PR

2022年センバツ近江と浦和学院の対照的な投手起用は「どちらも正しい」

高校野球
記事内に広告が含まれています。

2022年のセンバツ。

決勝戦は大差になりましたが、延長戦やサヨナラ試合も多く、「実は好試合が多かったな」と思っています。

そのひとつが準決勝第一試合の近江VS浦和学院。

この試合では、両校のエースの投手起用が対照的でした。

雨天順延の影響で決勝戦前の休養日がなくなり、連戦が決まっていたこの試合。

近江はエース山田が準決勝でも延長戦を完投し、浦和学院はエース宮城を最後まで温存しました。

ぽこ
ぽこ

たぶん近江の投手起用で騒ぐ声があがるだろうなあ…。

…と思っていたら、予想通り近江の投手起用を批判する記事のオンパレード。

投手起用に関する当ブログの考え方は既に記事にしてありますが、今回、この具体的な事例について、考えてみようと思います。

近江は一戦ずつ勝ちに行き、浦学は優勝を狙った

近江は連戦となる1戦目の準決勝でエースを先発させた。

浦和学院はあるかどうかわからない連戦2試合目の決勝にそなえて、エースを最後まで温存した。

この選択から想像できるのは、「近江は一戦でも多く勝ちに行った」「浦和学院は優勝を狙った」というチーム目標です。

(このチーム目標が当たっていると前提して)目標と照らし合わせると、どちらの投手起用も「それしかない」という選択です。まったく間違っていません。

近江のエース以外の投手陣で浦学の強力打線を抑えるのは難しいですし、浦学にとっては1試合少ない元気な状態で決勝戦で待っているだろう大阪桐蔭(可能性としては国学院久我山よりこちらが高かった)と戦うためには、エース宮城を万全の状態で残しておくしかなかったでしょう。

忘れてならないのは、近江は大会開幕2日前に急遽出場が決まった、補欠からの出場だったということです。

「センバツで優勝する!」なんて目標を急にチーム内で掲げることなど不可能ですし、センバツ辞退となった京都国際とはチームどうし付き合いがあったようで、外野の人間にはわからない思いもあったことでしょう。

そんな状況で、とりあえず目の前の試合を1試合ずつ全力で戦っていく…私は今大会の急遽出場した近江の戦いぶりは見事だったと思っています。

それに対し浦和学院は昨秋の段階でセンバツ出場は決まっていたようなものですから、センバツ大会に対する具体的な目標に向けて、かけてきた時間が違います。

また浦学はセンバツ優勝を経験したことがあるので、優勝できないのであればベスト4で負けようと準優勝しようと同じ…という感覚も多少はあったのではないかと思います。

「優勝するためには準決勝で宮城を休ませるしかない」という戦略が、最後までブレなかった浦学の覚悟もまた見事でした。

「エースを出さずして負けるなんて…」という批判があるのではないかと少し心配しましたが、そこらへんは最近全国優勝を経験している埼玉の余裕といいますか、肯定する声が多くてよかったなと思います。

「どちらが正しいか?」という問い自体がナンセンス

試合自体は、エースを先発させて「一試合ずつ勝ちに行った」近江が勝利しました。

ですが現代の高校野球の世論を考えると、近江の投手起用は叩かれるだろうな…と思っていました。

死球を足に受けた後はマウンドに足をひきずりながら上がっていましたから、ああいう絵面はファン(アンチ?)の怒りを買うだろうなあ…と。

投手が死球や打球を受けた後に続投を断念するのは、明らかに大ケガでありドクターストップがかかるか、もしくはその影響で投球フォームがおかしくなったり、ストライクが入らなくなったりする場合です。

山田投手の場合は死球後にピッチングが乱れなかったので、続投することにはそんなに問題を感じなかったです。

問題は、初戦から積み重なっている投球数に死球による痛みが加わることで、疲労が大きくなりすぎないかということだったと思います。

この疲労と、目の前の試合に勝ちたいという気持ち、高校野球にかける思い、将来の野球ビジョン(将来は投手なのか野手なのかも含めて)、自分やチームの価値観…ここらへんを考慮してどうするかを決断するのは、当然ながら当事者たちです。

この当事者たちの状況は、外部の人間からは計り知れないです。「投げさせるな!」と一方的に責める部外者は、いったい何を判断材料にしているのだろう…と思います。

当ブログでも何度か書いてますが、スポーツを成り立たせているのは「愚行権」。

スポーツは日常生活では考えられない危険な行為であることもありますが、他者に迷惑をかけない限り、その行為に身をおくことは自由なのです。

投手の投げる/投げないも、強制されない限りは「愚行権」の範疇にあります。

批判を浴びた近江の投手起用も、真逆の采配となった浦和学院の起用法も、現場が納得しているかどうかが全てだと思います。

「試合は近江が勝ったがどちらが正しいかは5~10年後にならないとわからない」みたいな、暗に近江の投手起用を批判している記事もありましたが、これは問いの立て方自体がナンセンスだなあ…と思いました。

投手の故障の原因は投げすぎが全てではないですし、投げなかった方の投手が大成しなかった場合は「この試合で投げずに精神力が磨かれなかったせいだ」ということになりますか?

