久しぶりに手塚治虫の「火の鳥」を1巻から再読してみることにしました。
本日は1巻目の「黎明編」の感想・レビューです!
「火の鳥」の1巻にあたる「黎明編」とは?
手塚治虫が「ライフワーク」と言った作品「火の鳥」は、「~編」と呼ばれる物語がたくさんあり、未完作品もあるのですが、「黎明編」が1巻に当たるというのが通説です。
「火の鳥」は一つの通史のような物語になっていて、1巻目が最古の物語、2巻目が最も未来、3巻目が2番目に古い物語…という複雑な体系になっています。
奇数が過去、偶数が末来!
よって、時間軸として1巻の続きは2巻(未来篇)でなく3巻(ヤマト編)、4巻(宇宙編)は、逆に2巻に続いて行く物語です。
舞台はだいたいが日本になっていて、過去の物語は日本史に出てくる歴史上の人物が登場します。
もっとも古い日本史を扱う「黎明編」は、日本という国が初めて文献に登場する、3世紀の邪馬台国や卑弥呼が登場します。
永遠の命に執着しないキャラが登場する面白さ
「火の鳥」が扱うテーマは一貫して「生命とはいったい何で、生命体である我々はどう生きるか?」という哲学的な問いです。
その中心に据えられるのが、その生き血を飲むと永遠の命を得られるという火の鳥。
人間の歴史を通して「火の鳥」の物語を描く試みは、人間の「永遠の命が欲しい」という欲望は、時代や場所を超えて普遍的であることをよく表しています。
「黎明編」でも妻の病気を治したいウラジ、老いがしのびよってきている女王ヒミコ、何としてでも生きたい少年ナギ…など、身分や年齢に関係なく、火の鳥を欲しがる人々が描かれます。
ですが「黎明編」には、「火の鳥」=「永遠の命」にさほど興味を抱かない人々が出てきます。
まずは弓の名人である弓彦のセリフ。
おれは鳥さえしとめりゃああとは用はねえよ。
弓彦は職人気質のような人物で、火の鳥を仕留めることさえできれば、永遠の命が得られる生き血には興味がないようなのです。
それから騎馬民族の首領であるニニギ。
おれは火の鳥なんかに興味はない。永遠の生命?ふん、そんなものが何の役に立つ?
彼は新しい土地の征服に人生をかけています。
そんな彼なら、死なない身体は欲しそうなものなのですが、死なない身体=統治者の条件とは考えていないのでしょうね。
「ただ無為に永遠に生きる人生」など魅力的でもないのでしょう。
「火の鳥」は、全編を通して永遠の命を求める人間の姿が描かれるため、黎明編の重要人物が二人も火の鳥に無関心なのは際立っています。
「黎明編」で、火の鳥のセリフでこういうものがあります。
あなたがた【=人間】は何が望みなの?死なない力?それとも生きてる幸福がほしいの?
その【=他の動物より長い】一生のあいだに…生きている喜びを見つけられればそれが幸福じゃないの?
つまり、永遠の命に執着しない弓彦やニニギは「生きている喜び」をある程度は感じているということなのかもしれません。
弓彦にとっては弓の技術を磨くこと、ニニギにとっては土地を征服すること。
弓彦もニニギもいわゆる「いい人」というキャラクターではありませんが、信念のようなものは持って生きていて、それゆえ憎たらしい悪役という感じがありません。
絶対的善人も悪人もそれほど登場しないのが、手塚漫画の魅力の一つです。「黎明編」でのヒミコの扱いはひどいですけどね…。
「生きろ」という逆方向のメッセージ
ただ、逆に「生きている喜びを感じるからこそ、死にたくないというベクトルもあるのでは?」とも思います。
「黎明編」の最後のシーンは、ガケ底に閉じ込められた一家の長兄であるタケルが、ガケを上る場面です。
途中で「だめだ、もう死ぬんだ」と諦めかけたタケルに、火の鳥が執拗に「生きるのよ」と声をかけます。
「なぜおれが(諦めずに)生きなければならないの?」というタケルの問いに、火の鳥はこう答えます。
あなたに生きる権利があるからよ。あなたはいま生きているものだもの。だから生き続けることができるのよ!!
火の鳥のこのメッセージは、「永遠の命を欲しがることの否定」と、一見矛盾するように思えます。
ですが、おそらく「生き物は永遠の生命を持たないからこそ、一度きりの有限な生を精一杯生きる。それこそが命の尊さだ」…こういう哲学なのではないでしょうか。
火の鳥は全編を通じて、永遠の生を求める者には冷たく、今の生を懸命に生きる者には温かいまなざしを向ける傾向があります。
その基本的なメッセージが、火の鳥1巻目である黎明編では貫かれているように思います。
黎明編のストーリーをちょっと整理
黎明編の物語は、実は結構複雑です。
- ナギの故郷である九州のクマソ民族の村が邪馬台国に滅ぼされる
- 邪馬台国がニニギ率いる大陸から渡ってきた騎馬民族に戦で負ける
- クマソの村の生き残り(クマソ人ヒナクと邪馬台国人グズリの息子)がガケを脱出する
まるで食物連鎖のように、クマソの村を滅ぼした邪馬台国が、次はニニギの率いる部隊に征服されてしまうのです。
もちろんこれは作り物語ですが、このストーリーを覚えておくと、次のヤマト編では、クマソと邪馬台国に起源を持つ国が、ニニギに起源を持つ(であろう)ヤマト政権と戦う形になっていて、なかなか深い作りになっています。
そして、ウズメは猿田彦の子どもを身ごもり、ニニギに対し不敵な発言を残して去って行きますが、猿田彦の血統が物語に受け継がれていくというのも、火の鳥のこの後の展開の大きな伏線となっています。
まとめ
「火の鳥・黎明編」を久しぶりに読んでみた感想でした。
実は昔読んだ時は、
黎明編は「火の鳥」の中では印象に残らない物語だな…。
と思ったものですが、今回読み返してみると、以前読んだ時より力強い物語として心に迫るものがありました。
本は再読することで深みが出ることも多いですが、手塚治虫の漫画もやはり同じようなことがよくあります。
「火の鳥」のような人間の普遍的なテーマを扱った作品は、年齢を重ねることで、より深く味わい深くなっていくのでしょうね。