火の鳥シリーズ再読中!
今回は火の鳥の6巻目にあたる復活編の感想・レビューです!
火の鳥・復活編のかんたんなあらすじ
「火の鳥・復活編」は、火の鳥の6巻目にあたります。
火の鳥の偶数巻は未来が舞台となるお話で、2巻目の未来編の人類滅亡のお話から、4巻、6巻…と巻が進むにつれ、逆に時代は戻っていきます。
6巻の復活編は、未来から数えて3番目のお話です。
時系列としては復活編→宇宙編→未来編ですが、復活編のラストは、宇宙編を飛ばして、未来編に続いて行く感じの終わり方です。
そのせいで、私は長らく宇宙編→復活編→未来編という順番なのかと勘違いしていました。
復活編の「復活」は、死んだ人間が復活することを指しています。
復活編は25世紀の物語で、未来編に「25世紀には人間の文明は絶頂に達した」という記述があるので、人類の文明絶頂の頃のお話。
主人公のレオナが事故死するところからお話が始まりますが(幽遊白書みたい)、そのレオナが科学技術と医学の力で生き返る…復活してしまうのです。
しかし、その復活は完全な復活ではなく…(これ以上はネタバレになりますね)。
復活編は火の鳥シリーズ全体と似た構成になっている!
復活編を読み進めるとレオナの話とは別に、急にロボットの「ロビタ」…未来編で猿田博士の助手をしていたロボットの話が始まります。
復活編はレオナの話→ロビタの話→レオナ→ロビタ…という風に、一見何の関係もなさそうなストーリーが交互に描かれます。
面白いことに、レオナの話は2482年→2484年…と未来へ進んでいきますが、ロビタの話は3030年→3009年…と過去へ戻っていくのです。
そして両者の話は2917年に交わることになります。
この描き方は何かに似ている…と思ったら、火の鳥全体の編成と似ているんですね!
火の鳥シリーズは1巻から3、5、7…と奇数巻が過去から現在へ順番に向かっていき、2巻から4、6、8…と偶数巻が逆に未来から現在へと戻っていく物語です。
復活編が火の鳥シリーズ全体と同じような構成になっているのは、手塚治虫のお遊びなのか、何か深い意味があるのか、興味深いです。
なぜレオナの人工脳はロボットが美しく見えるのか?
さて。一度死んだレオナは、科学技術の力でよみがえりますが…新しい人工脳に不具合があります。
人間や動物や花…生命である有機物の姿が変なガラクタに見えてしまうのです。
道路や建物など人工物はまともに見えますが、不思議なことに特定のロボットの姿が美しい女性に見えてしまう。
「SF的設定だな~」と思うかもしれませんが、意外とこれはあり得そうなことだと私は思います。
「私たちは世界をありのままに見ることはできない」というのは、実は現在それなりに賛同を得ている哲学的(もしかしたら脳科学的?)考え方です。
私たちは目から入った視覚情報を、脳で処理し、その処理されたイメージを見ているのであって、世界そのものを見ているわけではない…ということなんですね。
これは、色盲などの視覚異常を持つ人が見ている世界は全く違う世界だとか、同じ絵が人によって人間の横顔に見えたり壺に見えたりするとか…例を挙げられると「なるほど」と思いますよね。
もしかしたらレオナの新しい人工脳は、人工であるがゆえに、人工脳を持つロボットの方に親近感を抱き、逆に人間を自分の仲間だと認識しないのかもしれません。
だから人間の姿は自分にとって慕わしい姿に像を結ばず、ロボットの方が美しい形に見えてしまうのかも…。
荒唐無稽な設定のようですが、何となく説明できてしまうところが、手塚治虫の凄さを感じますね。
悪者「珍」のセリフが深い件
さて、レオナはせっかく復活しますが、人間を仲間だと認識できない新しい生に生きがいを持てません。
レオナの生きがいは、美しく見えるロボット・チヒロとの愛を成就させることだけ。
傍から見ると狂人にしか見えないレオナは、産業ロボットであるチヒロを盗み逃亡しますが、そのあげくに宇宙の植民星相手に人体売買をしている闇組織に捕まってしまいます。
その組織の女ボスが、自分の病巣だらけの身体を捨ててレオナの身体を乗っ取ろうと考え、組織のお抱えドクターが、自分の研究目的も兼ねて執刀します。
で、身体はほぼレオナ、脳は女ボスという形の手術がとりあえずは成功するのですが…
組織のNo.2の、どう見ても悪役にしか見えない珍という男は、この手術の成果に懐疑的です。
どんな科学のちからでもな 人間が…のりこえちゃいけねえことだってあるんだ!
