松井秀喜が甲子園で5連続敬遠された、明徳義塾VS星稜の試合をテーマにしたノンフィクション「甲子園が割れた日」を読んだ感想です。
「甲子園が割れた日」はどんな本?
高校野球ファン…というよりオタクに近い私、高校野球に関する本はちょこちょこ読んでいます。
その中で、長い間読まずにいたのが「甲子園が割れた日」。
松井が五連続敬遠された試合、明徳義塾VS星稜に焦点を当てたノンフィクションです。
この本は2021年に新しく集英社文庫版が出ましたが、一番最初に刊行されたのは2007年で、新潮社から単行本として発売されています。
松井五連続敬遠の試合は1992年のことですから、最初に発売した2007年でも、15年経ってから出された本ということになります。
そのためリアルタイムの当事者たちの言葉ではなく、10年以上経って後から振り返った当事者たちの言葉を集めているのが特徴です。
そんなわけで当事者たちが語る言葉はあのリアルタイムの騒動とは離れていて、クールダウンされているな…というのが率直な感想でした。
その中で、当時の感情とそれほど思いが変わっていない人たちもいて興味深いです。
松井五連続敬遠事件とは?
松井五連続敬遠は1992年と、かなり昔の話になってきて、若い世代は知らないという方も多いでしょう。
有名な「事件」ではありますが、当時中学生だった私の記憶をたどる形でザッとおさらいします。
1992年の2回戦(正確には星稜は2回戦、49番目に登場した明徳は初戦)の明徳義塾VS星稜で、大会屈指のスラッガーとして騒がれた星稜の松井が5打席連続で敬遠され、敬遠した側の明徳が1点差で勝ちました。
現在の若い人たちから見ると「これのどこが事件?」と思うかもしれません。
松井は1年生から甲子園に出場していたこともあってプロ注打者として非常に騒がれていて、「ゴジラ」という愛称も高校時代から定着していました。
そのためマスコミもファンも、松井のホームラン見たさに甲子園に集まっていた人は多かったのです。
そのホームランを見れるかもしれない機会が敬遠によって奪われ、しかも星稜が負けそう…という事態に甲子園全体が(今に思えば同調圧力のように)ヒートアップし、松井の最終打席には「勝負!」コールが沸きおこりました。
最終打席も敬遠になると、星稜応援団は甲子園のグラウンドにメガホン等を投げ込み、試合が中断する事態に。
明徳が勝った後の校歌斉唱は観客の「帰れ!」コールにかき消されました。
マスコミの多くは明徳の敬遠策を責め立て、高野連まで「勝負してほしかった」という声明を出すという…まさに大衆によって作られた「事件」でした。
意外だった主要人物たちの言葉
「甲子園が割れた日」は、5連続敬遠から10年以上経ってから、さまざま関係者の言葉を拾い集めています。
どういった関係者の言葉かというと…
…これだけにとどまらないくらいの関係者の証言を集めています。
読んで一番驚いたのは、10年以上経っていることもあってか、星稜の選手たちが想像以上に5連続敬遠を感情的な言葉で語っていないことでした。
以下は星稜の3番エースだった山口の言葉です。
なんとも思わなかったといったら嘘ですけど、悪いことをやっているとは思ってなかった。
【中略】
この前、馬淵さんのドキュメンタリー番組を観たんですけど、やっぱりすごい人だと思いましたね。勝負の世界は勝たな意味がないって。あれは正解です。うちは監督もそうですけど、みんな人がよ過ぎる。星稜は、いってみたら、化かし合いに負けたんですよ。
星稜の6番打者で、現在は新聞記者をしている福角もサッパリとしています。
結局、後ろが打てなかったのが悪かったんですから。
私はテレビでこの試合を見ていましたが、星稜の選手たちは、最後の試合挨拶の際も非常に感情的になっているように見え、5敬遠に憤っているように見えました。
あれほど怒っているように見えた星稜の選手たちが、10年以上経っているとはいえ、このようなクールな言葉を語るとは驚きでした。
当時は高校生で若かったこともあるでしょうが、球場に集まった大衆の雰囲気、敬遠に対して感情的になっていた星稜の監督…こういったものに引きずられて、自分たちが被害者に思えてしまった…というのは少なからずあったのかもしれないですね。
NHKの中立放送を保ったのは解説者の力だったのか…
もう一つ意外だったのは、NHKで解説をしていた福島さんの証言です。
私はあの5敬遠の試合で、はっきり批判できると考えているのはABC放送の実況です。
完全に「明徳の敬遠策は悪」という大衆側の立場から、アナウンサーも解説も非常に偏った発言を繰り返しました。
まさにポピュラリズムであり同調圧力。ルール違反しているわけでないアマチュアのチームを一方的に批判するなんて。
