最近の高校野球人気は、20年以上甲子園を見ている私にとって、スサマジイものに感じます。
高校野球ファンは、選手のファン、監督のファン、チームのファン、試合のファン、ドラフトファン、地元ラブの人…とさまざまですが、その中に応援団ファンという層が存在します。
近年、この応援団ファンに支えられるようにして、甲子園のアルプス席の応援団は、かなり洗練されてきました。
最近の上手すぎる甲子園応援団を見て、ちょっと感じていることがあり、記事にしてみました。
最近の甲子園の応援団は智弁+習志野をめざしている
昔から応援団で名高い高校野球チームは、智弁和歌山と習志野です。
智弁和歌山と習志野の応援団は、それぞれ違う特徴があります。
智弁和歌山の応援団の特徴は、とにかく独創性が高いこと。
オリジナル曲や、あまり野球応援では使われない曲目が多く、演奏すると点が入ると言われる「ジョックロック」は魔曲として有名です。
習志野の応援団は、何と言ってもブラバンの演奏が上手なことに尽きます。
習志野のブラバンの演奏音は「美爆音」と呼ばれ、野球場で演奏会を聴いているかのようなクオリティの高さです。
最近の高校野球の応援団は、智弁和歌山の独創性と、習志野の演奏クオリティを、両方をお手本にしているかのように、かなりレベルが上がってきています。
オリジナリティとクオリティを求めて
2018年の甲子園に出場した高校の応援団に関するエピソードで、驚いたことが二つありました。
一つめは、プロ野球の応援をプロデュースする、いわゆる応援のプロが作った、チーム独自のオリジナル曲を演奏した高校があったこと。
二つめは、非常にクオリティの高いブラバンだな…と思っていたら、系列の大学まで応援に加わっていたこと。
一つめの例は、オリジナリティを追求する智弁和歌山的な方向ですね。二つめは、美爆音・習志野的な方向です。
最近の甲子園では、球場全体のお客さんの雰囲気が、グラウンドの勝敗に影響を及ぼしてしまう傾向が増えています。
その状況をふまえても、応援団が一般のお客さんにも喜んでもらえるような応援をすることは、結果的にアドバンテージとなります。
大学野球の応援団を見て感じたこと
話は大学野球に変わりますが、昨年、私は大学野球選手権の決勝を見に行きました。
決勝のカードは立教大Vs国際武道大。
立教の応援スタンドは六大学らしく、統制の取れたブラバンと、学生服を着た応援団と、笑顔を絶やさないチアガール。
それに対し、国際武道大はブラバンもチアもいない。野球部員たちがメガホンを持ち、いわゆる「口ラッパ」の大合唱で、よくよく聞くと笑える応援を繰り広げていました。
国際武道大の「母ちゃん仕送りありがとう~」という応援は、大学野球では結構有名なんだそうです。
もちろん応援団のクオリティとしては立教の方が上なのですが、六大学の応援団は、「選手を応援する」というより「スタンドを盛り上げる」のが役割です。
そのため、チアはグラウンドに背を向けて、スタンドの方に笑顔を向けて踊ります。
高校野球のチアのように、点が入るシーンではついグラウンドを見てしまうとか、劣勢の試合でつい笑顔がこわばってしまうとか、そういうのはありません。応援のプロなのです。
それに対し、国際武道大の方は、男だらけのハイテンションな応援団なのですが、試合展開の雲行きがあやしくなると、少し元気がなくなってくるのが微笑ましい。
国際武道大の方は、応援団は野球部の選手たちなので、やはり立教の応援団とくらべると当然のことながら「勝ってほしい」気持ちが強いのです。
何が言いたいかおわかりだと思いますが、私は、最近の高校野球の応援団は、クオリティが上がりすぎて、六大学的な応援に近づいてしまわないか…と、少し危惧しています。
「六大学的な応援の何が悪いの?」というと、全然悪くないですよ。
ただ、高校野球の、六大学とは違う応援団のよさは、クオリティよりも感情の部分にあるんじゃないか、そんな気持ちがわいてくるのです。
高校野球の応援団はビジネスであってほしくない
オリジナル曲を演奏する高校が増えるのも、クオリティの高いブラバンが増えるのも、どちらも高校野球に花を添えます。
私は、応援団でチームを盛り上げようとする努力を、批判する気持ちはまったくありませんし、まだまだ甲子園の応援団では、感情のこもった声援がグラウンドに届けられていると思っています。
ですが、クオリティが上がりすぎるあまり、職業的な応援団になってほしくはないなあ…と、杞憂かもしれませんが、思いをつづってみた次第でありました。