人間の生命ってもんは…………人間のちからじゃしょせんどうにもならねえのさ
他人どうしの身体の部品をつなぎ合わせて、新しい人間を作る…。
そこには生命が異物を受け付けない「拒否反応」の壁がありますが、25世紀に医学は拒否反応を乗り越えたことになっています。
ですが、珍は「たとえ医学的に拒否反応をクリアしても最終的にはうまくいかない」と言うのです。
珍の言う通り、女ボスは、新しい身体にさいなまれて発狂してしまいます。
その理由は描かれません。おそらく25世紀の科学をもっても解明されない理由なのでしょう。
福岡伸一さんの生物本で、「生命の身体は『時間』という概念があるため、機械の部品のような組み換えは不可能」という内容を読んだことがあります。
人間が自らの身体を機械と見なし部品のように扱うと、生命の神秘にしっぺ返しを食らうだろう…これが手塚治虫が復活編に込めたメッセージなのかなと感じました。
人工知能は感情を持つ…手塚治虫の哲学
さて、「人工的に作った頭脳は感情や意識といったものを持つことができるのか?」という問題に、火の鳥・復活編はいくらか答えを出しています。
ロボットのチヒロがレオナに恋心を抱いたり、ロボットのロビタが主人を憎んだり…
鉄腕アトムもそうですが、手塚治虫は「ロボットは心を持つ」と考えているのでしょう。
私の周りには「ロボットが心を持つはずがない」という考えの人が多いです。その理由はだいたい直感的なものです。
ですが、実は「ロボットが心を持つかどうか」は、誰にも証明できないんですよね。
デカルトの「我思うゆえに我あり」に近いですが、私たちが確実に「ある」と言い切れる意識(≒心)は自分の意識だけです。
相手が人間だろうと動物だろうと植物だろうとロボットだろうと…相手に意識があるかどうか、私たちは推測することしかできません。
ちなみに「植物には植物の意識がある」という前提で描かれたSFファンタジー「ダークグリーン」という漫画は超面白いです。
相手が意識・心を持つかどうかは絶対に証明できない以上、「ロボットが心を持つか?」という問いに対する答えはそれぞれの人間の価値観によるということになりそうです。
復活編でも、ロボットを家族のように扱う人間、道具同然に扱う人間、さまざまに描かれます。
復活編を読むと、これからリアルに鉄腕アトムやドラえもんのような、人間みたいなロボットと対峙することになるかもしれない時代、ロボットと仲良くしていくコツは、
相手のロボットの「意識・心」の存在を少なくとも仮定することかもしれない
…なんて思ってしまいいました。
まとめ
「火の鳥・復活編」の感想文でした。
復活編で印象的なのは、科学の力で生き返ったレオナが「死なないからだが欲しければフェニックス(火の鳥)なんか探さずに医者に頼めばいい」というシーンですね。
火の鳥で人類文明の絶頂期として描かれる復活編では、人類は科学の力で死すら克服しつつあるのです。
しかしレオナは「死から復活することなど簡単」という一方で、こう言います。
問題は永遠の命を手に入れて……なぜ生きるのかということですよ
死を克服するほど文明が進んでも、「人はなぜ生きるのか」という哲学の古くからの問いには、まだ人間は答えられていないようです。
世代や時代を超えてそのことをずっとずっと考え続けることは、人類の歴史に課された永遠の宿題なのかもしれないですね。
巻数が多い火の鳥シリーズは、電子書籍で読むのもおすすめ!