1978年生まれの私は、ジャンプの黄金時代にティーン時代を生きています。
ですが、漫画・アニメを悪だと考える両親のもとに育ちまして・・・黄金期のジャンプ文化をしっかり味わえなかったことが、いまだに悔しいです。
そんな私が、唯一、視聴が許されていたのが「聖闘士星矢」。
「スラムダンク」や「ドラゴンボール」ほど長く人気があった作品ではありませんが、最大瞬間風速的な人気はスゴかった作品です。
当時の小学生は皆、アニメの「聖闘士星矢」を見ていて、この作品を見ていないと、クラスメイトとの話に全く入っていけませんでした。
ちょうどこの頃転校を経験した私は、2歳年上の姉と、両親に「このアニメを見ないと新しい学校で友だちができない!」と直談判しまくって、ようやく見ることができました。
両親立ち会いで試し視聴して「見てよし」という判決が下りました。たまたまバトルのないソフトな回だったのですが、紫龍の目つぶし回とかだったら、絶対にNGでしたねえ…。
すごい前置きが長くなりましたが、そんなわけで子どもの頃に唯一見ていた「聖闘士星矢」は、ちょっと思い入れのある作品です。
主要キャラの女性化は現代の価値観に沿わせるため…
「聖闘士星矢」は、いろいろとリメイク作品や派生作品が作られているのですが、2019年にNetflixが配信する3Dアニメで、アンドロメダ瞬が女性化されることになりました。
瞬が女性化されたのは、「ポリティカル・コレクトネス」が根底にあると言われています。
参考 聖闘士星矢の「瞬」を女にしたNetflixの波紋(東洋経済オンライン)
聖闘士星矢は30年くらい前の作品ですから、現在の価値観とは合わない部分があるのはわかります。
女性であるアテナ沙織を、主人公グループ5人の少年(=男性)が守るのがメインストーリーですが、「女性は守られる存在」「男性は戦う存在」と、性の役割を固定しすぎているというわけなのでしょう。
まあ、実はそんなに単純ではなく、戦女神であるアテナ沙織が、聖闘士たちを守る場面もあるんですけどね。
星矢ファンはなぜ瞬の女性化を受け入れないか
さて、予想できることですが、聖闘士星矢ファンからは、瞬の女性化に否定的な声が上がっています。
私はものすごくコアな聖闘士星矢ファンではなく、アニメと原作漫画、それからLCという派生作品をアニメで見たくらいなので、「作品を冒涜された!」というほどの怒りは感じていません。
ですが、「瞬が女の子になった聖闘士星矢なんか見なくていいよな~」という感想です。
聖闘士星矢はストーリーの完成度は高いとはいえず、矛盾やツッコミどころが多いです。それなのにあれだけの人気が出たのは、キャラクターが魅力的だったからです。
メインの5人は、五人五様でそれぞれ個性があり、5人の中で誰ひとり見劣りするキャラがいないのがスゴイですね。
その中で瞬の個性といえば、「どんな女性よりもかわいくてやさしい少年」。
瞬のこの個性も、現在のジェンダー観にはひっかかるかもしれませんが、少なくとも星矢ファンは、そういうキャラとして瞬に慣れ親しんできました。
まあ言えば、瞬が女性化するのは、キャラのアイデンティティ消失です。つまり、もう瞬じゃないんですよね。
現在の価値観に合わないというならば、瞬に代わる、まったく別のオリジナル女性キャラを作った方がよかったのではないかと思います。
昔の作品は現在の価値観に合わせるべきなのか?
私の家には手塚治虫のコミックがいくつかありますが、巻末には「現代から見ると差別的と指摘される表現がありますが、原作を尊重しそのまま紹介します」という主旨の注意書きがあります。
歴史の中で価値観は移り変わっていきます。
負の歴史から学ぶことはもちろん大切ですが、現代の価値観が絶対的に正しいと考えることは問題です。
現代の価値観に沿うように、昔の作品を書き換えることには、そのような危険さを感じます。
逆に歴史から学ぶためにも、昔の作品に現在の価値観に合わない表現があっても、手塚治虫のコミックのように、注意書きを添えて、そのままにしておく方がよいのではないでしょうか。
源氏物語が現在の価値観に合わないからと言って、光源氏の女遍歴を改変してしまったら、もはや源氏物語ではないですよね。
今回の瞬の性別改変は、こんな大げさな話ではなく、もっとビジネス的な部分が大きいのでしょうが、現在の価値観を絶対視しないということは、自分に対する警鐘にしたいな、と思います。