火の鳥シリーズ再読中です!
火の鳥シリーズの9巻目にあたる「乱世編」の感想です!
火の鳥・乱世編のザックリとしたあらすじ!
「火の鳥・乱世編」は、火の鳥シリーズ9巻目の物語です。
奇数巻が過去の物語となる「火の鳥」で、9巻目の乱世編は5番目に古い時代を描きます。
ひとつ前の7巻羽衣編が平安時代前期のお話で、それに続く乱世編は平安時代末期の源平争乱の時代が舞台です。
主人公は弁太という木こりです。
この弁太は、平家物語に描かれる弁慶のモデルになった庶民の男という設定です。そのため源平争乱のお話なのに乱世編に弁慶は出てきません。
弁太と、その恋人であるこれまた庶民のおぶうが、ささいなことから源平の権力争いに巻き込まれていきます。
乱戦編に登場する主な歴史上の人物は、平清盛、源義経、源義仲、源頼朝、後白河上皇…と、源平争乱の主要人物がオールスターで出てきます。
私は高校時代に乱世編を読んだおかげで、日本史の源平の戦いの流れをしっかり理解できました!
手塚治虫のセンスを感じるのは、鞍馬山で義経に剣術を教えたと伝えられる天狗の役を、鳳凰編からそのまま生き続けている我王が果たしている点ですね。
乱世編の大筋は源平争乱をそのまま描くので「ここで義仲が死ぬんだな」「この戦いは源氏の勝ち」「この後義経が都を追われる」…といった大まかなストーリーは予定通りです。
その中で、思いがけずに権力に巻き込まれてしまった弁太やおぶうはどう振る舞うのか…というところが物語の焦点になります。
乱世編に描かれる義経は悪役か?
「火の鳥・乱世編」でよく言われるのは、日本史の悲劇のヒーロー・源義経が悪役として描かれるということです。
源義経は、源平争乱で源氏の勝利に大きく貢献したにもかかわらず、戦後に兄の頼朝から「戦が終わったら不要」とばかりに追われる身となり、31歳の短い生涯を閉じます。
小柄で美形だったなんて伝承されているため、日本史の歴史上の人物の中でも人気が高く、フィクションでは悲劇のヒーローとして扱われることが多いです。
乱世編の義経はどう描かれるかというと…
…などと、義経を過度に美化した描き方ではありません。
むしろ弁太側から見ると、弁太を戦に利用しているように見えて、弁太に思い入れして読むと確かに義経は悪役かもしれません。
ですが、私は乱世編を通して、あまり弁太に思い入れすることができないんですよね。
「おぶうを取り戻したいなら源氏側につけ」という義経の言い分はもっともですし、おぶうの手紙が偽物であることもアッサリ白状し、その際に「お前もうちょっと勉強した方がいいよ」的なアドバイスもあります。
それなのに、最後の弁太の義経への殺意は…「あれはないんじゃないか」と思いますね。
義経が最終的におぶうを斬ってしまうことになりますが、あれだって最初は「どけ」と言っているのであって殺意があったわけではありません。
そもそもおぶうは自らの意志で平家側にとどまっているのであって、弁太の「おぶうを取りもどす」ってのは独りよがりです。
だいたい弁太あんた、ヒノエという新しい妻を作っていることはどう説明すんのさ…。
そんな感じで、乱世編で主人公・弁太に肩入れできない私にとっては、義経は別に悪役とは感じないですね。
手塚治虫が義経を悪意を持って描いたという感じはせず、作中に登場する平清盛や源義仲と同様に、長所も短所もある人間として、中立の立場から描いているように感じます。
武士たちの火焔鳥(火の鳥)への態度
さて、大筋のストーリーとしては平家物語のあらすじをたどる乱世編ですが、物語にアクセントを添えるのが火の鳥の存在です。
乱世編での火の鳥は、火焔鳥という中国(宋)の伝説の鳥として登場します。
平清盛の晩年の乱心ともいわれる福原遷都を、「火焔鳥がほしいため少しでも港の近い場所に都を移す」という設定にしているのが面白いです。
乱世編の特徴は、火焔鳥(火の鳥)を欲しがる武将たちは皆、自分の命ほしさに不老不死の血を求めるわけではないということです。
平清盛は死がコワイから火焔鳥が欲しいのではなく、自分の死後に平家をまかせられる有能な親族がいないため、自分の寿命を延ばそうと考えます。
源義仲は「おれは長生きなぞしたくない」が、妻の「えー女」である巴に不老不死の血を飲ませて長生きさせ、たくさん子どもを産ませて一族を繁栄させたいと考えます。
自分のためではなく、一族のため…なんですね。清盛も義仲もこういうところはカッコイイです。
また義経は「火焔鳥とかいうくだらねえ鳥」なんて言いますし、不老不死には興味も示しません。
頼朝も「火焔鳥の血を飲んで不死になったかもしれない義経の脅威」には興味があっても、火焔鳥そのものにはそれほど関心がないようですし…
時代は違うけど「武士道と云ふは死ぬこととみつけたり」という有名な葉隠の一文が、ここに見て取れますよね。
命を捨てることを惜しまず戦に生きる武士たちにとって、不老不死を求める姿は美意識に反するのでしょうね。
そういう武士道がサラッと描かれているのも、乱世編の面白さかなと思います。
また、乱世編の特徴として、火の鳥シリーズでは珍しく火の鳥が一度も登場しません。セリフひとつありません。
乱世編の登場人物は個人の生にしがみつかないので、火の鳥も説教することがないんでしょうね。
私のような反抗的なタイプにとっては、火の鳥の語り口は説教じみていてちょっとアレなので、火の鳥の影が薄いのが乱世編のプラスポイントだったりします!
まとめに変えて…おぶうの印象的なセリフを!
「火の鳥・乱世編」の感想でした。
乱世編は、主人公弁太に同調できるかどうかでずいぶん印象の変わる物語だと思いますが、ストーリーそのものの面白さは太鼓判です。
火の鳥のテーマのひとつが「生命の尊さ」ですが、「永遠の生」というか「生そのもの」に執着しない武士たちは、場合によっては生命を軽視しているようにも見えます。
自分の生に執着しすぎる人間を火の鳥シリーズではあまり良い風に描きませんが、逆に生に無頓着すぎるというベクトルはどうなのでしょうね。
生に執着しない武士たちが繰り広げる戦の世で、おぶうがこうつぶやく場面があります。
いくさってどうしてあるんでしょうね。なんの罪もない人たちがまきこまれて大勢死ぬわ。考えれば侍だってそんなに得をするわけじゃないのにね。人間ってバカだと思わない?
この問いかけを受けている越中盛俊は、「わからない」「武士はいくさのために生まれてきたから」などと答えます。
乱世編の人物たちも、なぜこれほどまで犠牲を払って戦わなければならないのかはわかっていません。
戦争がいつの世でも絶えないのは人間がバカだからなのでしょうか?
それでもいつか、人類は戦争を克服できる日が来るのでしょうか。
火の鳥=「永遠の命」がそれほど重視されない時代の物語というところに、乱世編の深みを感じる次第です。
火の鳥シリーズは巻数が多いため、かさばらない電子書籍で読むのもおすすめ。