中島みゆきさんの楽曲「月の赤ん坊」の歌詞について考えてみます。
「月の赤ん坊」ってどんな楽曲?
「月の赤ん坊」は、中島みゆきさんが1985年に発表した「miss M.」というアルバムの6曲目に収録されています。
マイナーコードの静かでミステリアスな雰囲気の曲で、聴いているだけで、窓から差し込んでくる弱い月光が脳裏に浮かんできます。
アルバムにしか収録されていない曲ですが、個人的には名曲ぞろいの中島みゆきさん作品の中でも、かなり名曲だと思っています。
私的な中島みゆきベスト盤を作ったら、この曲は絶対に入れたいですね!
そんな名曲の「月の赤ん坊」ですが、タイトルも歌詞も意味深で、解釈が難しい一曲でもあります。
なかなか「これだ!」という解釈にはたどりつけないのですが、いろいろ思考をめぐらせてみます!
大きなテーマは「子どもと大人」なんだけど…
「月の赤ん坊」はミステリアスな歌詞ですが、ザックリとした大きなテーマは、子どもと大人…でしょう。
ただし、同じ「miss M.」に収録されている「熱病」という楽曲が、反抗期の子どもが大人の世界を拒絶しているのに対し、
「月の赤ん坊」の方は、子どもが大人の世界を肯定しているのか否定しているのかは、わかりづらいです。
大人になんか僕はなりたくない
この歌詞を見ると、大人の世界が否定されているように感じますが、
恐いもの何もないと言えたら大人と呼ぼうね
この歌詞には、子どもが大人になりたいという願望が感じられます。
このあたりが非常に難しいので、「月の赤ん坊」の歌詞は、1番から丁寧に読み解いてみようと思います。
1番の歌詞…これは「大人の孤独」を指しているのか?
まずは1番のAメロの歌詞を見ていきます。
閉ざしておいた筈の窓をすり抜け
子守歌が流れてる
裸足のままで蒼い窓辺に立てば
折れそうな三日月
「閉ざしておいた筈の窓」…ここはいきなり、比喩表現になっていると、昔から直感的に思っています。
「閉ざしておいた筈の窓」とは、閉ざされた心、思っていることを表情に出さない感情の檻…そんなイメージです。
自分を傷つける外部の刺激から自分の心を保護し、かつ、用心深く自分の感情を知られないために、固く閉ざした自分を守るための壁、ですかね。
しかし、その壁には窓がある。
その窓も閉めているのだけど、月光が窓をすり抜けて入ってくるように、子守歌が流れ込んでくる。
子守歌とは…ここは子どもを眠らせるための歌、ではなく、字の通り「子どもを守るための歌」と解釈できるように思います。
しっかり防衛した心の中には、無防備な子どものような自分がいる。この「防衛されている子どものような自分」を、仮に「素の自分自身」と捉えてみます。
大人になった自分は、「素の自分自身」を誰にも頼らずに自分で守っています。
だれが歌っているのだれが叫んでいるの
なんでもないよと答えた日からひとりになったの
「だれが歌っているの/叫んでいるの」≒「大丈夫ですか?」という外からの問いかけに、「何でもありません、大丈夫です」と答えて、「ひとりになった」=自分で自分を守るようになった、と。
しかし、
笑顔のままで蒼ざめきった月は
今にも折れそう
「大丈夫です」と表面的には笑っていても、無理をしているために、その顔色は青ざめている。
「大人は自分で自分を守るもの」と覚悟する一方で、本音の部分=素の自分自身=自分の子ども的な部分は、誰かに頼りたい、守ってほしい、と思っている。
だからこそ、どれだけ心を防衛しても「子守歌」=自分の子ども的な部分を守ってくれるものに惹かれてしまう…1番はそんな感じかなと思います。
複雑なのでまとめます!
2番の歌詞…大人になることを嫌悪しても結局は
では2番の歌詞に行きましょう。
大人になんか僕はなりたくないと
だれかを責めた時から
子供はきっとひとつ覚えてしまう
大人のやりくち
2番は、「大人」「子供」というキーワードが頻発します。
「大人になんかなりたくない」とだれか(=おそらく大人)を責めるという表現から、ここには子どもサイドから見た大人の世界への嫌悪感が見られます。
ですが、大人の世界を垣間見てそれを非難すると同時に、子どもは大人の世界を目にすることで「大人のやりくち」を知ってしまいます。
そして、これは「熱病」にも見られるベクトルなのですが、その「大人のやりくち」におそらく少々の憧れは抱いてしまうのでしょう。
君はいくつになるの明日いくつになるの
恐いもの何もないと言えたら大人と呼ぼうね
Bメロのこの歌詞には、子どもが心のどこかで大人と呼ばれがっている気持ちが、透けて見えますね。
大人と呼ばれるためには年齢を重ねることではなく、精神的に大人になることが必要。
それが「怖いもの何もないと言える」ということです。
ポイントは「怖いものがなくなる」ではなく、「怖いものはないと言える」というところでしょう。
本当は恐れているものはあるのだけれど、それを恐くないと表面的に取り繕えることが、大人になること、というわけです。
これは1番の「なんでもないよと答えた」という歌詞ともつながります。
子供はいつもそれと知らないうちに
大人に変わるよ
大人の世界を嫌悪しながら、それでも大人になることを拒否できない…これは人間が生きていく上でどうにもならない宿命なのかもしれません。
大人を責める傍らで、大人の流儀をどんどん知ってしまい、気が付けば自分も「恐いものはありません」と表面的に取り繕える大人になっていく…ということでしょう。
月は何を象徴しているのか?
「月の赤ん坊」の歌詞のラストはこう結ばれます。
夜になるたび月は子供に帰り
ひとりを恐がる
ここで出てくる「月」は、一番の「笑顔のままで蒼ざめきった月」の「月」と同じ意味で使われていると推測されます。
笑顔で表面を取り繕っている大人は、夜になると自分の中の子ども的な部分が沸き上がってくる。
そうすると、日々「大丈夫」と言いながら自力で孤独に生きている人生が、さみしくて恐くなってくる。
「月の赤ん坊」は、日々孤独に生きている大人の強がりが夜になると崩れてしまうという歌…なのかなと思います。
つまりタイトルの「月の赤ん坊」を詳しく読み解くと、「一人でさみしそうに空に浮かんでいる月のように、夜になると孤独を恐れる子ども(赤ん坊)に戻ってしまう大人」という意味になるのかな。
じゃあその孤独をどうするのか…というと、その答えはこの歌の中にはありません。
大人になっても、自分の中の大人になり切れない部分が、孤独を恐がる一面がある…そんな自分で生きていくしかない、人生はそんなもの…全体としては静かな諦念を感じます。
まとめ
「月の赤ん坊」の歌詞について考えてみました。
ミステリアスな歌詞について一応の結論が出ましたが、もしかしたらまったく見当違いの考察になっているかも…。
いずれにしても曲調も歌詞も、非常にせつなく心に染み入ってくる曲。
私は自分が孤独を恐れる人間だとは思っていないのですが、私の中にも自分で気づいていないだけで「月の赤ん坊」的な要素があり、「閉ざしておいた筈の窓をすり抜け子守歌が」入り込んでくるのかもしれません。