「幽遊白書」は、仙水編に入ってからグッと頭脳戦の様相を呈してきます。
主人公サイドで頭脳戦の中心となるのは、もちろん蔵馬。
蔵馬は天沼のゲームバトルで、断腸の思いで天沼が死ぬ方法での決着をつけます。
幽助いわく「かなりきてた」という表情をしていた蔵馬ですが、
そこまで思うなら天沼を助ける方法を取ればよかったのに…
と、私は思っていました。
が、「よく考えれば天沼を助ける方法はないのかも…」と自己解決したので、書いておきます!
仙水側のもくろみは時間稼ぎ
天沼の能力ゲームマスターは、バーチャルなゲーム世界を、現実の世界に等身大で再現する能力です。
幽助たちが仙水のいる洞窟の奥にたどりつく道の途中に、天沼がゲーム世界を再現し、幽助たちを立ち往生させる、と。
天沼が仙水に指示されて、再現したゲームは「ゲームバトラー」。
挑む側は7人の人数を用意しなければならず、ゲームそのものも挑戦者かゲームの主人であるゲー魔王(=天沼)のどちらかが4勝しなければ終わりません。
仙水側の意図としては、魔界へのトンネルが開くまで幽助たちを足止めさせる「時間稼ぎ」が目的です。
どちらかが死なないとゲームは終わらない?
さて。
天沼の能力を解除する方法ですが、「ゲームバトラー」というゲームにおいては、天沼の言葉を借りると
どちらかが負けるしかない
…ということです。
ゲームバトラーでは7人で行う団体戦で、先に4勝した方の勝ちというゲーム。
天沼の「どちらかが負ける」という表現は、一つずつの個人戦における勝敗でなく、ゲーム全体の勝敗を指していると考えられます。
一つずつの個人戦で勝敗が決まった後に能力が解除できるなら、解除は難しくないですからね。
おそらく能力の解除ができるのはどちらかが先に4勝して全体の勝敗が決まったタイミング。
しかし「ゲームバトラー」を忠実に再現した場合、天沼(ゲー魔王)側が負けると天沼は死んでしまいます(その結果能力は解除される)。
天沼は、ゲームの途中で
トンネルさえ開けばオレがわざと負けて領域は解除してやるよ
…と言っていました。
天沼が自身の能力を軽く見ていて、「まさかゲー魔王(=天沼)の死まで再現することはないだろう」と考えていた(もしくはそこまで考えていなかった)ことが伺えます。
「自分が負けたら自分は死ぬ」ということには気づいていなかったのですね。
逆にゲームに挑戦する側(幽助たち)が4敗してゲーム全体に負けたら、能力はどのタイミングで解除されるのでしょうか。
挑戦者の側がゲーム全体に負けると「つづける」「あきらめる」のどちらかを選ぶことができて、「あきらめる」を選ぶと今度は挑戦者側が死んでしまいます。
この「つづける」「あきらめる」の画面が出ているタイミングなら、どちらかを選ぶ前に天沼が能力を解除できるのか、それとも挑戦者側が「あきらめる」を選択して死なない限り能力は解除できないのか、ここはちょっとわかりません。
もし挑戦者側が「あきらめる」=「死」を選択しない限り能力の解除ができないのであれば、一度発動してしまうとどちらかが死なない限り解除されないという、非常に厄介なゲームです。
幻海が蔵馬は「最も残酷で卑怯な方法」を「選ばざるを得なかった」と言っていることを考えると、やっぱりゲー魔王か挑戦者側、どちらかが死ぬことでしかゲームは解除できないのかもしれません。
天沼を助ける方法は…やっぱりないか
私が最初に
そこまで気が重いなら天沼を生かす方法を選べばよかったのに…
…と思ったのは、天沼にこのゲームでは自身が命を落とす可能性があることを知らせ、個人戦でどちらかが負けたタイミングで能力を解除させればよかったのでは?と思ったからなんですね。
でも、それぞれのセリフを注意深く読んでいくと、個人戦が終わった段階での能力解除は不可能なのでしょう。
もうひとつ可能性として思いつくのは、天沼を気絶させるなどして能力を解除する方法はなかったのか?ということ。
柳沢は強い痛みのショックで能力が解除されますし、神谷や刃霧も意識を失うと能力が解除されます。
ただ、飛影が天沼の領域内で妖力を使えず
奴の領域の中ではゲームを邪魔するような力は使えんらしい
と言っているので、幻海なら霊力や暴力を使わなくても相手を気絶くらいさせられそうですが、ゲームを中断させるようなことは領域内ではできないのかもしれません。
そうすると…やはり時間もないですし、天沼を助けつつ領域を突破する方法はなかった…かな。
まとめと天沼の責任について
というわけで、いろいろ考えてみましたが、あの状況で、やっぱり天沼の命を助けた上で仙水の所へ向かうのは不可能ですね。
蔵馬が相手の命を値踏みするのは、幽白でよく見られるシーンですが、天沼はまだ小学生の子どもなので、蔵馬は審判を下すのがつらかったのでしょう。
それでも
君は…仙水の計画を知っていた 君に責任がないわけじゃない
…このセリフは蔵馬らしくて、私は好きだなあ。
子どもは確かに法的責任は問われないかもしれないけど、子どもであっても倫理的責任は負うことになります。
もちろん倫理的責任であっても大人ほど責任が重いわけではないですが、「責任がないわけじゃない」。
生まれた時から、私たちは自分の選択に対し自分の人生で責任を負っていく。
天沼を負かす残酷な方法を選択した蔵馬が、幽助がゾクっとするような表情をしていたのは、これも自分の選択の結果を自分で引き受けるという覚悟の表れなのでしょうね。
天沼は結局コエンマの超越的な力によって命を救われますが、コエンマは天沼だけでなく、蔵馬のことも救ったのかな…。
天沼とのゲームバトルが描かれるのは、ジャンプコミックスだと15巻です。