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中島みゆき「あした」歌詞を考察・解釈!タイトルに反して大切なのは「今」の私

中島みゆき
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中島みゆきさんの楽曲「あした」の歌詞の意味を考えてみました。

中島みゆきの「あした」はどんな歌?

「あした」は、1989年に発売されたシングル曲です。

CMにも使われていたそうなのですが、当時小学生だった私は記憶に残っていないです。

シングル発売の翌年に発売されたアルバム「夜を往け」の4曲目に、シングルとは違うバージョンが収録されています。

ぽこ
ぽこ

私はアルバムバージョンの「あした」しか聴いたことがないですが、カラオケでアレンジの違いに戸惑ったことはないので、シングルと大きくは違わないのかなと思っています。

「あした」は大ヒットした曲というわけではありませんが、ファンには人気が高い曲で、ベストアルバム「大吟醸」にも収録されています。

「あした」に歌われているテーマは?

ぽこ
ぽこ

では、ここから「あした」の歌詞を解釈していきます!

「あした」の歌詞全体はUta-Netをご覧ください

「あした」は、ズバリ恋愛ソングです。

あまりうまくいっていない感じの恋人同士を、女性目線から描いています。

このうまくいっていない恋愛を暗示しているのは、1番と2番のBメロの部分です。

カーラジオが嵐を告げている 

2人は黙り込んでいる

形のないものに誰が愛なんてつけたのだろう

何もかも愛を追い越してく

どしゃ降りの1車線の人生

凍えながら2人共が2人分傷ついている

車に乗っていることからわかるように、これはティーンエイジャーの青い恋愛ではなく、大人の恋愛

車の中で二人で黙り込んでいることから、あまり二人の関係がうまくいっていないことがわかります。

仕事とか結婚するかどうかとか…現実的な「何もかも」が、純粋に二人が愛し合うこと以上にウェイトを占めてしまう日々。

現実的な問題を解決しようと話しあえば話し合うほど、相手を傷つけて、自分も傷ついて…しかしもう後戻りも、路線変更もできないところまで来てしまっている(=1車線の人生)。

現在では年齢にそれほどとらわれない人生を送る人も増えてきましたが、「あした」が発売されたころは、日本人は年齢に強くとらわれる人生観だったのでしょうね。

今の相手と結婚しないなら、もう年齢的に新しい相手を見つけられない…そんなシチュエーションが歌われているのかなと思います。

2番の「ガラス」と「ナイフ」は何を歌っている?

「あした」の歌詞は、中島みゆきさんの楽曲の中では、それほど難解な方ではありません。

ですが、少しだけわかりづらいのは2番のAメロの歌詞。

抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい

許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ

ガラスならあなたの手の中で壊れたい

ナイフならあなたを傷つけながら折れてしまいたい

「抱きしめれば~」から「わからなくなるみたいだ」までは、二人の距離を詰めようと、お互いを「受け入れよう」「許し合おう」とすれば、逆に互いに距離を感じてしまうということでしょう。

文字通りの意味はわかりますが、「なぜ?」と思ってしまいます。

「抱きしめる」「許し合う」という行為が、なぜ逆効果になってしまうのか。

そのカギとなるのが、続く「ガラス」「ナイフ」の比喩なのかもしれません。

もし自分がガラスだったら、壊れないようにそっと扱ってほしいのではなく、むしろ壊してほしい。

もし自分がナイフだったら、相手を傷つけないようにソフトに接するのではなく、むしろ折れるくらいの勢いで相手にぶつかりたい。

…これは、ありのままの自分をお互いにさらけ出す関係でありたいということを意味するように思います。

日本人の国民性として、相手を傷つけないように本音と建前を使い分けながら、当たり障りのない人間関係を築く…という側面があります。

しかし恋人同士の関係性において、自分を取り繕って接しても、お互いに分かり合えるわけがない。

たとえ傷つけあうことになってしまっても、素の心でぶつかりあいたい…そんな意味が込められたフレーズなのかなと思います。

「ありのままの自分を愛してほしい」は甘い?

