中島みゆきさんの楽曲「肩に降る雨」の歌詞について考えてみます!
「肩に降る雨」はどんな歌?
「肩に降る雨」は、中島みゆきさんが1985年に発表したアルバム「miss.M」の最後に収録されている曲です。
静かでゆったりとしたバラード曲です。
「miss M.」はアップテンポで力強い曲調が多いのですが、最後の〆が非常に静かな「肩に降る雨」なので、その静けさ、寂しさが際立っています。
「肩に降る雨」のシチュエーションは?
さて「肩に降る雨」の歌詞ですが、ゆったりした曲調ということあり、歌詞の文字数は少ないです。
たったの243文字!(数えてみた)
ですが、このたった243文字が濃いんですよね~。
まず、1番の冒頭の歌詞から、この歌の主人公のシチュエーションが読み取れます。
肩に降る雨の冷たさも気づかぬまま歩き続けてた
肩に降る雨の冷たさにまだ生きてた自分を見つけた
主人公は雨の中を歩いています。
雨が肩に降り注いでいることから、傘をさしていないことがわかります。
傘をさしていないのは、傘を持っていないというよりは、雨が降っていることにも気づいていないから(「気づかぬまま歩き続けてた」という表現から)。
なぜ雨に気づいていないかというと、おそらく、生きることに疲れて死に場所を探してさまよっているのでしょうね。
雨が降ってきて、その冷たさにフッと我に返って、まだ自分が生きていることに気づいた…という状況でしょう。
主人公は何に傷ついている?
主人公が死を選ぼうとするほど傷つき追い詰められているのは何故か…というと、失恋が原因です。
あの人なしでは1秒でも生きてはゆけないと思ってた
あの人がくれた冷たさは薬の白さよりなお寒い
主人公は…おそらく女性だと思いますが、その人なしでは生きていけないというほど好きだった恋人がいた。
しかし、別れ方が酷かった。
「あの人」=恋人の別れる時の「冷たさ」は、雨の「冷たさ」とつながっていて、主人公が死ぬほど傷ついている状況を作り出していることが暗示されています。
主人公は、この失恋がきっかけで薬を服用するようになったことも(睡眠剤か安定剤?)暗示されていますね。
遠くまたたく光は遥かに私を忘れて流れてゆく流れてゆく
「遠くまたたく光」が示すものは、「あの人」だったり、幸せな恋愛世界だったり、日常の生活だったり…いろいろなものが含まれている気がします。
「あの人」も、幸せな恋愛も、日常の世界そのものも、全て私から遠ざかっていく気がする。
私がこんなに傷ついていようと、「あの人」も世界も平気で日常を刻んでいく。
中島みゆきさんの歌には、この「世界の私に対する圧倒的無関心」というテーマが時々見られます。
「肩に降る雨」はなぜ冷たいのか?
幾日歩いた線路沿いは行方を捨てた闇の道
なのに夜深く夢の底で耳に入る雨を厭うのは何故
主人公は死に場所を探して、線路沿いも何日も歩いたようです。
それは「行方を捨てた闇の道」…どこかにたどり着こうという道ではなく、(人生を)おしまいにするための道。
それなのに自分が本能的に、雨を嫌がっていることを不思議に思っています。
もうどうでもいいのに、なぜ雨なんかが気になるのか。
これはもう、人間の…イヤ生物の、生きようとする本能なのでしょうね。
生にとって不快なものは、生を投げ出そうとする際にさえ不快なのです。
興味深いのは、続くこのフレーズですね。
肩に降る雨の冷たさは生きろと叫ぶ誰かの声
肩に降る雨の冷たさは生きたいと迷う自分の声
「肩に降る雨の冷たさ」≒生物の生きようとする本能が、「生きたいと迷う自分の声」なのはわかるのですが、それは「生きろと叫ぶ誰かの声」でもあるのです。
生物(もしかしたらここは生物ではなく人間と言った方がいいのかもしれませんが)は、同じ生き物に「生きろ」と叫ぶ本能も持っている。
これは生物としての共感…なんですかね。
死にたいくらいつらい状況でも、自分の生きたいという本能、他者が「生きろ」と呼びかけてくる本能…そんな救いが人間には残されている。
雨(苦しい状況の象徴としての)は冷たいかもしれないけれど、それを冷たく感じること自体が、自分が生きている証であり、救いになるかもしれない…そういうメッセージなのかなと思います。
結末はどうなる?
さて「肩に降る雨」の歌詞の中では、生きること/死ぬことを迷っている主人公が、最後にどちらを選ぶのかは示されていません。
実は中島みゆきさんご自身が書いた、「肩に降る雨」とシチュエーションが似ている小説があります。
連作短編小説「この空を飛べたら」に含まれる、「かささぎ橋」という小説です。
ラジオアナウンサーが主人公で、担当した番組が人気が出て一世を風靡し、華やかな恋人もできるが、何かの罠にハメられるように恋人と破局を迎え、疲れ切ってビルの屋上へと向かう…というストーリーです。
主人公は、ビルの屋上にいた見知らぬ女性(他の短編の主人公)に「迷惑だ」という声をかけられ、我に返ります。
この小説も最後までは描かれませんが、主人公が生きる側にとどまることが推測される終わり方です。
「この空を飛べたら」は、「肩に降る雨」が発表された6年後の1991年に発売されていて、個人的には「肩に降る雨」を小説化したのが「かささぎ橋」なんじゃないかな…と思っています。
まとめ
中島みゆきさんの「肩に降る雨」の歌詞について考えてみました。
非常に静かな曲ですが、少ない文字数の中に深いメッセージ性と哲学が見えます。
「ファイト!」のような直接的なエールではありませんが、「肩に降る雨」も、つらい状況を生きる人をやさしくそっと励ましてくれる歌だと思います。