中島みゆきさんの「泣かないでアマテラス」の歌詞について考えてみます。
「泣かないでアマテラス」はどんな歌?
「泣かないでアマテラス」は、中島みゆきさんが1995年に発売された「10WINGS」の3曲目に収録されています。
「10WINGS」は、演劇要素の入ったステージ「夜会」のために作った歌を集めたアルバムです。
「泣かないでアマテラス」も、「夜会VOL.4 金環蝕」という天岩戸神話をモチーフにした舞台で歌われています。
やさしい旋律がゆったりとしたテンポで流れるバラードで、作業用BGMとしてでなく、じっくりと聴き入りたくなる一曲です。
天岩戸神話のザックリとしたストーリーは?
「泣かないでアマテラス」の歌詞を解読していく前に、この歌のモチーフになっている天岩戸神話について、かんたんにまとめてみます。
天岩戸神話は、古事記・日本書紀に記述がある日本神話です。
古事記版と日本書紀版で少々の違いがありますが、ザックリまとめるとこんなお話です。
では、「泣かないでアマテラス」は、この神話のストーリー通りの歌なのか?というと、そういうわけではないと思います。
タイトルやサビに「泣かないで」とありますが、アマテラスが泣く場面の記述は神話にはないですしね。
「泣かないでアマテラス」は、天岩戸神話にインスピレーションを受けてはいますが、完全にこのストーリーを歌った内容ではないと言えるでしょう。
「泣かないでアマテラス」の主要なテーマは?
では、「泣かないでアマテラス」はどういったテーマを扱った歌なのか。
「泣かないでアマテラス」のテーマがよく表れているのは、2番の歌詞だと思います。
地上に悲しみが尽きる日は無くても
地上に憎しみが尽きる日は無くても
それに優る笑顔が
ひとつ多くあればいい
個人の人生や、広い世の中には、悲しみや憎しみは必ずある。
それを完全になくすことはできないけど、たった一人でも泣いている人より笑っている人の数が多い…そのくらいのささやかな世界の(あるいは個人の)幸せを願う…大きなテーマとしてはこういう感じだと思います。
ハッピーエンドの思想
「泣かないでアマテラス」は、「世の中にたった一人でも不幸な人より幸せな人が多ければいい」という、幸せの量を扱っているのと同時に、幸せの時系列についての思想も含まれています。
アマテラス アマテラス 明日は泣かないで
泣かないで 泣かないで 泣いて終わらないで
ほほえんで ほほえんで ほほえんで
アマテラス!
「泣かないでアマテラス」では、「絶対に泣かないで(≒悲しまないで、憎まないで)」とは歌われません。
悲しみ、誰かを憎み、泣く日もあるだろう。でも、いつか(≒明日)は泣かないでほしいし、泣いて終わらずに、笑って終わってほしい、と。
つまりはハッピーエンドの思想ですね。どうか最後は笑う結末であってほしい、と。
人生や世界における悲しみ・憎しみを根絶することはできないけど、最後に笑うことができれば人生・世界を肯定できるのではないかと。
人は自力では笑えない
「世界に悲しみは尽きない。それは仕方ないけど一人でも多くの人が、最後に笑うことで世界を肯定しよう」…かんたんにまとめると、「泣かないでアマテラス」のメッセージはこんな感じです。
では、どうやれば人は笑うことができるのか。
「泣かないでアマテラス」の歌詞には、そのヒントが表現されています。
君をただ笑わせて
負けるなと願うだけ
歌い手は「君をただ笑わせて」と歌います。
人は孤独に自力で笑うことは難しいので、笑わせてくれるための他者を必要とする…と。
「人は独りでは笑えない」というのは中島みゆきさんの「with」という歌の歌詞にも出てきます。
「泣かないで最後は笑って」というシンプルなメッセージが、空想的なキレイごとで終わらないように、その方法論まで示すのが中島みゆきさんの歌詞の深みだなあと思います。
歌い手は君に笑ってもらうために、君を笑わせるため(あるいは笑いを共有するため)の他者として、ただそばにいよう…ということですね。
「泣かないでアマテラス」の「私」と「君」の関係は?