さて、ここで「ありのままの自分」「素の心」という要素までたどり着きました。

「あした」の歌詞は全体として、「ありのままの自分を無償で愛してほしい」という強いメッセージが感じられます。

イヤリングを外して 綺麗じゃなくなっても

まだ私のことを見失ってしまわないでね

フリルのシャツを脱いで やせっぽちになっても

まだ私のことを見失ってしまわないでね

もしも明日 私たちが何もかもを失くして

ただの心しか持たないやせた猫になっても

もしも明日 あなたのため何の得もなくても

言えるならその時 愛を聴かせて

アクセサリーやファッションを脱ぎ捨てて素顔を見せても、地位や財産を失って何も持たない私になっても、私を愛してほしい。

要するに、ありのままの私を無償で愛してほしい…ということです。

…まあ、わからなくはないですね。「愛されたい」という気持ちは自然なものですし、それが損得勘定なしに素の自分を愛してくれるものであれば、安心します。

しかし、です。

私は「あした」に歌われるこのメッセージは、ハッキリ言って嫌いです。

他の記事でも書いたことがありますが、古代ギリシャ思想では愛には二種類あり、一つが無償の愛であるアガペー、もう一つは自己愛の延長であるエロース。それぞれ聖愛/俗愛と言われることもあります。

「あした」に歌われるのは、「アガペーをください」というメッセージです。

でも、「アガペーをください」という側の愛は、「アガペーをください」と見返りを求めている時点でエロース(=自己愛)です。

私は思うのですよ。アガペーとは求めるものではなく与えるものである

アガペーを求める側は、求めた時点でその気持ちはエロースになるわけですから、「私のあなたへの愛は自己愛だけど、あなたは私に無償の愛をちょうだいね」と言ってるのと同じです。

「アガペーが欲しい」という気持ちはわからなくないですが、ここはグッとこらえる人間でありたい…今のところ、これが私のポリシーって感じかなあ。

この1フレーズだけで私はこの歌が好きだ…

「ありのままの私を無償で愛してほしい」というメッセージが嫌い。

では、私は「あした」という楽曲が嫌いというと、実は好きなんですよ~。

もちろん、上述したメッセージは好きではありません。

ですが「あした」には、たったひとつ、これだけで私の心をわしづかみにしてしまうフレーズがあるんです。

もしも明日 あなたのため何の得もなくても

「明日」というキーワードは、歌のタイトルになっているくらいですから、この楽曲の重要なポイントです。

「あした」というタイトルでありながら、「未来のあなたにメリットはないとしても…」というフレーズからは、「今」を大切に生きようというメッセージが感じられます。

「未来の自分のために何の得もなくても」という人生観に対立するのは、「未来の自分に得になるように生きる」という人生観です。

子どものころは「将来のため」、大人になったら「老後のため」に、「今の私」にガマンを強いる人生。

アリとキリギリスのアリの生き方で、アリの言い分もわかりますが、私は実はキリギリスの方が正しいと思っています。

だって、ぶっちゃけ明日は来るかどうかわからない。

皆、自分の人生は平均寿命を見据えて設計するのでしょうが、人生は何が起こるかわかりません。

もちろん確率の問題ではありますが、来るかどうか決まっていない未来より、確実に手元に存在している現在の方が大事だと思うんだけどなあ…。

将来の損得を考えずに今ここにいる私を愛してほしい」…これが「あした」のもう一つのメッセージかなと思います。

私はこのメッセージは大大大好きです!!!

なので、「嫌い」と「大大大好き」で足し引きして、結果として私は「あした」という歌が好きなのです!

まとめ

中島みゆきさんの「あした」の歌詞を考えてみました。

「あした」は世の中にあふれている恋愛ソングなのですが、中島みゆきさんの言葉のひとつひとつは、さすがに深いなあと思います。

「あした」は時々無性に聴きたくなる歌で、聴くたびに私は「もしも明日あなたのため何の得もなくても」というフレーズに心を揺さぶられるのであります。

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