こんなメディア倫理を欠いたテレビ局に、アマチュアスポーツを中継する資格はないと思っています。
その一方でNHKの中継は、松井選手に対する少々の同情は見せながらも、明徳の作戦をアナウンサーと解説者が一緒になって批判はしませんでしたし、可能な限り冷静に試合を伝えていました。
以来、私の高校野球TV観戦はABCでなくNHKです。ABCが制作する「熱闘甲子園」も、どこか私の感覚とはそぐわないため見ません。
ですが、解説だった福島さんが言うには、
アナウンサーも、高校野球はこうあるべきだ、ってタイプやった。野球を知らないから美化してる。試合中も、ずっと憮然としとったからね。でも俺まで一緒に興奮するわけにはいかんやろ。NHKは僕でよかったと思うで。高校野球はこうあるべきだ、ていうスタンスでいったら、明徳、悪者やもん。メガフォン投げることの方が由々しき問題なんやから。まあ、興奮する理由もわかりますけどね。
…NHKの放送も、解説者が福島さんじゃなかったら、ABCのような感情的な放送になっていた可能性があったんですね…。これは驚きでした。
「高校野球らしさを押し付けない」という著者に共感
私は「甲子園が割れた日」という本の存在を、発売された頃から知っていました。
ですが…
「敬遠は高校生らしくない!勝利至上主義はけしからん!」…という内容の本だったらイヤだな…。
と思って、長年手に取らずにいました。
ですが、作者の中村計さんの他の高校野球作品「勝ちすぎた監督」を読んで、「この作者さんだったら私の心配は杞憂だな」と思い、ようやく読めた…!という顛末です。
中村計さんはしっかりした取材を重ね、事実を直視し、その上でなるべく偏った意見にならないように細心の注意を払いながらも、自身の考えは明確に書くライターさんだと思います。
中村さんの考えに同意する部分も、ちょっと違うかな?と思う部分もありますが、大きく共感するのはこの考え方です。
無菌であること、真っ白であることよりも、語弊があるかもしれないが、多少菌にまみれていること、多少汚れていることの方がピュアだし、健全だ
血と、汗と、泥と、涙と―――。そんな廉価な物語に頼らずに、今年も夏の甲子園を心ゆくまで楽しみたいと思う。
高校野球は潔癖症すぎる―――。特に最近は、SNSですぐに叩かれることを恐れてか、その傾向が強いです。
近年は試合中の交錯プレー、2塁ベース上の動きに対する審判からの注意(ただの注意かもしれないのに)、果ては握手するのしないので、ネット上で高校野球の関係者がすぐに叩かれるという傾向があります。
あれだけ批判された5連続敬遠は、今は「作戦は問題ない。騒いだ人たちの方がどうかしている」という世論が半数を占めています。
5連続敬遠は20年以上前の事件でありながら、現在の高校野球ファンも、あの騒動がどのようなものだったのかを知ることに、大きな意味があると感じます。
現在でも外野の人間である大衆が、(自分のことは棚に上げて)高校野球に潔癖であることを強要し、高校野球の現場を傷つけるという状況は改善されていません。
外野の人間は、グラウンドにメガホンを投げ入れるようなこと=知りもしない現場に土足で入り込んで価値観を押し付けることは慎むべきでしょう。
一人の高校野球ファンとして、この考えは改めて肝に銘じたい…この本を読み終わった後、強く心に誓った次第です。
まとめに代えて
「甲子園が割れた日」を読んだ感想でした。
本書を読んで、もう一つ驚いたことがありました。
あの五連続敬遠事件でひそかに高校野球ファンに賞賛されたのが、明徳が星稜戦の後に戦った広島工業でした。
広島工業の応援団はアルプス席で「明徳はルール違反はしていない」「私たち広島工業だって同じ作戦を取るかもしれない」などと書いた紙を配り、アルプス席から明徳にヤジやブーイングが飛ばないような配慮をしました。
この話は高校野球ファンには有名で、私も「さすが野球どころ広島のチーム…」と感銘を受けました。
しかし本書の記述によると、完全悪役を覚悟していた明徳の選手たちは、この試合での甲子園の思いがけない温かい雰囲気に、逆に力が抜けてしまった…と。
当時この試合もテレビで見た私は、「明徳は悪役にされたことに心が折れて試合に集中できなかった」と思い込んでいましたが、これも思い込みだったんだなあ…。
私たちファンは外部から高校野球を楽しんでいますが、内部で当事者たちがどのような思いで試合をしているのかは、本当に計り知れない…と改めて感じました。
五連続敬遠で起こったグラウンドへの物の投げ入れに象徴されるような、ファンによる外部からの勝手な干渉は決して許されない…高校野球のグラウンド内は不可侵なのだと、しっかり自分にも言い聞かせたいです。