中島みゆきさんの代表作のひとつ「Maybe」の歌詞について考察してみました!
「Maybe」について
「Maybe」は、1991年に発売された中島みゆきのアルバム「歌でしか言えない」の4曲目に収録された楽曲です。
「Maybe」はアルバムが発表される前に、サビ部分だけがカメラのCMソングに使われてテレビで流れていました。
そのため「CMソングとして作られた歌なのかな?」と思っていましたが、CMで使われる前に「夜会」(ストーリー性のあるコンサート)で歌われていたそうです。
「夜会」の歌を集めたアルバム「10WINGS」にもアレンジが違うバージョンが収録されていて、「夜会」用に作られた歌と考えるのが適切なようです。
個人的には「10WINGS」のバージョンより「歌でしか言えない」の方が好きです。
他にも「Maybe」は、「誕生」とのダブルA面シングルとして販売されたこともあります。
さまざまな盤に収録されていることもあり、中島みゆきの楽曲の中で存在感のある一曲です。
「Maybe」に歌われる大きなテーマは?
では、「Maybe」の歌詞の意味について考察していきます!
「Maybe」は、1990年のステージ「夜会」で最初にお披露目されました。
この1990年の「夜会」で「Maybe」が歌われた場面を動画で見たことがあります。
「夜会」はシンプルなコンサートではなく、ストーリー仕立てになっていますが、「Maybe」は「都会で働く孤独な女性が強がっている」というような場面・雰囲気で歌われていました。
歌詞全体を見ても、「Maybe」で歌われているのはこのテーマで間違いないと思います。
弱気になった人たちは 強いビル風に飛ばされる
私は髪をきつく結いあげて 大きなバッグを持ち直す
こういった歌詞から、都会で働いている強気な女性のイメージが沸いてきますね。
「大きなバッグを持ち直す」という表現は、女性にとっては重い荷物を自分で持っているこの女性が、孤独であることも暗示しているように思います。
「Maybe」のキーワードとなるのは「風」
「Maybe」でよく出てくるワードが「風」です。
私が「Maybe」を最初に聴いたのは高校生の頃で、まだ地元の九州にいました。
この時は「Maybe」に出てくる「風」の描写についてよくわからず、サビの「夢見れば人生はつらい思いが多くなる」という歌詞と、前半の風とか雲とかの自然現象がうまくつながりませんでした。
しかし東京の大学に進むことになって上京すると、すぐに「『Maybe』でなぜ『風』が歌われるか」がピンときました。
東京の春は風が強すぎる!!!
3月後半~4月前半の風の強さが、九州とくらべると半端ないっ!!!
コレは東京だけでなく関東全体の話なのでしょうが、東京はさらに高層ビルが多いため、ビルの横を吹き抜ける「ビル風」の強さったら…!確かに弱気になったら飛ばされそう…。
進学や仕事で上京するのは3~4月という人が多いでしょうから、東京の第一印象は「風が強い」だったという人は結構いるのではないでしょうか。
雲の流れは西から東 4つの季節をつないでゆく
今日も地上に吹きつける風は左から右 右から左
空は雲の流れがはっきり見えるほど良い天気なのに、そのおだやかな空から、東京の強風が左から右から容赦なく私の身体に浴びせられる。
そして中島みゆきの歌詞は、この風に「都会で生きていく厳しさ」を巧妙に暗示させます。
1秒毎に気が変わる予測のつかない癇癪持ち
1つのビルの角を曲がる度に意外な向きで吹きつけてくる
都会の生活はあわただしくて、秒刻みで状況が刻々と変わっていく。それについていかなければならない厳しさ。
あるいは勤務先の上司や顧客が、あっという間に癇癪を起こして、その負のエネルギーが自分に向かってくる(「Maybe」が作られた1990年代は職場のパワハラ・セクハラは日常茶飯事。カスハラは現在でも普通にありますが…)。
それでも、
私は唇かみしめて胸をそらして歩いてゆく
…グッとこらえて、気丈にふるまう主人公の姿が歌詞に描かれます。
「Maybe」の主人公女性が強気にふるまう理由は結構せつないです。
思い出なんか何ひとつ私を助けちゃくれないわ
夢とか恋とかを追いかけた昔の(故郷での)思い出は、その思い出がどんなに大切なものであろうと、自分が都会で現在抱えている問題を解決などしてくれない。