人の価値観はそれぞれ。正しい答えなどないです。

時代が要求する正しさは絶対的正しさではない

さて、今回の準決勝の投手起用、近江を批判する声は多かったですが、浦和学院を批判する声はほとんどありませんでした。

コレ「時代の流れを感じるな~」と、つくづく感じます。

10年前…は近すぎるかな、15年以上前の高校野球であれば、どちらかといえば浦和学院の方が批判にさらされていたと思います。

「トーナメントにおいて次戦を見据えてエース温存だなんて舐めたマネをしたから負けたのだ」…と。

具体例として思い出すのは…2000年夏の準決勝で、兵庫の育英高校がエースを温存して東海大浦安に負けた試合ですね。

育英は戦前の予想では有利とされていましたが、エース以外の投手が先発して失点を重ね、エースが登場した時にはもう試合が決まっていた…そんな試合でした(東海大浦安は背番号4をつけた実質的なエースが連投で先発しました)。

私はこの試合を甲子園で観戦していましたが、育英は地元兵庫のチームだったこともあり、周囲のお客さんはプルペンで投げたそうにしているエースを見て、「何で投げさせないんだ!」とお怒りの方が多かったです。

この頃は休養日がなく、準々決勝から決勝まで三連戦だったので、現代の感覚で言えば、育英のように準決勝でエースを温存するのはむしろ当然の采配でしょう。

育英はもし決勝に勝ち進めば、相手は記録的猛打の智弁和歌山と決まっていたので、今に思えば監督さんは今回の浦学のように、優勝を見据えてエースの先発を回避したのかなあと思います。

ですが当時は「先を見据えて目の前の試合を落とすなんて監督の失敗采配だ」と責める声が多かったですし、私自身も「高校野球で先を見ると負けるんだよな~」いう感想を持ちました。

何が言いたいかというと、その時代の雰囲気が作り出す価値観は正しいとは限らない、時代が変われば「正しさ」の基準は変わってくる…ということです。

現代は「投手をなるべく投げさせるな」という価値観が主流です。

度を超えた投球数・連投は、故障に結びつきやすいというのは事実なのでしょうが、私の感覚だと、投球数の多い投手は故障し、投球数の少ない投手は故障しないという単純図式は成立していないように感じます。

ぽこ
ぽこ

甲子園決勝までほぼ一人で投げぬいて、プロの世界で活躍している投手も複数存在していますね。

高校野球においても、完投はほとんどない、登板は間隔を空けて使われている…そんな投球機会の少ない投手が肩肘を壊すケースは珍しくありません。

逆にほとんど一人で投げぬいているのに、まったくケガのない投手もいます。

もちろん本人の意志を無視して、異様な投球数を投げさせることは、投手生命うんぬんとは関係なく決してあってはならないことです。

しかし現在では甲子園も地方もなるべく間隔を空けた日程になっていますし、監督の絶対命令で投手がマウンドに上がるケースもほとんどないでしょう。

現在よく目にする「とにかく投げさせるな!」いう反応は、やや過剰で思考停止的なものに感じられます。

今後エビデンスが積み重なっていくと、高校時代の投手の投球数は、その後の故障と必ずしも比例しないという結果が出る可能性だってあります(可能性の話です)。

現段階での自分の考えを表明すること自体は間違っていませんが、その時代における正しさが、絶対的に正しいとは限らないということは、自分自身も肝に銘じたいと思っています。

この試合で見えた問題点をひとつだけ

浦和学院VS近江の試合の話になっているので、ついでではありますが、この試合で気になったことを一つだけ書いておきます。

エースの先発を回避した浦和学院。地元近江の応援が多い中、甲子園初先発となった先発投手は、何とか甲子園の圧を乗り切って、4回まで投げ切りました。

5回から2番手投手が出てきて、この投手は甲子園の登板自体が初めてでした。

近江プッシュの甲子園の雰囲気に吞まれないか心配でしたが、非常に落ち着いた投球でテンポよく2アウトを取りました。

「この雰囲気の中、甲子園初マウンドでよく投げてるな~」と感じた矢先に、球審の方から注意を受け、これがなかなか長い時間がかかり、ちょっと間が合いてしました。

「流れが変わりそうなくらい間を取ってしまったな…」と思ったのですが、案の定、この後にコントロールを乱し、三連続で四死球を出し…この中に近江の山田投手への死球も含まれてしまいました。

あれはいったい何の注意だったんでしょうね?あの場面で、あれだけ時間をかけて注意をしないといけないほど大きな問題があったのでしょうか?

見てる方からはわかりませんでしたし、テレビの解説者も特に何も問題点を指摘していませんでしたが…。

長い時間がかかる注意だったら、よっぽど緊急性が高いものでなければ、あと1アウト取るまで待って、イニング間の攻守入れ替えの際に注意を与えれば良かったのではないでしょうか。

あの「間」があったせいで、山田投手への死球が生まれてしまったと言える流れだったため、浦和学院にも近江にもどちらのためにもならない「間」となってしまいました。

注意点が何だったかがわからないですし、球審の方を個人的に批判はする気は毛頭ありませんが、審判は人間で裁量が効くわけですから、選手に注意を与えるタイミングや長さなどは、今後の甲子園大会の課題にしてほしいと感じた場面でした。

甲子園で球審が投手に注意を与えた後に、投手がリズムを狂わせるというのは時々目にする光景です。

本番で注意されるような行為がないように、大会前に統一した見解を各チームにわかりやすく説明しておくとか(多少やっているとは思いますが)、今後の善処を求めたいです。

まとめ

というわけで、近江と浦和学院の対照的な投手起用は、「現場さえ納得していればどちらも正しい」というのが私の見解です。

投手起用についてのアレコレは、「最小限のルールを作ってあとは現場にまかせとけ」というのが、私の考えとして固まってきました。

いろんな考えのチームがあるから面白いのであって、価値観の多様性こそが高校野球の魅力でもあります。

自分の価値観に合わないチームがあるのなら、応援しなければいいだけのこと。投手起用についても、球数制限やタイブレーク規定のルールに違反していなければ、何の問題もありません。

球数問題についてそれでも納得がいかない…という方は、現場の各判断を責めるのではなく、ルール改正について提言するべきでしょう。

タイトルとURLをコピーしました