ハンター36巻、三度読みして、人物関係も復習しながら読んで、「ロベリーが念能力者!?」以外の部分は、だいたいの話は理解できました。
理解はできた…んですが、36巻まで読んで、やはり腑に落ちないのが、34巻のヒソカと旅団のやり取りのエピソードです。
ヒソカや旅団のキャラ設定にややケチをつけていますので(笑)、「読みたくないかも」と思った方は、この先を読むのをお控えくださいませ…。
「生き返り施術」で私のヒソカ像が崩壊…
まずは、ヒソカ。
ヒソカのようなキャラは、実際のリアル世界にいたら、絶対的に肯定してはならないタイプの人物ですが、こういうキャラが輝くことができるのが、漫画の世界だと思っています。
冨樫先生が幽白の余白に書いていましたが、「健全な青少年を育成するための漫画を読みたいか?」みたいな話です。
その意味で私は、ヒソカというキャラは、結構好きでした(ちょっと過去形)。
それが34巻で、「えっ!?」と思ったんですよね。
そう、「死後に強まる念」で、自分に生き返る細工を施したことです。
あの細工、ヒソカは「自分が死ぬかも」というとっさの場面で施しているのですが、私はちょっとこの行為について、
え、ヒソカほどの超絶変人でも、やっぱり死ぬのがコワイんだ…
と、ちょっと拍子抜けしたのです。
「死の恐怖」というのは、人類が共通して抱えている課題ですが、冨樫作品は、それを乗り越えているキャラをカッコよく描く傾向があります(幽白で命乞いをしない魔性使いチームの人たちとか、武威さんとか、その他もろもろ)。
私がヒソカが好きだったのは、生命について感覚がぶっ飛んでいるのは、他者に対しても自分に対しても平等だと思っていたんですよね。
それが、自分の生命に対してはギリギリのところで守るんだ…。
死後に強まる念で復活というのは、「死にたくない」という気持ちの強まりと考えられますからね。
このエピソードで、ヒソカへの畏敬の念のようなものはちょっと終わりかけたのですが、36巻ではイルミに「自分を標的に」というぶっ飛んだ依頼をしていて、もとのヒソカのイメージに戻っている…。
何だか私にはこのあたりがしっくりこないのですが、人間とは一貫性のない生き物、として捉えればよいことでしょうかねえ?
旅団があまりにも軽率すぎてクラピカの敵じゃない…
それから、ヒソカと団長の戦い後の、旅団の行為もやっぱり腑に落ちない。
36巻のシズクの「団長のノートはデスノートみたい」という発言は、シャルナークとコルトピが、能力を団長の本に収納している状態でヒソカに襲撃されたため、能力を使って戦えなかったことを示唆していると考えられます。
これ、A級首の旅団にしては、あまりにも軽率すぎませんか?
クロロとヒソカの戦いが終了した時点で、すぐ能力を返してもらうか、すぐに返すのが制約上無理であれば、クロロ+マチ+シャル+コルトピで行動するのが普通だと思うのですが…。
私みたいな凡人が仮に旅団のメンバーだったとしても、このくらいは考えますぜ…。ヒソカの返り討ちは予想できなくても、クラピカみたいに復讐を狙っている敵が旅団にはたくさんいるでしょうに…。
シャルはヨークシン編で「オレの能力は替えがきく」と言っていましたが、コルトピの能力は、シズクの能力がレアであると言うなら、それ以上にレアだと感じます。
そのコルトピを、能力が使えないシャル+能力が使えないコルトピという二人で行動させるとは…。(コルトピは本人もコピーで、代えがきくというオチもあるかもしれませんが)
シャルは旅団では団長クロロに次ぐ頭脳の持ち主として描かれてきました。
クロロとシャルの二人が、この危険さに気づかないなんて…もはや旅団は、頭脳という点では、クラピカには遠く及ばない存在ということになりませんか?
まあ、あのあたりのストーリーは、だいぶ粗く描かれているので、もしかしたら今後、どこかで補足が入るかもしれません。
よく話題になる、ヒソカの「あと10人」という人数が、生存する旅団メンバーと合わないことも、今後の展開に関係する可能性もありますしね。
いずれにせよ、ヒソカと旅団が今後の物語で、元の輝きを取り戻すような展開になるとよいなあと願っております。
主人公サイドでない部分に望みすぎのワタクシでした。10年後くらいでもいいので、冨樫先生、よろしくお願いしますね♡
36巻で判明した旅団の団員ナンバーとその考察についてはこちらの記事をどうぞ→ハンター36巻で判明した幻影旅団の団員ナンバー!その変遷と考察