔭ほどは勝っていません。春夏連覇も1回だけです。
なぜPL学園が現在の大阪桐蔭ほどは強くなかったかというと、やはり野球少年の絶対数が今とは違ったからでしょう。
PLがどれだけ集めても上手な野球選手はまだまだ残っていて、うまくチームを作れば、チームの力が個の力を凌駕していた時代だったわけですね。
また、90年代後半にPLから盟主の座をバトンタッチした智弁和歌山は(当時は)スカウト型ではなかったため、全国的にスカウティングの嵐が吹き荒れるとまではいかなかったというのもあるでしょう。
PLや横浜などのスカウト型チームが集めきれなかった野球選手が集まることで、地方に単発的に強いチームができることもありました。
今回つくづく不運だなと思うのは、大阪桐蔭のようなスカウト型チームの覇権が、少子化の時代とバッティングしてしまっていることです。
強豪校が少子化時代にスカウトに躍起になれば、数少ない金の卵を争って…大阪桐蔭が取った後に残った選手を、いくつかのチームで取り合って、それでも残った選手が散らばって…結果として、多くの地区で強いチームが固定化されていく流れを感じます。
土壌がやせれば私学は高校野球から手を引いていくかも…
さて、実は高校野球において中学生のスカウト行為は禁止されています。
えっ?噓でしょ!?普通にどこのチームもスカウトしてるじゃん!
…と私も何度も思うのですが、実際は禁止されているんですね。最近読んだこの本にも書いてありました。
現在のスカウト合戦が少子化とバッティングしてチーム格差を広げていくことを危惧するなら、ほとんど形骸化しているスカウト禁止のルールをもっと厳しくするという方法が考えられます。
ですがこういったスカウト活動にはいくらでも抜け道があるわけで(たとえば小学生から勧誘して付属中学や関係の深いボーイズ・シニアに入れるとか)、おそらくイタチごっこになるでしょう。
では、どうするか。
現段階の私の考えとしては「何もしなくていい」…と思っています。
その理由の一つ目は、高校野球にはただの部活動を超えた「文化」という側面があり、その「文化」を守ることは大事かもしれないけど、学校経営の努力や子どもたちの進学の自由はやはり制限できないのではないか…と思うからです。
そして二つ目の理由は、このまま何もしなくてもスカウト合戦はいつか下火になるのではないかと考えています。
スカウト合戦と少子化のコラボでチーム格差が広がると、今回のセンバツ大会で見られたように、高校野球は盛り上がりに欠け、人気は低下していくでしょう。
で、人気が下がって広告効果が少なくなれば、高校野球に本腰を入れている私学は、高校野球から撤退、もしくは投資を減らすことが考えられます。もう履正社なんかはその準備が始まっていそう…。
また、どれだけ甲子園で勝っても、ヒール校になり学校のイメージダウンとなっては本末転倒です。熊本の秀岳館もあれ(=甲子園でヒール扱い)からパタッと甲子園に来ないですね。
もしかしたらこれから起こりそうなことは、甲子園人気が低かったと言われる90年代半ばに起きたことなのかもしれません。
1990年代の甲子園は80年代のPLの連勝によって飽きられた、サッカーが台頭してきた…などの理由であまり盛り上がっていませんでしたが、当時10代だった私にとってはとても面白いものでした。
PLや横浜などのスカウト型高校も毎年強いわけではなく、その年によって強いチームが違い、長野の松商学園が1年だけ強いチームを作ることもありました。奇跡のバックホームも松山商-熊本工という、地方の公立どうしの決勝でした。
1990年代の甲子園の特徴として、「甲子園で活躍すること≠プロで活躍すること」だったため、マスコミは騒ぎにくく、大衆受けはよくなかったのかもしれません。
この時代に甲子園が満員になることは少なかったですが、ささやかに面白い時代だったため、そこからじわじわと甲子園人気は上がっていき、松坂の横浜で一気に人気が回復し…そんな歴史をたどりました。
松坂の横浜は非常に強いチームでしたが、一強ではなく接戦や名試合が多かったため、かなり全国的に盛り上がったんですよね。
そんなわけで、現在の状況はせつなくはありますが、あまり悲観はしていません。
高校野球人気は低下するかもしれませんが、人気低下→超強豪私学の撤退→群雄割拠の戦国時代→スーパースター登場で人気復活…こんな感じで高校野球は歴史を繰り返すのではないかと思います。
しばらくはアダム・スミスの「神の見えざる手」的なものにまかせて、何もせずに様子を見るのもありなんじゃないでしょうか。楽観的すぎるかもしれませんが。
まとめ
…長くなってしまいましたが、これが現在の私の考え…というところです。まとめてみます。
思い出すのは、90年代後半に独特の少数精鋭のチーム作りについて語っていた智弁和歌山・高嶋監督の考え方です。
高嶋監督が少数精鋭のチーム作りをした理由のひとつが、過剰なスカウトによって他校との軋轢を生まないことだとおっしゃっていました。
また常総学院の元監督・木内監督も、強いのは3年に1度くらいでよいという考えだったと何かで読んだことがあります。
高嶋監督や木内監督は、高校野球という土壌そのものがやせることは、自分たちのチームにいずれ返ってくることがわかっていらっしゃったんだろうなあ…と。
高校野球の選手を資源と捉えるのは好きではないのですが、あえてこの見方をしてみると、資源の少ない(=少子化)世界で資源を奪い合うことは世界のためにはならず、ひるがえって自分のためにもならない…という哲学が頭に浮かびます。
もしかしたら今回のセンバツで感じたせつなさは、大げさに言えば世界の真理を思い知ったことから来たのかな…なんて思っています。