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「いのちをつくってもいいですか?」を読んだ感想文

本の感想
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先日「ゲノム編集の光と闇」を読みました。

「バイオテクノロジーによって生命を操作する」ということについて、もう少し考えてみたいと思い、「いのちをつくってもいいですか?」という本を読んでみました。

さっそく感想文を書いてみます!

「いのちをつくってもいいですか?」はどんな本?

「いのちをつくってもいいですか?」の著者さんは、宗教学を専門にしている島薗進先生です。

実は15年以上前に、大学で島薗先生の講義を受けたことがあります。

その時代は、この本で取り扱われている「生命倫理」というジャンルの学問に取り組む教授さんは少なかったですが、島薗先生はその頃から、バイオテクノロジーが揺るがす死生観について考察されていました。

そのため、「宗教学的な視点が多い本なのかな?」と思って読みましたが、出生前診断、ES細胞、iPS細胞などについてもわかりやすい解説があり、全体的に「生命倫理の入門本」として読めます

生命倫理といえば小難しい言葉に聞こえますが、要するに「生命をどのように取り扱うべきか」を考える学問で、バイオテクノロジーが(おそらく)急発展する時代を生きる私たちにとっては、身近な問題だと言えます。

そんな身近な問題だからこそ、一般の読者でもわかるように、難解な表現を使わず、やさしい言葉でわかりやすく書いてあり、

良書だな~。

と感じました。

テクノロジーによる心の操作に対する違和感

内容はあまりにも深すぎて、考えさせられたことは山ほどあるのですが、その中から特に印象に残ったことのひとつが、第1章で扱われるエンハンスメント関連の話から、「気分」「心」に関する話題です。

アリストテレスが「人間は幸福になるために生きる」と言ったように、私たち人間が幸せ(な気分)になろうとするのは、ごく自然の本能でしょう。

ですが、「つらい過去を薬によって忘れることで幸せになる」「沈んだ気分から薬によって抜け出す」というやり方は、それしか方法がない場面もあるとは思いますが、著者さんは濫用されていくのではないかと危惧されています。

それの何が悪いかというと…悪いというよりは、「幸福になろう」という本能と同じように、「それって本当にアリなの?」と本能で感じる違和感ではないかと思います。

たとえば私は虫がすっごい苦手なんですが、ちょっと前に、「脳刺激を繰り返すことで特定のものに対する恐怖心をなくすことができるかも」みたいな科学ニュースを目にしました。

じゃあ、この方法で虫が怖くならなくなりたいかと言えば…なりたくないですね。

何て言えばいいか…言葉にするのは難しいのですが、そんな自分を好きになれないというか…。

もちろんこの技術が誰かを救うことはあるでしょうし、どうしても必要でこのような技術を使うことを否定しようとは思いません。

ですが、私みたいに「虫が苦手」程度のレベルで、このような技術に頼るようになったら…何だか人間はオシマイなんじゃないかなと思います(これもうまい表現が見つからないのですが)。

先日読んだばっかりの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」で、情動オルガンなるもので、自分たちの気分を操作する近未来の人間たちが出てきましたが、

ああいう風にはなりたくないな~。

と、思う私がいます。

たぶん、「私が私であるため」に最も必要なのは私の「心」であり、その「心」のあり方を自分でなく外部に委ねることは、私にとってはアイデンティティの崩壊につながるのだと思います。

バイオテクノロジーは歴史を逆流させる?

心や気分をテクノロジーによって操作する…その流れと似ているのが、出生前診断の問題です。

出生前診断は、ぶっちゃけていえば「望み通りの子どもを産む技術」です。

現在認められている出生前診断は、重度の病気を持っていない子どもを選択して産むようにするというラインです。

ですが、もう既に技術的には、男女の産み分け、軽度の障害の有無によって子どもを選別することは可能ですし、もっと進めば子どもの外見的性質、能力による選別も可能になるでしょう。

つまり、これも「望み通りの子どもをテクノロジーによって簡単にゲットする」という流れです。

「テクノロジーによって望み通りの心・気分をかんたんにゲットする」という、先ほどの話と似ていますよね。

このような技術を利用するのが普通の世界になれば、「人生は生まれてから自分の力で切り開くもの」という人生観から、「人生は生まれる前に決められるもの」になっていくのではないかと思います。

これって…人類の歴史が逆流しているような気がしませんか?

近代的人権、個人の尊重が確立される前の世界は、人間は生まれた場所や家によってほとんど人生を決定づけられていて、そこから少しずつ自由が増えてきたハズなのですが、その自由はまた手放されるのかもしれない…。

この本の中では、ちょっとこれと似た観点で、「自力で何かを得るという過程」を経ずに、科学技術によって欲しいものを簡単にゲットすることの薄っぺらさが、オルダス・ハクスリーの「すばらしい新世界」をもとに考察されます。

生命操作の流れは止められないだろう…けど

私は、「バイオテクノロジーによる生命操作の流れは止まらないだろう」と考えています。

個人的な直観では、自然の産物であるDNAに人間が操作を加えたら、DNAは人為的な介入を想定したものではないですから、取り返しのつかない大失敗が起こるだろうなと思っています。

ですが、そんな大失敗が起きるのはおそらくもっと未来の話。人間は目先の利益のために、生命操作に踏み込んでいくでしょう。

人間の歴史はもちろん遠いいつかは終焉を迎えるのでしょうが、バイオテクノロジーはものすごーーーい長い目で見れば、その終焉を早めることになるのだろうなと思います。

でも、そんな悲観的なことばかり言っていても仕方がないですよね。

せめて、バイオテクノロジーの時代を生きる現代人として、生命を哲学的に考える機会を持ち、欲望をすぐに満たしてくれるテクノロジーに簡単には流されず、少し踏ん張ってみたいなと思っています。

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