「泣かないでアマテラス」は、「私」である歌い手と、歌い手が「アマテラス」「君」と呼びかけている相手との関係がわかりづらいです。
「君」=「アマテラス」は女神なので、女性が想起されます。
歌い手の方も一人称が「私」であること、「どこで泣いているの」というおだやかな口調を考えると、女性っぽく感じられます。
そうすると少なくとも表面上は、女性が女性に呼びかけている歌に聞こえます。
天岩戸神話と結びつけると、「君」=「アマテラス」は女神であり、「アマテラス」を岩の洞窟から出すために笑いを誘う舞を披露した「アメノウズメ」(=「私」に近い立場)も女神。
そのため中島みゆきさんが意図的に、「君」も「私」も女性っぽく感じられるように歌詞を書いた可能性はあるかもしれません。
「君」「私」がどちらも女性っぽいのは、シンプルに天岩戸神話モチーフに沿ったことが理由ならば、この歌を聴く際に、「君」と「私」の性別はあまりこだわらなくてもいいのかなと思います。
「私」は性別関係なく、落ち込んでいる人物。
「君」は性別関係なく、落ち込んでいる「私」を笑わせたい人物。
「私」と「君」の関係は、恋人でも友人でも家族でも、どんな関係でも当てはまる、汎用性が高いものとして考えてよいのではないでしょうか。
推し活の歌として聴けなくもない!?
そんな感じで「私」と「君」の関係を広くとらえると、「泣かないでアマテラス」は、推し活の歌として聴くこともできます。
私には何もない 与えうる何もない
君をただ笑わせて
負けるなと願うだけ
「君」に対して「私」ができることは、本当にささやかなことです。
「私」は何も持たない無力な存在であり、「君」に対して具体的で効果的な何かができるわけではない。
ただ、「負けるな」「泣かないで」「ほほえんで」と、「君」に対して願うだけなのです。
願うだけ。要するに応援するだけ。…推し活にも当てはまりますよね?
あとは「ファンは推しを笑わせることはできるのか?」という問題がありますが、これも場合によっては可能かなと思います。
スターやアイドルはファンの前では笑顔でいることが多いですし、それは作り笑いという部分もあるかもしれませんが、自分を応援してくれる存在の前では自然に笑顔が出るという部分もあるでしょう。
スターやアイドルの笑顔というのは非常にパワーがありますし、ファンが推しを応援することで、悲しみや憎しみに優る笑顔がひとつ増える。
…そう考えると、推し活も結構世界に貢献している気がしてきますね!?
まとめ
そんなわけで、最後はなぜか推し活礼賛にたどり着いてしまった「泣かないでアマテラス」の歌詞考察でした。
「泣かないでアマテラス」の考察では取り上げなかったフレーズの中に、私がかなり好きなフレーズがあります。
アマテラス 悲しみは誰をも救わない
アマテラス 憎しみは誰をも救わない
特に「憎しみは誰をも救わない」の部分。
未熟者の私は、誰かを憎むとまではいかなくても、他者に対しマイナスの感情を抱くことがあります。
ですが、中島みゆきさんが歌う通り、誰かに対する負の感情は、本当に誰のことも(自分のことも)救わない。
誰かを嫌いだと思う気持ちを抱かないということは、今の私にはできないですが、それでも「憎しみは誰をも救わない」ということだけは覚えておきたいと思っています。
憎しみが尽きる日はなくても、それに優る笑顔がひとつ多くあればいい。
自分の心の中が、総体として負の感情よりプラスの感情が多くなるように…未熟者の私でも、何とかこのくらいの境地にはたどりつきたい…と、「泣かないでアマテラス」を聴くたびに、自分に言い聞かせています。