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平成の高校野球最強チームはやっぱり1998年松坂の横浜だと思う!

高校野球
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今年の夏の甲子園は100回大会でした。

そのため、歴代最強チームなどの話題も盛り上がりましたね。

ナンバーは特集雑誌も出していました。

私が、高校野球を本腰入れて見るようになったのは、1989年の悲劇の決勝戦と言われる東邦ー上宮がきっかけです。

この年が、ちょうど平成元年です。

仙台育英・高橋左和明主将の選手宣誓、「新しい時代の幕開けにふさわしい」というフレーズをよく覚えています。ちなみにこの高橋主将、現在は九里学園という高校の野球部監督を務めているんですって!

私が本格的に見た高校野球チームは、ちょうど平成以降になります。そして、今年は平成が終わる年。

そう考えると、平成最強チームを語るのにちょうどよいタイミングという感じがするので、平成最強チームを語ろうと思います。

高校野球の最強チームを語る際に野球の進化は考慮しない

平成の最強チームを高校野球ファンに投票させたら、おそらく1位になると思われるのが、1998年の松坂大輔を擁する横浜高校

面白味のない結論で申し訳ないのですが、私もやっぱり、松坂の横浜高校だと思います。

ちなみに、高校野球最強チームを語る際、こういう意見があります。

高校野球は進化している。20年前と現在では高校球児の技術が違う。1998年の優勝校横浜が、2018年優勝の大阪桐蔭に勝てるはずがない。

ごもっとも。

松坂が優勝した1998年は、松坂世代と呼ばれるレベルの高い選手がそろっていたとはいえ、MAX150㎞超えしていたのは、松坂と、沖縄水産・新垣の二人だけで、しかもこの二人の球速は、他の投手と比べて、ずば抜けていました。

それに対し、2018年の甲子園は、150㎞超は3人、148㎞以上だと8人と、もう全然レベルが違います。松坂は大阪桐蔭打線を抑えられても、横浜打線は大阪桐蔭の投手陣を打てないでしょう。

ですが、その理屈をあてはめてしまうと、高校野球最強チームは語れなくなります。毎年、その年に優勝したチームが歴代最強ということになってしまいます。

ということで、高校野球最強チームを語る際は、高校野球の進化は考慮しません。時代を超えた絶対的な強さではなく、その年に感じた相対的な強さとして論じます。

そもそもが時代が違って比べられないものを比べるので、あまり厳密に考えず、軽い妄想のお遊びだとお考え下さい。また、あくまで高校時のチーム力の話なので、後々プロで活躍したかどうかはこの議論に関係ないと考えます。

松坂の横浜の何がすごかったか。

野球ボール

さて、1998年の横浜を知らない世代の中には「松坂の横浜はファンによって持ち上げられすぎなのでは?」と感じる方もいるかもしれません。

私は横浜高校のファンではなく、準決勝の明徳戦では、相手の明徳の方を応援していた数少ない日本人だったと思いますが、そんな私でも、この時の横浜はリスペクトを感じるほどの強さでした。

以下、この横浜の何がすごかったのか、回想してみます。

まずは松坂がすごかった

まず、当たり前なんですけど、松坂がスゴカッタです。

あの時代は、MAX140㎞を超えたら速球派と言われる時代でした。

それが、いきなりの150㎞超え。

しかも、ただ球速が150㎞出るというだけでなく、威力じゅうぶんの球が外角ストライクゾーンにビシッと決まる。

さらに、ストレートと遜色ないくらいの球威を感じたスライダー。

これだけでも「打てるかっつーの!」なんですけど、さらに松坂はスター気質と言いますか、スサマジイ注目を浴びても、気負わずに平常心で投げるマウンド度胸が抜群でした。

一般人でも、松坂のメンタルから学べることがある気はしますが、あのメンタルは、実力に裏打ちされた特殊なもののようにも感じます。

松坂に引っ張られたチームメイトたちがすごかった

横浜の優勝の後、出版された高校野球雑誌の中に「横浜は松坂のワンマンチームだった」という主旨の記事がありました。

これは、当たっている部分も、当たっていない部分もあったと感じます。

確かに、1998年の横浜高校の強さは、松坂あっての強さでした。

後藤や小池など、後にプロにいく野手もいましたが、それでも2018年の大阪桐蔭のように、ドラフト上位候補がずらっと並ぶというチームではなく、松坂の力は横浜高校の中でもずば抜けていました。

