中島みゆきさんの歌の中で「糸」は大変人気があり、「糸」の歌詞をモチーフとした映画まで公開されました。
この「糸」が含まれているアルバムは「EAST ASIA」。
「EAST ASIA」は、中島みゆきの渾身作ともいえるような歌が何曲か入っていて、中島みゆきファンの私から見ると、
どうして「糸」ばっかり人気があるんだろうなあ…。
…と思います。
その理由として思い当たるのは、「EAST ASIA」に収録されている「糸」以外の名曲は、何をテーマに歌っているのか解釈が難しい部分があります。
せっかくの機会なので、「EAST ASIA」に入っている名曲の解釈について、何曲か知恵を振りしぼって考えてみようと思います!
この記事で取り上げるのは、アルバム名にもなっている「EAST ASIA」という歌です。
「EAST ASIA」ってどんな歌?
「EAST ASIA」という歌は、1992年に発売された同名のアルバム「EAST ASIA」の1曲目に収録されています。
歌詞全体はUta-Netでご覧下さい。
「EAST ASIA」というタイトルにふさわしく、日本的…というより東洋的な雰囲気の旋律が、幻想的に編曲されて、6分を超える壮大な一曲になっています。
テーマのひとつは「自由の勝利」
「EAST ASIA」の歌詞世界の中で、テーマの一つとして間違いないのは「個人の自由の勝利」でしょう。
大きな力にいつも従わされても
私の心は笑っている
こんな力だけで 心まで縛れはしない
山より高い壁が築きあげられても
柔らかな風は 笑って越えてゆく
力だけで 心まで縛れはしない
この2つの引用部分は、1番と2番の同じメロディ部分になりますが、「笑って」という言葉が出てくるあたりで、曲が短調から長調へと転調します。
その効果もあって、「大きな力」や「山より高い壁」のような縛る力に対し、「心」=個人の究極の自由が勝利していくイメージが膨らみます。
ここの歌詞と曲の相乗効果は、中島みゆきの天才ぶりを恐いくらいに感じます。
「EAST ASIA」は中国の天安門事件を歌っているという説があり、確かにこのへんのフレーズとはイメージが合っているように思います。
ただ、大きな力にいつも従わされている日常の日本人の私たちや、山より高い壁=ベルリンの壁(この歌が作られる3年前に撤去)もイメージされるので、天安門事件に限定された歌ではないのではないか、と個人的には考えます。
「国家」や「地図」という人為的な装置の曖昧さ
「EAST ASIA」のもう一つのテーマと考えられるのが、「国家」という人間が作った装置の曖昧さです。
くにの名はEAST ASIA 黒い瞳のくに
むずかしくは知らない ただEAST ASIA
ここはサビの部分ですが、この表現が…うまいんですよねえ…。
黒い瞳を持つ人々が多い、アジアの東の方の「くに」。これ以上はむずかしく知らない。
ここで歌われている「くに」は、日本なんだか、それ以外の東アジアの国なんだか、それとも東アジア全体を指すんだか…全然わからないんですよね。
この歌の歌い手さんは、故郷以外の場所で生きていて、どこかで故郷を懐かしんでいるようなフレーズが登場します。
どこにでもゆく柳絮(=柳の綿毛)に姿を変えて
どんな大地でも きっと生きてゆくことができる
でも心は帰りゆく 心はあの人のもと
このフレーズは一見「あの人」…誰か愛しい人を懐かしがっているように見えますが、「どんな大地でも」という表現に、故郷を思う気持ちも入り交じっています。
しかし、歌い手さんが懐かしむ故郷=「くに」は、アジアの東の方にある黒い瞳の人間が多い場所で、「むずかしくは」=おそらく国家名は、「知らない」=わからない…と。
人間の望郷の念は、人為的な国家というシステムではなく、生きた土地そのものに向けられるのだという、中島みゆきさんのメッセージに感じられます。
世界の場所を教える地図は
誰でも 自分が真ん中だと言い張る
私のくにをどこかに乗せて 地球は
くすくす笑いながら 回ってゆく
ここなどは、「世界に中心はない」という中島みゆきさんの思想を表しています。
ここの表現と、私の「くに」は「EAST」=東にあるという表現を合わせて考えると、世界のどこを中心に見るかによって東西の概念も変わってしまうことが示唆されています。
この地図の曖昧さは、そのまま世界における私の「くに」の曖昧さを象徴している…そんな感じがしてきます。
コロンブスが(後にそう呼ばれることになる)アメリカ大陸に到着したのに、本人は西へ西へ向かってインドに着いたつもりだった…あの感覚ですね。
「旅人」についてはどう考える?
こうやって考えていくと、「EAST ASIA」は「巨大な人為的力に対する柔らかな個人の自由を東洋風に歌い上げた歌」と、難解な歌ではない気がしてきます。
しかし、私がイマイチうまく捉えられないのが、歌のそこかしこに登場する旅人の概念です。
降りしきる雨は霞み 地平は空まで
旅人一人歩いてゆく 星をたずねて
どこにでも住む鳩のように 地を這いながら
誰とでもきっと 合わせて生きてゆくことができる
でも心は誰のもの 心はあの人のもの
「EAST ASIA」の冒頭には旅人が登場します。
旅人というのは、「縛られない自由な存在」としてのモチーフになります。
しかしその自由なはずの旅人が「誰とでもきっと合わせて生きてゆく」と、不自由な生き方を強いられているような歌詞になっているのです。
これは解釈が難しいところですが…歌い手は旅人そのものではなく、心だけが自由な旅人と考えるのが自然でしょうか。
「誰とでも合わせて」…たとえば東洋的に「家」に縛られて、自由な結婚はできなかったけど、心の中では本当に愛している他の人がいる。
「私」は「大きな力」、ここでは権力なんて大それたものではなく、家族とか周囲の空気とかそういったものに縛られた人生になっているけど、「私の心」だけは何にも縛られずに自由に笑っている。
「EAST ASIA」と呼ばれるエリアにある日本において、まだまだ自由というのは手に入れるのが難しい代物だと私は思っています。
それでも、「心の自由」だけは誰でもいつでもどこでも手に入れることができる。
もしかしたらこの歌には、そういった中島みゆきさんのメッセージも込められているのかな…と思ったりもします。
まとめ
中島みゆきさんの名曲「EAST ASIA」について、解釈するなんて大それたことをしてしまいました。
ですが、人間の本質は考えることにあるハズ…人間は考える葦である!
…てなわけで、的外れな解釈かもしれませんが、ご容赦いただければ幸いです!