高校野球小説の「ひゃくはち」を読んでみました。
さっそく感想文です!
「ひゃくはち」はどんなお話?
「ひゃくはち」は高校野球を描いた小説で、高校を卒業して8年が経過した主人公が、高校時代を回想する感じの物語です。
舞台となるのは架空の京浜高校野球部。
神奈川県の強豪校のひとつで、「甲子園」を現実的な目標としているチームです。
主人公の青野雅人は野球推薦ではなく一般入部した部員で、ベンチ入りの当落線上にいます。
ただ、甲子園を目指す強豪校でありながら、朝から晩まで野球漬けという感じではなく、週に一度の休みには女の子と合コンと、野球以外の生活もしっかり楽しんでいます。
甲子園に行きたい気持ち、ベンチ入りメンバーに入りたい気持ち、女の子と遊びたい気持ち…そんないろんな「煩悩」が絡みあい…若気の至りも感じるような、ちょっとほろ苦い青春小説となっています。
野球のシーンは結構登場しますが、野球小説というよりは青春小説という感じですね。
漫画で言えば、「ダイヤのA」より「タッチ」の方が近いイメージです。
「ひゃくはち」の作者・早見和真さんは野球強豪校出身!
「ひゃくはち」の作者の早見和真さんは、ドラマ化もされた「イノセント・デイズ」が代表作の人気作家です。
実は早見和真さんは、神奈川の桐蔭学園の野球部出身です。
現在の神奈川県の高校野球は東海大相模、横浜、桐光学園といったチームが強いですが、1990年代は桐蔭学園は神奈川の強豪のひとつでした。
高橋由伸とか高木大成の母校で、高卒でプロには出さない進学校として知られていました。
早見さんは1977年生まれで、高校に在籍していたのは1990年代後半となり、桐蔭学園野球部の全盛期に近い頃を知っている感じだと思います。
「ひゃくはち」に描かれる京浜高校は、ユニフォームがグレーだったり、進学校だったりと、桐蔭学園を彷彿とさせる部分もあります。
ただ、桐蔭学園が「東の横綱」と呼ばれるほど強かったことは記憶にないので、完全に桐蔭学園ではなく横浜高校のイメージも混じっている感じもあり、架空のチームだと思って読むのがよさそうです。
ひと昔の高校球児はこんなだったなあ…
さて「ひゃくはち」は高校野球小説ですが…若い読者が読むと、何ともリアリティがなく「ナニコレ!?」感が強いのではないかと思います。
監督さんは問答無用の暴力監督(しかし有能で選手に愛がないわけではない)。
選手たちは日々のタバコは当たり前、休みの日には女の子とお酒まで入る合コンに明け暮れる…。
こんなことを京浜高校のような甲子園に数年に一度出るレベルの高校の野球部がやってたら、現在なら間違いなく大スキャンダルです。SNSではお祭り騒ぎでしょうね。
しかし…一昔前…20~30年前の高校球児のリアルって実はこんな感じだったのだと思います。
1980~90年前半にかけて強かった高校と言えば、PL学園、天理、帝京…。
この頃のPLと天理は部員による不祥事を何度も起こしていましたし、帝京は不祥事はあまり記憶にないですが、とんねるずがバラエティで広めた名物監督の罵声は有名でした(今は時代に合わせて丸くなったけど)。
要するに高校野球界では「ワル」が強かった時代で、「ワル」はむしろ強いチームの条件くらいに思われていた感もあったのです。
まあ高校野球に限らず、社会全体の時代の雰囲気というものもありました。
私は著者の早見さんより一歳年下ですが、高校時代の文化祭の打ち上げなどには必ずお酒が入りましたし、タバコを吸う人も何人かはいました。
未成年の酒・タバコに寛容だった時代なんですよね。
なぜ現在の高校球児は「ワル」でいられなくなったのか…というと、いくつか理由が考えられます。
しかし、私は「昔の方がよかった」なんて言う気はサラサラありません。
ヤンキー球児を否定する気はありませんが、現在みたいにマジメ系球児が主流で、たまに彩り程度にヤンキー球児がいる方が好きです。
そんなわけで「ひゃくはち」の京浜高校を応援する気には全然なれませんねー。
