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「ゲノム編集の光と闇」読書感想!未来を深く考えさせられる本

ゲノム編集の光と闇 本の感想
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ちくま新書の「ゲノム編集の光と闇」を読みました。

その感想文です。

「講談社科学出版賞」を受賞したガッツリ学ぶ系の本

「ゲノム編集の光と闇」は、科学ジャーナリストの青野由利さんが書いた本で、第35回講談社科学出版賞を受賞しています。

ちくま新書というレーベルから出版されていて、新書本は専門書ではなく、一般の読者でも理解できるような内容で書かれているのが特徴です。

ですが、「ゲノム編集の光と闇」は、科学出版の賞を受賞するだけのことはあって、結構ガッツリとした科学本です。

「新書だから簡単に読めるだろ~」と軽い気持ちでは、なかなか読みこなせない難しさでした。

特にクリスパーの説明のあたりは、ゲノム編集の本をはじめて読む人や、高校生物を学習していない人には難しく感じるかもしれません。

私は「ゲノム編集とは何か」という本を読んだことがあったので、ギリギリでついていけましたが、それでもトレイサーRNAのあたりはよくわからなかったなあ…。

「ゲノム編集とは何か」を読んだ時にはあまりクリスパーの説明でつまづかなかった記憶があるので、もう一回読んでみようかしら…。

「ゲノム編集」がどう驚異的なのかがわかりやすい!

「ゲノム編集」と言われても、

遺伝子組み換えの食品だってあるくらいなのに、いまさらじゃない?

という感じがするかもしれません。

ですが、「ゲノム編集の光と闇」を読むと、新たに登場したクリスパーが、これまでの遺伝子組み換え技術とは正確さ、手軽さ、コスト面が格段に違うことがわかります。

イメージとしては、ポケベルがスマホに進化したくらいの差だと感じます。

おそらく今後クリスパーの精度はどんどん上がり、大きな事故でも起きない限りは、順調に「ゲノム編集」は、私たちの社会に広がっていくのではないかと感じられます。

クリスパーのヒントが自然界にあったという興味深さ

この本を読んで興味深く感じたのは、ゲノム編集のツールとして開発されたクリスパーが、もともと自然界に存在しているものに着想を得ているところです。

クリスパーは、もともと細菌が、侵入してきたウィルスを記憶するために備えている装置を応用しています。

自然界に存在しているクリスパーとは、ウィルスに侵入された細菌が、ウィルスのDNA配列の一部を切り取って、自分の中にコードとして蓄える仕組みです。そして「敵」が再びやってきたら、記憶したコードと照らし合わせてすぐに「敵」と認識し、「敵」のDNAを切り刻むという攻撃をしかけます。

…実際にはもっと複雑で、私も理解できていない部分もありますが、大筋ではこんな感じだと思います。

DNA配列の一部を、ターゲットを認識して切り取るといった働きに着目し、もっと人間がゲノム編集しやすいように改造したのが、人工のクリスパーというわけです。

うーん、よくゲノム編集に応用できると思いついたものですよね…。人知ってスゴイ。

しかし、クリスパーが完全な人工物ではなく、自然界に存在していたものを改造したという点が、私には何だか重要なことのように思えます。

うまく言えないんですけど…驚異の技術とは言っても、そこに謙虚さを持ち続けるヒントがあるというか。

遺伝子ドライブがもたらす「絶滅のための絶滅」

さて、この本を読むと、何だかいろいろ怖くなりました。

特に、特定の遺伝子を、種全体に驚異的なスピードで拡散できる「遺伝子ドライブ」の話は怖かった…ですね。

この技術の精度が高まれば、人工的に生物を改変することも、絶滅させることも可能になります。

蚊やゴキブリなんかこうやって絶滅させられるかもしれませんね…。

人間の知恵が追い付かない部分で、生態系に取り返しのつかないダメージが与えられる可能性を考えると、改変よりは絶滅の方がマシなのかもしれませんが…。

これまでも人類はいろいろな動物を絶滅に追いやっていますし、遺伝子ドライブによる種の絶滅は、これまで以上に生態系を狂わせるということはないのかもしれません。

ですが、今までの絶滅は、絶滅を意図した絶滅ではなく、人間活動による結果的な絶滅です。

絶滅のための絶滅…私たちはコレをどう考えればいいんでしょうね?

殺人においては殺意の有無は大きな争点になりますが、「他種の皆殺し」という文脈ではどうなんだろう…。

「旧人類のタワゴト」でもメッセージを!

「ゲノム編集の光と闇」は、タイトルそのままに、ゲノム編集がもたらす福音と問題点について、公平に中立に扱っています

ゲノム編集が難病の治癒に道を開いた章を読むと、未来が明るくなる気がします。

その一方で、ゲノム編集によって人間が改変される時代は、ディストピアのようにも感じられます。

まだゲノム編集によって生まれた子どもはいない(はず)ですが、本の中には、兄の治療のために、兄と同じ白血球を持つ受精卵を選別して、下の子どもを作った事例が出てきます。

この例は、私の価値観では憤りを覚えます。

これほど人権・人格が確立した社会なのに、なぜ他の人間を自分の思い通りの道具のように扱うことが許されるのか…。

ゲノム編集にはもちろん明るい未来もありますが、自分の「体細胞」を編集するならともかく、「生殖細胞」や、子どもを編集することは、他者危害原則(=ぶっちゃければ自由は他人に迷惑をかけない範囲でしか許されないということ)に抵触します。

他者よりも自分の欲望を優先する人間の本能は、おそらくゲノム編集のブレーキよりもアクセル機能を優勢にしていくでしょう。

その結果訪れる未来はディストピアなのか…それとも、その未来の価値観で生きる人間にとっては、私たち「旧人類」が感じる恐れや怒りは、古いタワゴトにすぎなくなるのか…。

タワゴトになるのかもしれませんが、それでも今の時代を生きる私たちが、未来の人類たちに過去からのメッセージを発することは、無意味なことではないと思いたいです。

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