昔の大切な人だって、今の私を助けに来てくれるわけではない。
私をいつも守ってくれるのはパウダールームの自己暗示
感情的な顔にならないで 誰にも弱味を知られないで
「Maybe」の主人公は、オフィスやデパートや駅のトイレで、鏡の中の自分に向かって「自分で自分を守れ」と言い聞かせています。
サビの曲調の違いについて
さて「Maybe」は、都会の厳しさの中で生きる女性が自分だけを頼りにして強気に生きていく歌…ではありますが、それだけでは終わらない奥の深い歌です。
「Maybe」には曲調がガラッと変わる箇所があります。
なんでもないわ私は大丈夫 どこにも隙がない
なんでもないわ私は大丈夫 私は傷つかない
このフレーズは1番と2番の同じ個所ですが、どちらのフレーズも繰り返されます。
そして繰り返されるときに、アップテンポだった曲調が急にやさしいバラード調になり、中島みゆきの歌い方も、元気でハリのある声から、自信なさげな頼りない声に変化します。
この歌い方の変化…本当に見事で、「私は大丈夫」というのは強がりであることが、聴き手にはバッチリ伝わってきます。
そして
Maybe 夢見れば Maybe 人生は
Maybe つらい思いが多くなるけれど
Maybe 夢見ずに Maybe いられない
Maybe もしかしたら
…というサビの歌詞につながっていきます。
都会で忙しくストレスフルな生活を強気に耐える女性が、心のどこかでは「もしかしたら何か素敵なことが起こるかもしれない」と夢を見ることをやめられない…ということですね。
この「かもしれない」が、タイトルにもなっている「Maybe」の意味…というわけです。
夢見れば期待するだけつらくなる…でも、人生は夢見ずにいられない…人生は夢見るべきなのか夢見ないべきなのかわかりませんね。
現段階での私の気持ちとしては、たとえ叶わなくても、夢は見た方が人生は楽しくなるんじゃないか…そんな感じです。
「トーキョー迷子」との連作と考えるとどうなる?
実は「Maybe」の解釈として、アルバム「歌でしか言えない」で「Maybe」のひとつ前に収録されている「トーキョー迷子」の続きを歌った歌なのでは?と考える人もいます。
「トーキョー迷子」も「Maybe」も東京で生きる地方出身の女性を描いた歌。
「トーキョー迷子」は戻らぬ恋人を待つ歌ですが、「Maybe」ではその恋人が戻ることを諦め、東京で女性一人バリバリ働いて生きていくことを決めた…そんな解釈です。
確かに「トーキョー迷子」では「思い出は綺麗」と歌いますが、「Maybe」では「思い出は私を助けてくれない」と歌い、「Maybe」で昔の恋人をスパっと切り捨てたように聴こえなくもないです。
「Maybe」は夜会のために作られた歌で、「トーキョー迷子」はシングル曲として発売されたことを考えると、完全な連作とは断定できないかなと思いますが、そういう聴き方もじゅうぶんできるというのが面白いと感じます。
さらに「Maybe」の次の楽曲「渚へ」まで連作だと思って聴くと、昔の恋人が見つかって、でもやっぱり自分のものにはならない…なんてストーリーに見えてきちゃいます。
まとめ
中島みゆきさんの「Maybe」の歌詞をあれこれ考えてみました。
「都会の厳しさ」がテーマの歌ですが、九州出身の私にとっては、実は都会は田舎よりも女性にとって生きやすい場所だと感じます。
東村アキコの人気コミック「東京タラレバ娘」でも、主人公のモノローグにこうあります。
東京じゃ若い女が赤ちょうちんで飲んでても誰も何とも思わない
私はこの東京(まち)が好き
まったく同感。私が19歳まで過ごした九州の地元は男尊女卑が根強く、少なくとも1990年末までは窮屈に感じる町でした。
東京大好きな私ですが、それでも「Maybe」の歌詞は人間の普遍的な望みを歌っていて、心に刺さるものがあります。
「Maybe」は、昔は前半とサビの曲調の違いに違和感が気になって、あまり好きではなかった歌なのですが、聴けば聴くほど好きになってきた曲です。
もしかしたら私が「Maybe」の奥深さがわかるほど、大人になったのかもしれません。
こういった名曲を味わえるようになるならば、大人になるのも捨てたもんじゃないですね。