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魔曲ジョックロック誕生の歴史を智弁和歌山ファンが熱く語る!

智弁和歌山対柳川 高校野球
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高校野球で智弁和歌山が勝ち進むと、よく話題になるのが、魔曲「ジョックロック」

ジョックロックが誕生したのは、「智弁和歌山が全国優勝した、2000年夏の準々決勝柳川戦の逆転劇がきっかけ」と言われることがあります。

実は私、この試合は、甲子園で観戦しています。

それで、

ジョックロックの起源は柳川戦じゃないんじゃないかな…

と、つねづね思っていたので、ちょっと記事にしてみることにしました。

そもそも「魔曲」とは何?

高校野球ファンがよく使う用語に、「魔曲」というものがあります。

「魔曲」とは、応援団が演奏すると、試合の流れが変わってしまうことが多い曲を指す言葉です。

「魔曲」の「魔」は、「甲子園の魔物」に由来しています。「魔曲」と呼ばれるチャンステーマが流れると、試合の流れを変える「甲子園の魔物」が出現しやすいのだとか。応援団が魔曲の演奏をはじめると、「マモノ召喚」と言われたりします。

「魔曲」の中で、最も有名なのが、智弁和歌山が演奏する「ジョックロック」。

智弁和歌山は、終盤の逆転劇が得意という伝統があるチームですが、その逆転劇のBGMとして、だいたい流れているのが、この「ジョックロック」です。

ジョックロックが流れると智弁和歌山打線に火がつく

智弁和歌山は、強打を売りにするチームですが、なぜだかこの応援曲「ジョックロック」と智弁和歌山打線の相性がよく、「ジョックロック」が演奏されると、打線が爆発し、ビッグイニングになることが多いです。

非常に有名な試合は、2006年夏、準々決勝の帝京戦で、9回に4点差をひっくり返してサヨナラ勝ちした試合ですね。この時、バックには「ジョックロック」が流れていました。

記憶に新しいところでは、2018年の春のセンバツで、準々決勝、準決勝と、続けて5点差をひっくり返す逆転劇。どちらの試合でも、要所で「ジョックロック」が演奏されました。

この他にも、1~3点差をひっくり返す小さな逆転劇は、「ジョックロック」のリズムに乗って、何度も甲子園で披露しています。

2000年夏の柳川戦ってどんな試合だったの?

智辯和歌山対柳川

さて、ここからが本題ですが、「ジョックロック」が「魔曲」となったのは、2000年夏の準々決勝、柳川戦の逆転劇だという説があります。

この試合で、智弁和歌山は、2-6と4点リードされて8回裏の攻撃を迎えます。

ここで、智弁和歌山応援団が演奏したのが「ジョックロック」。

2000年当時の「ジョックロック」は、現在演奏されるものより、少しテンポがゆっくりめでした。

この「ジョックロック」に後押しされるように、まず3番の武内がソロホームラン。これで3点差。

4番池辺が死球で歩き、5番後藤がヒットで続き1、2塁。

そしてこの場面で、6番山野がフルスイング。レフトスタンドに同点スリーランを叩きこみました。

4点差をあっという間に2本のホームランで追いついたすさまじさ、相手が大会屈指の好投手香月だったこと、この試合がナイターだったことなどから、この試合は、多くの高校野球ファンの心に残る名勝負となっています。

2000年夏には既にジョックロックは「魔曲」だった!

智弁和歌山対柳川

さて、この柳川戦、8回には同点に追いついただけで、逆転まではしていません。

上にも書いたように、私はこの試合を甲子園で見ていたのですが、完全に智弁和歌山押せ押せムードの中、同点のまま踏みとどまった香月投手、本当にすばらしかったです。

で、試合は延長11回に智弁和歌山が、5番後藤のサヨナラ打で決着をつけるまで続くのですが、甲子園の観客をざわつかせたのが智弁和歌山の応援団。

8回に演奏をはじめてから、9回、10回、11回で決着がつくまで、ずーーーっと智弁和歌山の攻撃回には、「ジョックロック」を流し続けたのです。

そうです。柳川戦で「ジョックロック」が「魔曲」となったのではなく、応援団はすでに、「ジョックロック」が「魔曲」だと認識していたため、試合終盤でずっとジョックロックを演奏し続けたのです。

厳密に言うと、この時代にはまだ「魔曲」という言葉はなかったです。「演奏すると点が入る縁起がよい曲」という感じでした。

「魔曲」誕生は2000年春の国士館戦!

智弁和歌山対国士館

では、この柳川戦より前の、いったいどの試合で、「ジョックロック」が「魔曲」化したのか。

答えは同じ年、2000年春のセンバツ、2回戦の国士館戦です。

2000年の智弁和歌山は、複数の打撃記録を一気にぬりかえ、史上最強打線として脚光を浴びた、夏の優勝が有名ですが、実は春のセンバツも準優勝しています。

その、春のセンバツ2回戦で対戦したのが、好サウスポー小島を擁する国士館。

智弁和歌山は小島を打ちあぐねて、1-4と3点リードを許して8回表を迎えます。

この8回に、打者12人を送り込み、次々にタイムリーが続く猛攻で一気に8点をもぎ取り、試合をひっくり返します。

この時に、アルプススタンドから流れていたのが「ジョックロック」。

「智弁和歌山打線がジョックロックのリズムに乗って爆発」した、初めての試合です。

ちょっとうろ覚えなのですが、応援団が「この年の打線は国士館戦の逆転劇の時に演奏したジョックロックと相性がいい」と考え、この後の試合でも、点が欲しい場面で、ジョックロックを流すようになった、という記事を読んだ記憶があります。

結論!

というわけで、「魔曲ジョックロックが誕生したのは2000年春の国士館戦!」が、私の見解でございます。

え?どうでもよいこと?

いえいえ、2000年の智弁和歌山って、本当に魅力的なチームで、ファンとしては、歴史は正確に伝えたいわけですよ!

ここまで私の2000年の思い出話に、お付き合いいただき、ありがとうございました!

このページに掲載されている画像は、私が当時の新聞を捨てられずに切り抜いて保存しているものです。よっぽど好きだったことがわかっていただけると思います~!

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