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手塚治虫「ばるぼら」感想。芸術の本質は作者でなく作品にある。

手塚治虫作品
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手塚治虫さんの異色作「ばるぼら」が実写映画化されました。

手塚コミックを結構集めているワタクシ、いい機会だと思い、「ばるぼら」をクローゼットから引っ張り出して読んでみました。

再読になりますが、感想を書いてみます!

「ばるぼら」に描かれたテーマは?

「ばるぼら」は手塚治虫さんが描いた大人向け漫画で、1973~1974年にかけて連載されました。

手塚作品としては中期の作品といえます。「ブラックジャック」や「ブッダ」などの代表作を描き始めたのとだいたい同じ時期です。

描かれたテーマは…「魔女」「呪術」「狂気」などもありますが、一番大きなテーマとしては「芸術」でしょう。

芸術とは何か

この大きな問いに対する答えに、「ばるぼら」という作品の中における答えは出されていると思います。

そのメッセージをどう受け止めるかは読者にゆだねられている…そんな作品だと感じます。

「ばるぼら」のネタバレなしのザックリとしたあらすじと感想

「ばるぼら」を読もうか迷っている方に向けて、ザックリとしたネタバレなしのあらすじの紹介と、簡単な感想を書いておきます。

「ばるぼら」の主要な登場人物は、主人公の流行作家・美倉洋介と、フーテンのような若い女性バルボラです。

物語の舞台となっている時代は、モナリザの来日が話に盛り込まれていることから、「ばるぼら」が連載されていた1974年頃です。

「モナリザ」が来日公開されている部分のエピソードは、多少、事実とは異なる部分もあるようです。

売れっ子作家の美倉洋介は、新宿駅で浮浪者のような恰好で飲んだくれているバルボラと出会い、放っておけなくて連れ帰り、自分の家に住まわせます。

このバルボラが人生に入り込んできたことで、作家・美倉の芸術人生が波乱万丈になっていく…そんなストーリーです。

手塚治虫の大人向けの作品によくある「ムナクソ悪さ」がないわけではありませんが、芸術をテーマにしているだけあって、暗いエピソードが多い中でも全体としては奇妙に明るい…そんなイメージです。

物語は大きく展開していくので面白さがあり、最後まで一気読みしてしまうかもしれません。

ぽこ
ぽこ

読もうかどうか迷っているなら、ぜひ読んでみて!とおすすめします。

芸術家は自分ではなく作品を残す

ここからの文章は「ばるぼら」のネタバレを含みます。未読の方はご注意ください!

私は「ばるぼら」からひとつ、強く影響を受けている芸術観があります。

最後から2ページ前のコマにある、この文です。

たぶん彼(=美倉洋介)の行方は永久にわかるまい。

だが彼の作品は残るのだ。

魔女(ミューズ?)であるバルボラと出会い波乱万丈の人生を送る美倉は、過酷な経験の末、最後は記憶をなくし、貧しい中高年男性となります。

美倉はあと少しの命だろうと覚悟した時に(実際には命だけは助かる)、力を振り絞って一つの小説を書き上げます。

バルボラとの出会いと半生をつづったこの私小説は大成功し、大ベストセラーとなり大絶賛されます。

しかし当の美倉は行方知れずとなり、この最後の作品が世に出た後、本人は一切世間に姿を現しませんでした(本人も記憶をなくし、周囲も美倉だと気づかないまま一生を終わる…ということでしょう)。

作家自身はどこに行ったかわからないが、素晴らしい作品だけが世に残る。

芸術の本質は作者にではなく作品にある

「ばるぼら」に描かれたこの芸術観に私はとても感銘を受けまして、美術館に入った時、作者名より先に作品を見るようにして、気に入ったら作者の名前を覚えておくために作者名を確認するようになりました。

以前読んだ中野京子さんの「怖い絵」でも、同じテーマが触れられていました。

顔出しは芸術にはNG?

私は「ばるぼら」を読んでからこの芸術観に影響されすぎたところがあり、悪い癖もできてしまいました。

というのも、メディアに顔を頻繁に出す芸術家さんにあまり良い印象が持てなくなってしまったんですね。

小説などで本の帯に作者の写真が載っていると、それだけでその本が薄っぺらく感じられてしまって…。

あまりメディアに出ないポリシーを持つミュージシャンが時々いますし、現代アートで有名なバンクシーは覆面作家です。

こういう「顔を出さない」芸術家さんたちは、「ばるぼら」に描かれた芸術観と同じ考えなのかもしれないですし、あるいは私のような芸術家の顔出しを嫌うタイプの人間のことを考慮しているのかもしれません。

でも私は自分のこの癖は、何とか直したいという気持ちがあります。

顔を出すかどうかで芸術の良し悪しを判断するという単純な方法では、芸術を楽しむ機会を減らし、自分が損してしまう気がします。

ルネサンス期のヨーロッパの芸術家たちは自画像を頻繁に書いていましたし、芸術は自己顕示の一つであってはいけないとまでは思わないですしね。

「本人と作品は違う」は現実には難しい

ウィーン美術史美術館

芸術の本質は作者にではなく作品にある

これはとてもシンプルな芸術観ではありますが、なかなか難しいことです。

美術館ではなるべく作者の名前を先に見ないようにしている私ですが、本や音楽を購入するときはやはり作者を見て決めてしまうことが多いです。

また現代社会では、作者と作品は、さらに一体化してきているのではないかとまで感じます。

大衆的な芸術として「芸能」がありますが、芸能人のスキャンダルが大きく取り上げられると、芸能人が仕事を失ったり、過去に撮影したCMなどが流されなくなったりすることは茶飯事です。

私は、これも「ばるぼら」の影響かもしれないのですが、芸能人のプライベートと芸能そのものは、もっと切り離して考えてもいいんじゃないか…という考えがあります。

どんなにプライベートがだらしなくても、一般人の私たちがやってしまうような軽い過ち程度であれば、つまり逮捕されるような犯罪でなければ、芸能としての仕事は続けてもいいんじゃないか。

ただ…私のような考えの人はおそらく少数だから、企業がイメージダウンを恐れて、スキャンダルを起こした有名人を使えなくなってしまうのでしょうね。

「悪人芸術家の作品を評価してはならない」という考え方にも一理はあると思いますが、作者と作品が同一化していく先の芸術の未来はあまり明るくないんじゃないか…そんな気もしてしまいます。

まとめ

手塚治虫「ばるぼら」を再読した感想でした。

芸術について深く考えるきっかけになる作品であると同時に、漫画としても純粋に面白いです。

興味を持った方はぜひ読んでみてください!

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