ですが、カリスマエース松坂にふさわしいチームになろうと、横浜高校全体が、風格のある試合運びをしていたのが印象的でした。

松坂が打たれたPL学園戦や、松坂先発回避で劣勢だった明徳戦に見せた、「絶対にこのチームは負けない」というチームスピリッツは見事でした。

横浜高校はこの年までは、プロ野球選手の卵を複数抱えていても、どこか力を出し切れずに大会中盤で敗退することが多かったのですが、この1998年を分岐点として、「強いけど勝てないチーム」から「強くて勝てるチーム」に変貌したように思います(渡辺監督時代)。

横浜のライバルたちがすごかった

それから、1998年は横浜高校以外にも、全国制覇してもおかしくないくらいのチーム力を持った高校が複数あったんです。

春と夏、どちらもベスト8以上に進んだチームが横浜も含めて4校もありました。

松坂の横浜は、それらのライバルたちをすべて甲子園での直接対決で下して春夏連覇、神宮大会から国体までの完全制覇を成し遂げています。

ライバル1 PL学園

まず、PL学園。投打ともにレベルが高く、本気で松坂の横浜を倒しに来たチームです。

春は準決勝、夏は準々決勝で対戦しました。

夏はPLはサードコーチャーからの配球伝達があり(有名な話ですね)、松坂が打たれて大苦戦しました。

しかし、万が一松坂が打たれたら(こんな事態を想定していただろうかとは思うけど)、それだけの点数を取り返すだけの底力があったのが、この年の横浜だったんですよね。

この伝説の延長17回は、語る間でもないでしょう。1冊の本にもなっていますね。

ライバル2 明徳義塾

戦力ではPL学園以上とも思われたのが、プロ野球に進んだ二枚看板と、強力打線を擁した明徳義塾

明徳は2002年に全国制覇を果たしますが、明徳史上最強だったのは、この1998年のチームだったんじゃないかと私は思っています。

明徳と横浜は、PLとの延長17回翌日の準決勝で対戦したため、松坂は先発回避し、明徳に6点を先攻されます。

しかし8回に2点差に詰め寄り、松坂が9回から登板すると、甲子園の観客席の空気が一変し、横浜は7点取り返してサヨナラ勝ちします。

甲子園の観客の空気が勝敗を左右すること自体は、私は全く認めない立場ですが、それを差し引いても横浜には勝ちに値する要素がありました。

それは、強力明徳打線に、14安打浴びながら6失点で踏ん張った、袴塚、斎藤の両投手の力投です。

これが6失点でなく10失点くらいしていたら、逆転は難しかったのではないでしょうか。

試合巧者の明徳に14安打で6点しか与えないなんて、松坂の控えだったこの両投手が、この試合の勝利の立役者だと思っています。

ライバル3 関大一

久保康友投手がいた関大一も、全国制覇を狙う力があったチームでした。

「あれ?関大一?大阪からはPLが出てるのに?」と思われるかもしれませんが、この年は80回記念会で、大阪は夏2校出場しました。

久保投手は、当時から大学生か社会人かと思うほどの球威と安定感がある投手。

関大一はこの久保投手を中心に守備が固く、勝負強い打線も持ち味でした。

古豪の久しぶりの出場で、甲子園に押し寄せる関大一ファンの応援が、甲子園をホームグラウンドにするのも大きなアドバンテージでした。

この関大一が春のセンバツでは決勝の相手だったため、春の決勝戦は、横浜はアウェイぎみの試合で勝利しています。

ちなみに夏の関大一は準々決勝、横浜―PL戦の直後の試合で、明徳義塾に敗れています。横浜―PLが長引いたことが、久保が明徳打線の先制攻撃を浴びた遠因ではないかと言われています。

松坂の横浜はドラマ性がすごかった

さて準々決勝は、歴史に残る延長17回のPL戦。

準決勝は、6点差をはね返す明徳戦。

これだけでも、じゅうぶんなドラマなのですが、決勝戦にはさらなるドラマが待っていました。

そうです、松坂の決勝戦でのノーヒットノーランです。

「漫画ですか、これは?」という展開ですよね。

今後、松坂の横浜より、戦力としては揃っているチームが甲子園に現れたとしても、これだけのドラマチックさを超えることは、かなり難しいのではないかと思います。

まとめ

以上、「平成の最強チームが松坂の横浜である理由」でした。

1998年の横浜の強さ…というか「すごさ」を、まとめますと

  • 松坂投手がすごすぎた
  • 松坂のチームメイトたちの勝利への意志がすごすぎた
  • すごすぎるライバルたちを全て直接対決で破った
  • ドラマチックさがすごすぎた

これだけすごいと、横浜のファンでない私でも、

最強チームは松坂の横浜…

と、答えざるを得ないわけです(笑)。

今後、こんなチームが出てくるのかなあ。

それは、また新しい時代に期待ですね!

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