ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読みました。
外国名作文学が好きな私ですが、何となく読む気が起きなくてずっと後回しにしていたタイトルです。
本屋の棚前でブラブラして、「他に読みたい本が見つからなかった」という消極的な理由で手に取りましたが、予想以上に興味深く読めました。
さっそく感想文です!
若い頃に読みたくなかったのは主人公の境遇が自分に重なるから?
車輪の下のざっくりとしたあらすじは、結構よく知られていますね。
「成績のよい少年が英才教育におしつぶされていく」…簡潔に言うとこんな感じのストーリーです。
大学の頃に親友が「車輪の下」を読んで、
主人公の人生を自分に重ね合わせて共感しながら読んじゃったな~。
と言っていました。
私が「車輪の下」を若い頃に読む気が起きなかったのは、親友とは逆に、「自分と重なる運命」をわざわざ本で読みたくなかったのかなあ…と、今になって思います。
私は、教育熱心すぎる両親&難関大合格者数命の地方進学校という組み合わせで育っていまして…そうですね、若い頃はそんな人生にうんざりしておりました。
人間は自分の境遇に近い物語を共感しながら読む反面、逆に、自分に近すぎる物語は読みたくないという部分もあるのでしょうね。
夢のない英才教育の悲劇
「車輪の下」の主人公は、田舎で他の子どもたちから飛び抜けて成績がよかった少年ハンスです。
このハンスに対し、大人たちたちが寄ってたかって英才教育を施し、ハンスはその運命に静かに押しつぶされていく…という物語です。
20世紀初頭のドイツを舞台とした物語ですが、驚くほど現代の日本の教育事情(少なくとも40代の私が受けた教育)と似ています。
学問・勉強の目的が、人生を深めるためではなく受験に受かるためというのがもうソックリです。
「車輪の下」の主人公ハンスは、特に物語の前半は、非常に存在感のない主人公です。
彼は「頭のいい子どもはそうするものだから」という惰性で、神学校に入るための州の試験勉強に取り組んでいます。
神学校に入った後の道は牧師か教師ですが、「牧師や教師になりたい」というハンスの熱意は一切描かれません。
彼はただ周囲の大人たちに言われて、目の前の難関な試験のための勉強をこなしているだけです。
後半のハンスの転落は、ハンスの学問には自らの意志と将来の夢がなかった…ということに原因があったのではないかと感じました。
友人を喪失したハンスには何も残らなかった…
夢もないまま神学校へと進んだハンスは、最初は受験勉強と同じように神学校でも「良い成績を取る」ことを目標として学問に取り組みます。
しかし、ハンスの人生を決定的に変える友人・ハイルナーが登場します。
このハイルナーは自由奔放・芸術気質で、神学校の先生たちからの評判もよくありません。
ハイルナーと親しくするうちにハンスは神学校の先生たちからの評価を下げ、精神的に不安定になっていくのですが…私は「ハイルナーとの出会いがハンスの人生を明るく広げてくれるのかな?」と思っていました。
ですがハイルナーは退学し、ハンスの人生から去ってしまいます。
現代みたいにネットで簡単に連絡が取れる時代なら、もっと違う方向に物語が進んだのかもしれませんが、ハイルナーを失ったハンスは学校で孤立し、情緒不安定は加速します。
こんな時「良い成績を取る」という目標では、ハンスは学問の道に戻れませんでした。
学問とは根本的には、試験の点数を他者と競うものではないですからね…。
なぜハンスは「車輪の下」で力尽きたのか?
で、ハンスは学校を事実上退学し、田舎の実家に戻ってくるのですが、この時のハンスの父親の対応は、満点とは言えずともまずまずだったのでは?と思いました。
ハンスの父親は凡庸な人間として描かれますが、学問の道に挫折したハンスを罵倒するでも、大げさに励ますでもなく…ハンスは煩わしいと感じた部分も少しはあったようですが、それなりに静かに日常に受け入れています。
ここらへんは「世間の目」を気にする日本とはちょっと違うのかもしれませんけどね。
ハンスはしばらく休養した後、幼なじみの友人を頼って機械工の仕事見習いを始めます。
学問エリートが機械工…ハンスに多少の屈辱はありましたが、全体としては職場の雰囲気は悪くなく、ハンスもそれなりに前向きに新しい生活へ入ります。
挫折したエリートをそれなりの温かさで迎える田舎で、物語は穏やかに閉じるのかな?と思いきや…ここでハンスの人生は力尽きてしまいました。
確かに帰ってきた田舎では失恋や、かつての神童に浴びせられた心ない言葉はありましたが、それなりに穏やかに生きていけそうだったのに、なぜ…?
ハンスの死が事故なのか自殺なのかは描かれません。ただ、ハンスの人生はここが限界だったということだけは何となくわかります。
私にはハンスを死へと駆り立てるほどの要素が、田舎に帰ってからのハンスにあったようには思えませんでした。
田舎に帰る前に既にハンスの人生は損なわれていて、田舎に帰ってからの些細な…通常の精神状態の人間なら死までは考えないような出来事に、耐える力が残っていなかったのかもしれません。
夢も意志もないまま、優秀な子どもに群がる大人によって人生の方向を決められ、じわじわと取り返しのつかない所まで追い詰められた少年。
人生の舵取りを親や先生などの大人にガッチリ握られた子どもの内面は、外側からはわかりにくい形でボロボロになっていたのでしょう。
「車輪の下」は誰が読むべき物語?
「車輪の下」は現代の日本人が読んでも、まったく古くない物語です。
むしろ「毒親」や「ブラック校則」などという言葉が市民権を得ている現代日本では、読んで考える価値のあるテーマだと感じます。
「車輪の下」は、教育を施す側、教育を受ける側、どちらにも読むことをおすすめしたい本です。
「教育を施す側」は、子どもたちから人生の主導権を取り上げ、社会のレールに押し込む教育の危険性を知るための本として。
「教育を受ける側」は、ハンスのように英才教育の犠牲にならないために、自分の人生の主導権を手放さないことを心に留めるきっかけとして。
ハンスはなぜ死んでしまったのか。どこでどの運命が違えば彼は生きていけたのか。
ハンスの運命を考えることは、自分の人生について考えることにつながりそうです。