手塚治虫の「どろろ」がアニメ化されたのに刺激されて、家の本棚に眠っているどろろ全3巻(私が持っているのは秋田書店の文庫版)を引っ張り出して、読みふけってしまいました。
「どろろ」は未完なの?
さて「どろろ」ですが、ぶっちゃけ面白いです。
ですが、手塚治虫作品の中で、完成度が高い作品とは言えません。
最後の百鬼丸とどろろの別れ方は、唐突で意味不明です。
また、話が後半に向かうにつれ、百鬼丸が簡単に妖怪を倒すようになり、ストーリーが先を急いでいる感じを受けます。

「幽々白書」の最終巻みたいな感じ…。
ここらへんの事情としては、どろろは連載当時(1967~1969年)あまり人気がなく、打ち切られたという説が有力です。
打ち切るにしても、手塚治虫としては「百鬼丸とどろろは別れてそれぞれ別の道を行く」というエンディングは譲れなかったのかもしれません。
それで漫画の枚数の都合上、もはやここまでとなった所で、読者にはあまり納得ができない唐突なタイミングで、百鬼丸はどろろに別れを告げるのではないか、と。

作中で百鬼丸がどろろに別れを告げるシーンは何度か出てくるのですが、それでもラストは唐突すぎます。
そんなわけで、よく「未完」と言われる「どろろ」ですが、正式には未完ではなく、話としては一応バタバタと終わっています。
百鬼丸の妖怪退治も、どろろの財宝探しも達成されないまま終わってしまうので、読者の方に消化不良感が残り、「未完」だと思われている感じですね。
「どろろ」はなぜ今読めば面白いのか?

連載当時は人気が出なかったという「どろろ」ですが、今では手塚治虫の代表作の一つと言われ、数年前も実写化されたほどです。
連載時になぜ「どろろ」は人気がなかったのかというと、「どろろ」が子どもには難しい内容であることが一つの理由でしょう。
大人になってから読むと、登場人物たちが抱える悩みの深さ、単純な勧善懲悪では語れないストーリーに惹かれていくのかもしれません。
1960年代に私はまだ生まれていないので推測ですが、「漫画は子どもが読むもの」という時代だったのではないでしょうか。
私は1978年生まれですが、私の両親は「漫画=子どもにとって害悪」と考えていました。「どろろ」の連載はさらに前の時代ですから、漫画を拒否する大人は多かったのではないかと。
連載していた1960年代は、「どろろ」に共感できるような大人は、この作品をほとんど読んでいなかったのでは?と思っています。
「どろろ」は「幽々白書」に似ている!?
「どろろ」は上述したように終わり方が唐突で、ストーリーが深いとはいえ、ある程度は子どもにも読めるように描かれているため、手塚作品の中でクオリティが高いとは感じません。
でも、読むと面白いんですよね~。
なぜか?というと、登場人物が魅力的だからでしょうね。
百鬼丸もどろろも不幸の生い立ちですが、その不幸に押しつぶされそうになりながら、懸命に前を向いて乱世をくぐり抜けていきます。

二人とも潔癖な善人、不屈の英雄ではないところが、人間味があるんですよね。
また、出番は少ないながら百鬼丸の育ての医者や、琵琶法師のおっさんなども人物として魅力的ですし、悪役と思われたイタチも悪いだけのヤツじゃなかったりして、全体的に共感の持てる物語です。
さっき「幽々白書」が話に出てきましたが、そういえば「幽々白書」と「どろろ」はいろいろ共通点があるな~と思います。
どっちも妖怪話、終わり方がやっつけ仕事、粗削りながら登場人物が魅力的。

「幽々白書」も同じ冨樫作品の「HUNTER×HUNTER」とくらべて、物語のクオリティという点では劣りますが、個人的にキャラの魅力は幽白の方が上だと感じますね。
百鬼丸は間黒男の前世だったりして…

話が冨樫作品になったところで、幽白のキャラは、幽助=ゴン、桑原=レオリオ、蔵馬=クラピカ、飛影=キルアと、ハンターと被るとよく言われます。
実は「どろろ」も、キャラがそっくりだと感じる手塚作品があります。
ハイ、ブラックジャックです。
百鬼丸=ブラックジャック、どろろ=ピノコ、寿海=本間先生…
特に百鬼丸とブラックジャックの顔はソックリです。
刃物(百鬼丸=刀、ブラックジャック=メス)を振り回している姿や、幼い頃に偉いお医者さんに命を助けられた運命にもデジャヴを感じます。
手塚治虫の中で、ひそかに生まれ変わり設定があるんじゃないかと思うくらいです。
まとめ
とりとめもなくダラダラ書いてしまいました。
百鬼丸とどろろは、どろろが大人になってから再会するのかな~。
先の話が気になる「どろろ」。誰か漫画家さんが後日談を描いてくれないですかね!?

それとも読者の想像にゆだねた方が余韻があっていいかな~。微妙っ!