中島みゆきさんの楽曲「見返り美人」の歌詞について考えてみます。
「見返り美人」はどんな歌?
「見返り美人」は1986年に発売された、中島みゆきさんのシングル曲です。
アルバム「36.5℃」の8曲目にも収録されています。
シングルとアルバムは少しバージョンが違いますが、編曲そのものはほとんど同じで、ボーカルの声が明瞭なのがシングル、ややくぐもった感じなのがアルバム、という程度の違いです。
ですが実際に聴いてみると、結構違う印象を受けます。
シングルの方が感情がストレートで、アルバムの方が内に秘めた気持ちという感じがします。
中島みゆきさんの楽曲でステレオタイプといえば「暗い失恋の歌」ですが、「見返り美人」は見事にそれに当てはまる作品です。
その意味で中島みゆきさんの代表作と言えなくもないのですが、中島みゆきさんのコアのファン以外には、そんなには知られていない作品かなという感じですね。
「見返り美人」じゃなくて「見返し美人」!?
さて、「見返り美人」の歌詞を読み解いていく前に、まずはタイトルについて考えます。
「見返り美人」といえば、パッと頭に浮かぶのは江戸時代の浮世絵の傑作、菱川師宣の「見返り美人図」です。
「見返り美人図」は女性が振り返った姿の一瞬を捉えた、女性の美しさを描いた絵です。
ですが中島みゆきさんの「見返り美人」は、
だって さみしくて 見返りの美人
…とありますから、振り返った女性の美しさがテーマでないことは明確です。
では、なぜ「見返り美人」なのかというと、Wikiにこう記載がありました。
詞の内容からだと、いつか美人になって相手を見返してやろうという歌なので「見返し美人」というのが正しいが、誤字を避けるために「見返り美人」にした
Wikipedia「見返り美人 (中島みゆきの曲)」
この記述が正しいならば、この曲は「見返り美人図」とはあまり関係なく、フラれた男を見返してやりたいという歌ということになります。
「見返したい」要素は…ある?
さて…このWikiの「見返し美人説」ですが、実は「本当かな…?」なんて思っちゃうんですよね。
というのも「見返り美人」の歌詞には、あまり「見返し要素」がないような…。
しいて挙げてみるなら…
ひと晩泣いたら 女は美人
生まれ変わって 薄情美人
ここは「フラれたら女は見返すために美人になる」と解釈できなくもないのですが、続く歌詞はこうなっています。
通る他人(ひと)にしなだれついて
鏡に映る あいつを見るの
これ、「美しくなった私を見て!」じゃなくて、「他の人とイチャついてる私を見てヤキモチ焼いて!」のメッセージに見えるんですけどね。
つまり、見返したいんじゃなくて、気を引きたい。
他に見返し要素として挙げられるのは、ここの歌詞です。
アヴェ・マリアでも呟きながら
私 別人 変わってあげる
見まごうばかり 変わってあげる
でも、ここも「変わってあげる」なので、「美人に変身してフラれた男を見返したい」という気持ちとは、ズレがあるように感じます。
むしろ「極楽通りにいらっしゃい」の「あたし誰かのふりしてあげようか お酒なしでも泣けるでしょ」のニュアンスに近いような。
そんなわけで「見返し美人説」はいったん脇に置いて、他の観点から歌詞を読み解いていきます。
主人公女性はフラれた相手の気を引きたい
上の方でちょっと触れましたが、「見返り美人」は「フラれた相手を見返したい」より、「フラれた相手の気を何とか引きたい」という要素の方が強いと感じます。
とめてくれるかと 背中待ってたわ
靴を拾いながら 少し待ったわ
自由 自由 ひどい言葉ね
冷めた女に 男が恵む
聞いてくれるかと 噂流したり
気にしてくれるかと わざと荒れたり
冒頭で「真冬の海が愛は終わりと教えてくれる」とあるように、主人公女性は失恋しています。
ですが諦めきれず、何とか相手の気を引こうとしている。
どうやって気を引くかというと、「噂」とか「荒れる」とかあるように、他の男性と奔放な恋をしているのでしょう。
ですが、本命の相手はそれを止めてくれない。こんなに自分が自由なのは、本命に冷められているからなのです。
「薄情」で「見返り」で「八方」な美人
主人公女性は本命の気を引くために、手当たり次第に他の男性に手を出していることが歌詞から読み取れます。
通る他人(ひと)に しなだれついて
いいの いいの 誰でもいいの
あいつじゃなけりゃ 心は砂漠
これは本命の気を引くためなので、相手の男性に恋愛感情はありません。
作品中には3つの美人が登場し、「薄情美人」「見返りの美人」「八方美人」。
ここでの美人は美しい女性という意味でなく、「相手にとって都合よく、いい顔をする」という意味で取った方がよさそうです。
そもそも八方美人の美人はそういう意味ですもんね。
ここまで考察すると、「薄情」(=相手に恋愛感情がない)で「八方」(=誰でもよい、手当たり次第)な美人であることはわかります。
残る謎は「見返りの美人」です。
「見返り美人」の方が「見返し美人」より解釈が面白い
「見返りの美人」は「見返しの美人」という説があることは上記しましたが、「見返し説」はあまり腑に落ちないので、他の説で考えてみます。
まずは「見返り」を、そのまま「振り返り」という意味で取る解釈。
通る他人(ひと)に しなだれついて
鏡に映る あいつを見るの
ここにあるように、他の男性と奔放な恋愛をしているフリをしながら、主人公女性は本命である「あいつ」を気にしています。
要するに他の男性と一緒にいる時も、「あいつ」をチラチラと見ている。
ここには「振り返り」要素がありますので、「見返りの美人」はそういう風に解釈することが可能です。
そしてもう一つ、「見返り」を「見返りを求める」の意味…つまり何かのメリットを代償として求めるという意味で考えてみます。
主人公女性は、他の男性と奔放な関係を持つ方法として、別人に変わるというやり方を取っています。
アヴェ・マリアでも 呟きながら
私 別人 変わってあげる
見まごうばかり 変わってあげる
「アヴェ・マリア」のくだりは解釈が難しいですが、聖母マリアは処女懐胎の聖女として、純潔の象徴であることがポイントかな、と。
主人公女性はフラれて自暴自棄になって奔放な恋に走っていますが、それは純潔とは真逆の方向。
ここは、「清純系から悪女まで望みに応じて幅広く別人を演じてあげる」と解釈できるのではないでしょうか。
そして相手の望みに応じて別人を演じる「見返り」として、「あいつ」の気を引くための道具として他の男性を利用する。
これで私としては納得できる解釈なのですが…やっぱり「見返り」は「見返し」なのかなあ?
まとめ
「見返り美人」の歌詞について、「見返し」よりも「見返り」の解釈の方が腑に落ちるなあ…という考察でありました。
「見返り美人」は大変に暗い曲ではありますが、失恋した女性の失意をこんなに暗く、でもどこか美しく表現できるのは、中島みゆきさんの真骨頂だなと思います。
「だってさみしくて見返りの美人」なんて歌われたら、菱川師宣の「見返り美人図」の女性も、どこかさみしそうに見えてくるから不思議です。