朝井リョウさんの「何者」を読みました。
朝井リョウさんは、特に若い世代にファンが多い人気作家です。
高校生のスクールカーストを描いた「桐島、部活やめるってよ」は、かなり売れた作品です。
私は、この「桐島、部活やめるってよ」を何年か前に読んだことがあるのですが、「まあまあ面白かったかな」くらいの感想でした。
ですが今回読んだ「何者」は、ここ最近読んだ日本の現代小説の中では、とびきり面白かったです!
「何者」の簡単なあらすじをザックリと!
「何者」の舞台はおそらく東京、御山大学という架空の大学です。
この大学に通う5人の学生がメインの登場人物で、就活を通して、それぞれの価値観や、微妙な人間関係が読者に伝わってきます。
人間が誰でも持つような小さな劣等感や自己顕示欲が上手にあぶりだされていて、読んでいて何となくドキッとしてしまいました。
自分もこういう汚い部分を持っているかも…と身につまされる感じがするんですよね。
御山大学がどのような大学なのか明確には書かれていませんが、地方出身の女の子が御山大学に受かって、知らない人に「おめでとう」と言われたというエピソードがあるので、それなりに学力の高い大学だと思われます。
ただ、登場人物たちが就活に苦戦する姿が描かれるので、超高学歴とまで言われる大学ではなさそうです。
そんな登場人物たちは、受験戦争を経験しているからか、何となく自分の立ち位置を、周囲を見ながら見定めている感じが見受けられます。
「桐島、部活やめるってよ」でも描かれた、同級生と優劣を競ってしまうような雰囲気。
優劣を競う関係というのは、決して友人関係とは呼べないだろうなあ…。
友情は「何者」のメインテーマではないと思いますが、読んだ後にそんなことを考えてしまいました。
SNS時代の大学生の人間関係は何が変わった?
「何者」が面白いのは、ストーリーに登場人物たちのTwitterが散りばめられていることです。
ストーリーとTwitterの内容を見比べると、登場人物たちの多くが、自分たちの日常をTwitterで「盛って」いることがわかります。
そして実名で使っているTwitterアカウントでは、日常を盛った上で、このTwitterを見ている知人を想定して、言葉を取り繕います。
で、知人に教えていない裏アカウントでは、知人に見せられない裏の顔を吐露する…。
いかにもSNS時代の大学生の人間関係という感じですが、実名アカウント=建前、裏アカウント=本音と捉えると、実は日本の若い世代の人間関係は、SNSがなかった20年前の私の学生時代と変わってないようにも思います。
優劣を競い合うような人間関係は希薄なものなので、本音で語り合える友人にはなりえません。
そういう表面的な友人って、若いころはたくさんいるものですよね。
ただSNSのない時代は、表面的な友人と建前で話し、その分抑え込まれた本音の行き場はありませんでした。
本音の行き場として、女子会で人の悪口で盛り上がるというのはありましたが、悪口で盛り上がる人間関係ってのもこれまた希薄で、悪口というものは周囲の空気を読みながら言うものなんですよね。
ですが、SNSを手に入れた「何者」の登場人物の何人かは、その本音を裏アカウントで発散します。
本音と建前があるのは日本が上下関係社会だから?
徒然草の一節に「おぼしき事言はぬは腹ふくるるわざ」=「思ったことは口に出さないとお腹がパンクしちゃうぜ!」とあるように、裏アカウント自体は、別にあってもいいものなんじゃないかなあ…とは思います。
ただそれを、知人に容易に見つけられてしまうという怖さが、SNSにはあって、「何者」で描かれるように、それがきっかけで人間関係が崩壊することだってありえます。
本当は日本社会が、裏アカウントなんて必要ないくらい、もっと本音で語り合える人間関係を築く文化になるのが健康的なんでしょうけどね。
どうして日本にはこんなに「建前」が蔓延しているんだろう…と考えると、私は朝井リョウさんの本でよく描かれる「人間関係カースト」みたいなものも原因のひとつなんじゃないかと思います。
日本社会はいまだにタテ社会が根強く残っていて、年上の方がエライとか、店員より客の方がエライとか、近代化した市民社会では信じられないような風習があったりします。
上下関係、優劣関係がある人間関係で、本音で話せるはずがないですよね。
友人どうしでも上下・優劣を気にするような間柄では(それは既に友人と呼べない気もするけど)、会話の多くは、本音を覆い隠した建前になるでしょう。
おそらく昔に比べると、こういったタテ関係は薄まってきていると思います。
ですが逆に薄まった分、それでも残っている「何となく人間関係を優劣で捉えてしまう」風潮は、完全には消えず、むしろしぶとく残ってしまうのかな、とも思います。
「何者」はどんでん返し小説だと思う!
さて、「何者」のもうひとつの魅力が、終盤での「どんでん返し」です。
朝井リョウさんの文章は深みがあり、それなのに物語のテンポはよいので、前半から楽しく読めるのですが、前半では
この物語の「いい人たち」と「悪い人たち」が作者の中でしっかり決められている気がするなあ…
と、思っていたのですが、この感覚が、終盤でどんでん返しを食らいます。
瑞月が隆良に本音をぶつけるシーンが後半にあり、主人公側(=いい人たち)の完全勝利で物語は終わるのかな?と思いきや、主人公の裏アカウント発覚で、「いい人たち」「悪い人たち」の単純な二元構成となっていないことに気づかされます。
私はどちらかというと、瑞月が隆良をやりこめるシーンより、理香が主人公に詰め寄るシーンの方が、理香のセリフに同意するわけではないですが爽快でした。
瑞月はみんながいる前で隆良をさらし上げますが、理香は一対一で言うあたりが、理香の方が実はやさしいよな、と。
また、最後に主人公の裏アカウントが発覚することで、何となくあのカッコいいサワ先輩は、主人公の裏アカウントを知っているのではないか?とも思いました。
サワ先輩、光太郎…あまり裏部分がなさそうに見える登場人物にも、何かありそうだな~と最後には思っちゃいました。
人間不信になりそうな本ですが、人間ってそういう存在ということなんだろうなあ。
裏がある人間が悪い人なのではなくて、人間には裏も表も光も闇もあるのが当然なんだ…私もそうですもんね。
まとめ
というわけで、「何者」の感想文でした。
こんな感じで明るい作品というわけではないんですけど、作者さんの筆の力なのか、重々しさはないです。
できれば大学時代に読みたかったな~と思いました。