100回目の夏の甲子園が終わり、高校野球界には、ひとつの時代が終わるニュースが流れました。
そうです、智弁和歌山・高嶋仁監督のご勇退です。
私は、智弁和歌山が1993年に初勝利してから、世紀末の最強チームとして君臨するまでの歴史を、リアルで見ていた高校野球ファンです。
智弁和歌山の前に高校野球の王者であったPL学園、現在の王者である大阪桐蔭は、どちらもセミプロ集団のような強力チームですが、この両校にはさまれるような形で、智弁和歌山という、一風変わった王者が存在した時代がありました。
智弁和歌山は、合理的なシステムで強くなったチームなのに、試合ではスキがあったり非合理的だったりと、一言では表しにくいチームです。
高嶋仁監督という、情熱を持った一人の指導者が手作りで作り上げたチームなので、どこか人間くささがチーム全体に漂っているのかもしれません。
人間っていろんな面を持っていて、一言では表せない存在ですもんね。「火の鳥」に出てくる、ひとりの人間の思考回路から作られた、ロボットなのにドジな「ロビタ」みたいな感じです。
私は、いちばん熱心に高校野球を見ていた時期が、智弁和歌山が強かった時期と重なるため、高嶋監督には非常に思い入れがあります。エキサイティングな試合をたくさん楽しませてもらいました。
高嶋監督のご勇退に、わずかながらの花を添えるために、このブログは「高嶋先生祭」を開催します!
具体的に何するの?って、7日間連続で、高嶋先生に関する記事を書きます!今日はその初日っ!
高嶋先生が高校野球にもたらした3つの流れ
高嶋監督ご勇退のニュースが流れてから、高嶋監督に関する記事がたくさんネット上に出ました。
その中で、高嶋野球が高校野球の時代を先取りしていたこととして、「打高投低」と、「複数投手制」を挙げていた記事がありました。
打高投低と複数投手制の時代先取り 高嶋監督(毎日新聞)
高嶋野球が高校野球界にもたらしたものは、この記事に書いてある通り、打撃重視のチーム作りという流れと、いまや常識となりつつある継投を前提とした試合運び。
私はそれにプラスして、もう一つあると思っています。
それは、上級生・下級生間の上下関係の緩和です。
智弁和歌山は上下関係なく和気あいあい
私が高校野球を見始めた1990年代、高校野球の上下関係は厳しいものでした。
上級生と下級生は、たった1~2歳の差しかなくても、年上は完全に目上の存在。
下級生が上級生に友だちのような口を聞くことはなく、荷物持ちや洗濯、使いパシリなどは下級生の仕事というのが当然、という時代でした。
そんな中、智弁和歌山は上下関係がほとんどないことで知られていました。
2000年の優勝後のテレビ番組で、2年生の武内が、3年生の山野に対等な口を聞いていたのが印象的だったなあ…
上下関係がない大きな原因は、一学年10人(当時)という少数精鋭チームであること。
人数がこれだけ少ないと、下級生を大事にしないとチームが成り立ちません。
「上下関係の温床となる寮がない」「監督が自らグラウンド整備をするので下級生が雑用をする必要がない」など、他にも上下関係がいらなくなる要素がたくさんあったようです。
高嶋監督は「軍隊のような上下関係は野球で勝つために必要なものではない」と、判断なさったのでしょう。
高嶋監督は、不要だと思うものは、その時代の高校野球界の常識であっても、スパッと捨ててしまう、信念の強さがある監督さんでした。
アフリカンに乗って上下関係緩和の流れが広まった
智弁和歌山が甲子園で勝つたびに、上級生・下級生関係なく和気あいあいとしているチームカラーは、高校野球ファンや野球関係者の目に映ることとなります。
智弁和歌山の応援ソングであるアフリカン・シンフォニーが、他の高校の応援団に広まっていくのと同じ速さで、この上下関係のなさも、全国に広まっていったように感じます。
最近は、強豪校はどこでも「うちは上下関係は厳しくない」と言うようになりましたね。
「熱闘甲子園」で、下級生が上級生にタメ語で話す姿も、もはや珍しいものではなくなりました。
以前、上下関係に慣れていない智弁和歌山出身の選手は、「大学野球で上下関係の壁にぶつかる」と言われることもありました。
私は、
智弁和歌山の方が正しい気がするから、大学野球の方が変わればいいのになあ…
と思っていましたが、だんだんその流れに近づいてきている感じがあります。
まとめ
高嶋野球が高校野球にもたらしたものはたくさんありますが、その中でも、この「上下関係の緩和」は、特に大きいと思います。
アマチュア野球界では、上下関係のいじめが発端だと思われる事件が、これまで何度も起きてきました。
そのような風潮が少しずつ変わりつつある現在の高校野球の現場で、高嶋先生が残した財産を、これからも大切にしていってほしいなと思います。