幽遊白書の暗黒武術会のクライマックスは、戸愚呂弟と幽助の頂上決戦です。
この戦いは名言が多く、シンプルな力くらべではない、価値観・哲学がぶつかりあう深い内容となっています。
戸愚呂弟は幽助と戦う前に、幽助の師匠である幻海とタイマンで戦い、幻海は命を落とします。
幽助にとって戸愚呂弟との戦いは「幻海のかたき討ち」という形になります。
そしてそれに加えて、幻海+幽助の思想VS戸愚呂弟の思想という側面があります。
この思想の戦いを、ちょっと詳しく読み解いてみようと思います!
戸愚呂弟の哲学…強さという永遠の孤独
まずは戸愚呂弟の人生哲学を読み解いてみましょう。
人間だった時代の戸愚呂弟は、自分の肉体や精神力がピークの頃、「強さの最盛期」で「時が止まればいい」と思っています。
しかし「人間とは不便なもの」で、自身の老化を止めることはできません。
そこで戸愚呂弟は「より長く自分の強さを維持するために」、人間から妖怪へと転生することを決意します。
戸愚呂弟は妖怪に転生する際、幻海を含む仲間から猛反対を受けますが、それを振り切る形で仲間たちと縁を切ったことが示唆されます。
何か一つを極めるということは他の全てを捨てること!!
もうお前は一人で十分なのだ それがわからないかね!!
直前の引用は幽助に向かって言ったセリフです。
戸愚呂の人生哲学をまとめると、「最高の自分のまま永遠の孤独を生きる」となりますね。
幻海+幽助の思想…仲間と有限な生
戸愚呂弟の考え方とくらべると、幻海や幽助の人生哲学は対照的です。
戸愚呂弟との対決の後に幻海が幽助に残すセリフは、名言の多い幽白の中でも特に印象に残ります。
人は…みな…時間と闘わなきゃならない…
奴は…その闘いから逃げたのさ…誇りも…魂も…仲間も全て捨てて…
(中略)
お前は…一人じゃない………忘れるな…誰のために…強く…
幻海の人生哲学は、このセリフに集約されている感がありますね。
幽助は戸愚呂にはっきりとこう言うことで、幻海と価値観を共有することを宣言します。
オレはあんたと違う
オレは捨てられねーよ
みんながいたからここまでこれたんだ
戸愚呂が捨てて幽助が捨てないものは「仲間」です。
そして幽助にとって価値のある生とは、永遠の生ではなく、有限だけど仲間のいる人生ということになります。
なぜ「仲間のいる生=有限な生」となる?
さて。
ここで一つだけ疑問が沸いてきます。仲間のいる人生と永遠の人生は両立不可能なのか?
たとえば幽遊白書の終わりの方で登場する妖怪・煙鬼には、孤光という妻がいます。
永遠に近い生をもつ妖怪でも、人生を共に生きる仲間を得ることは可能なのではないか?
実はこの問いに対する答えに近いものとして、幽遊白書に出てくる設定の中で、氷女の生殖形態があります。
非常に寿命の長い氷女は、分裂、つまり雄の力を借りない無性生殖で子孫を増やします。
雄と交わり有性生殖で子どもを産むこともできますが、有性生殖での出産は命とひきかえ、出産直後に死んでしまいます。
飛影の誕生秘話ですね。飛影の母親は飛影を産んだ直後に亡くなっています。
この無性生殖=永遠の生、有性生殖=死という法則こそが、「永遠は孤独。仲間を得たいなら有限の生を生きなければならない」というメッセージの根底にある気がします。
実は生物学的にも、「生物の寿命の起源は有性生殖をはじめたのがきっかけではないか?」という知見があります。
冨樫先生は生物学にとても造形が深いか、もしくはかなり鋭い感性を持っているので、戸愚呂弟と幻海の価値観の対立には、こういった生物学の知見も根底にあるようにも思います。
ここで「妖怪は仲間と共に永遠に生きることは不可能なのか?」という問いに戻りますが、コレは作中では解答が出ていません。
ただ、黄泉の子どもである修羅の母親が描かれていないということが、ひとつヒントになる気がします。
もし修羅に母親がいたらかなりの重要人物。登場しないことは考えにくいですよね。
妖怪は単独で子どもを作ることは可能でも、遺伝子交配する形で子孫を残すことは不可能、もしくは死に直結するか寿命を縮める…いう裏設定があるのではないか…と考えています(考えすぎ?)
戸愚呂弟が「倒されるのを待っていた」理由は?
戸愚呂弟と幽助の戦いは、幽助の勝利に終わります。
この勝敗を決めたポイントは、戸愚呂弟自身の解説では「戸愚呂弟は100%以上の力を出そうとして肉体が耐えられず壊れてしまった。幽助は仲間を守るために120%の力を発揮できた」となります。
この戦いの結果を、「『孤独な永遠の生』に対する『仲間のいる有限の生』の勝利」と解することは可能です。
しかし、このような単純な図式だけで終わらないのが幽白の深さです。
蔵馬は「戸愚呂は自分を倒してくれる人を待っていたのではないか?」と言い、左京もそれに同意します。
ではなぜ戸愚呂弟は、「自分を倒してほしい」と思っていたのか。
答えはとりあえず2つ考えられます。
ひとつは本当は自分の価値観の方が間違っていると思っていたということ。
だからこそ「わざと悪役」を演じ、この価値観をぶっ壊してくれるヒーローを待ち望んでいたのかもしれません。
もうひとつは、永遠の生からの解放を願っていたのではないか?ということ。
こちらの可能性は深読みになりますが、蔵馬が仙水編で、戸愚呂兄(ちっちゃい方)に「お前は死にすら値しない」と言ったセリフがインスピレーションになります。
手塚治虫の『火の鳥・未来編』にも描かれますが、永遠の生というのは「それほどよいものではない」という側面が強調されることがあります。
誰かに壊されない限り、自然に寿命が尽きることがない生き物は、死を望む時には、自分を壊してくれる誰か(=他者)を探さなければならないのでしょう。
他者を求めている時点で、既に有限の生へと傾いているとも考えられますね。
まとめ
戸愚呂弟と幻海+幽助の戦いを、「価値観のぶつかり合い」という観点から考えてみました。
私にとって戸愚呂弟はとてもカッコいい「悪役」で、なんか面倒くさいタイプの仙水より好きですね。
戸愚呂弟と幻海+幽助の戦いは、他のエピソードも挟みながら、ジャンプコミックスだと10巻から13巻まで続きます。