京浜高校はヤンキー方向に振り切れていないところがダメですね。時代の空気に合わせてるだけって感じがします。
それにくらべると、京浜高校が甲子園で当たった山藤学園の方が好きです。
主人公が山藤学園のプロ注選手を見て
表情や立ち居振る舞いから野球への愛がほとばしる。タバコなんか吸ってる俺たちみたいなのが勝っちゃいけないのかなと、そんなことすら思わされた。
…と心でつぶやきますが、「そうね、特に信念もなくタバコなんか吸っているあなたたちみたいのが勝っちゃダメ!」と思っちゃいました。
この私の考え方は、後で述べる「高校球児はこうであれ」という価値観に、少し縛られているのかもしれません。
高校球児は聖人にあらず
さて春のセンバツに出場し、優勝候補の山藤学園と感動的な延長戦まで演じた京浜高校は、最後の夏大会を前にチームが崩れてしまいます。
一人の部員(ノブ)の彼女が妊娠してしまい、子どもを産むことを決めたのがきっかけでした。
ノブはチームの精神的中心メンバーではありますが、ベンチ入りメンバーではありません。
たった一人の部員のことで、チームはひどく動揺してしまいます。
この動揺は高校生からしてみればそんなものなのか、それともセンバツに出たことでスキャンダルにされたくないという気持ちがあったのか…よくわかりませんが、京浜高校野球部はこの問題にスマートに対処できませんでした。
読者の私からすると、ごく個人的な問題ですし、彼女のサイドが大騒ぎしているわけでもないですし、甲子園で活躍した選手ではないのだからマスコミに知られたら大変ということもないですし、野球部が関わる問題ではないのでは…?と思うのですけどね。
まあこのへんは私が読者だからクールに考えてしまうんでしょうね。
チームにとっては、一緒に甲子園を本気で目指していたはずの仲間に「このチームで甲子園に行く」ことより優先することがあったのがショックだったのかもしれません。
それと同時に、「高校球児という価値観」に囚われていたという側面も見逃せません。
結局、僕たちは一介の高校生ではいられなかった。僕たちには野球以上のものがあっちゃいけなかった。
「あんたらタバコも酒も女遊びもしてるじゃん!」とツッコみたくなりますが、まあそれは置いといて、高校野球を考える上でこれは深いなと思います。
「高校球児はこうでなければならない」という強制力。
最近の話ですが、神宮大会を観戦した際に、強豪チームの部長と主将がユニフォーム姿で神宮球場の近くを歩いているのに遭遇したことがあります。
観客はみんな横断歩道を無視して道路を横切っているのに、部長・主将だけはわざわざ遠回りして横断歩道まで行き、信号が青に変わるのを待っていました。
これを見た時、私はなんだかやるせない気になったんですよね。
高校の野球部は別に「普通」でいいと思うんだけど…。でも、誰かが動画にとって「強豪校が横断歩道を無視」などと拡散する恐れは確かに否定できないよなあ…。
以前から高校球児には清らかな聖人であることを要求する空気がありました。
面白いことに、甲子園に手が届くような強豪校でなければ、この変な聖人化は要求されないのですが。
そしてこの空気は、現在は明らかに強まっていますね。
高校球児は私たちと同じ生身の人間、しかも未成年で、私たちと同じように間違いをおかすこともあるのだということ。
「ひゃくはち」の舞台は20年以上前の高校野球ですが、このメッセージはむしろ現在の(私も含めた)高校野球ファンに届いてほしい気がします。
まとめ
「ひゃくはち」を読んだ感想でした。
重い出来事も含まれますが、笑えるタッチで描かれた部分も多い、軽快な青春小説という感じです。
現在の高校野球のリアルではなく、一昔前の高校野球の姿を描いていますが、いくつかのテーマは現在の高校野球においてもまったく古くなく、考えさせられます。
著者の早見和真さんは、東京六大学を舞台にした「6(シックス)」という小説も書いています。
「6(シックス)」を読んだ感想はこちらです!